死という最後の未来
2020年06月27日
「たまには外でラーメンを食べようか」と昨日近くのお店へ。「みそ」と「しょうゆ」は以前に食べたので「しお」にしました。残念ながらもう一回は頼まない味でした。残念です。
それを取り返そうと別の店へ。そこも「みそ」と「しょうゆ」は味わい済みです。今日の「しお」は幸いおいしかったです。よかったよかった。
雨のやみ間に裏庭へ。
「少しでも草引きをしてやるか」と。先日買ってあった柄の長い鋤のような道具を使いました。使いここちやよし。よく切れるし、腰を曲げずにすむのでらくちんでした。
アジサイとユリに小さなつぼみがついていました。
いずれも十勝へきてから買い求めたものです。
「2年目も無事に咲いてくれるかな」と思っていたので一安心です。きれいな花を咲かせてくれるのを期待しましょう。
写真下左は「塩野菜」です。じつは「アカザ」という名の植物でした。十勝の師 I 藤さんが電話をくれました。
「業務連絡じゃなくて、ほらこの間、なんだっけあのベトナムのコーディネータの・・・・・・」
「ファンさん」
「そうそう。食べたあの雑草、今M 本さんとしゃべってて・・・・・・」とわざわざ教えてくれました。
「ウイキで調べてみたらおもしろいことが買いてありますよ」
「わかりました。すぐ調べてみます」
「同じアカザ科のホウレンソウによく似た味がする。シュウ酸を多く含むために生食には適さない。好んで食べる人は少ない。『藜(れい・中国名)の羹(あつもの)は粗末な食事の形容に使われる」とあります。「食べるけれどそんなにうまくないし物好きの食べ物」というところでしょうかね。
右はルピナスの種です。元は京都を離れるにあたり、生徒のOFくんがくれたものです。
まいた年には花は咲きません。それが2年越しで開花して結実。種とりをしてその子孫を残せましょうか。
「それを見届けることがあと何年できるのかな」というようなことを思う年になりました。
石原慎太郎氏と曾野綾子氏の「死」についての共著が話題になっているようです。
読んでみましょうか。