親として

2023年12月25日

クリスマスプレゼントをもらった孫たちがはしゃぐ動画や、満面の笑みの画像が娘らから送られてきます。じいじは(あまりない)休憩時間などに目を細めています。
「俺、娘らにクリスマスプレゼントやったかな。あんまり記憶にないなあ。3人ともちっちゃいころに千(本)北(大路)のリーブル京都で絵本を深夜に選んで枕元に置いた記憶はあるかな。梨恵はまだ生まれてへんかったかな」
娘らが孫たちにしてやっているほどのことはしませんでしたね、きっと。遠い昔過ぎて覚えていません。
そんなにあちこちへ連れて行った記憶もないかな。あ、いや、グアムやサイパン、オーストラリアにハワイなど、海外にはけっこう行ったな。そう思えばかなりぜいたくな娘たちだったかな。
水着の水玉がそのまま二女の体に焼き付きました。せっかく泳ぐのを楽しみに行ったハワイ。二女は発熱で泳げなかったかな。ケアンズは台風接近だったかで泳ぐのにはふさわしくない天気でした。
3人を連れて香川の実家に帰省。
「お腹空いたしなんか食べよ。せっかく讃岐やしうどんにしょうか」
「そうしよそうしよ」
「え~ラーメンがええ」という三女。じゃんけんで決めることになってラーメンになったな。

3人連れて「横綱」へも行ったな。三女がチャーシュー麺を食べると言い張りました。
「食べられへんで。やめとき。ふつうのにし」と二女と長女が止めるのを振り切り食べました。帰ってから吐きもどしたな、確か。思えば自己主張の強い子だったのかな。

いい親だったかといえば肯定できません。よく育てたかなとは思います。3人がちゃんと育ってくれました。みんな真っ当(?)でよかったです。
経済的にはたいへんだったかな。たまたまめぐり合わせがよくてなんとかやり繰りできました。今なら無理ですね。

「異次元の少子化対策」というのがあればもう少し楽だったのかな。私の子育て当時、なんらかの施策があったのかどうかもわかりません。

果たしてその対策は奏功するんでしょうかね。

政府の少子化対策については近近ここに書くつもりです。(近近やな「へい」)

67歳の思い出話、与太話でした。長く生きるといろいろ思い出します。つい書きたかったり話たかったりがいっぱいでてきます。
年寄りの性(さが)と笑い飛ばしてください。