日日今昔

2019年02月23日

午前中にゼミに着くと日が当たっていなかったところに日差しが。春の足音を実感。

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少しだけでもお日さんを浴びてもらおうと移動。ほんの2時間ほどでしたが、うれしそうだったかな。


小用で長女んちへ。孫の真穂ちゃんからチョコを手渡されました。今日は最初からニコニコしてかわいらしく接してくれました。急いでいたので時間がなかったのが残念です。
真穂ちゃんと遊びたかった、な。

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また遊んでね。じじは送られてくる孫たちの写真や動画に心癒されています。
ありがとうね。娘らやその連れ合い、孫たちの存在が私にとってはかけ甲斐のないものでしょう。


さてテスト対策。今日はけっこう質問がありました。
「光ファイバーって何ですか」
「う~ん、難しいな。かくかくしかじか」。

「『うれた』トマトの『うれた』ってなんですか」
「え、『うれた』ってわからへんか。『熟した』っていう意味やで」
「じゃあ『かんしょう』ってどういう意味ですか」
「え、『かんしょう』? どの『かんしょう』かな」
「えっと『くちへん』に右側が漢字の『漢』の・・・」
「あ、それ『かんしょう』でなくて『たんしょう』やね。ため息が出るくらい感心してほめることやね」

「『ファイアウォール』ってなんですか」
「え、うんとね、かくかくしかじか、なんちゃらかんちゃら。わかる?」
「はい」
「技術家庭か? たいへんやな。俺の子供のころはパソコンなんかないし、そんな勉強はせんでもよかったしなあ」
「え! パソコンなかったんですか」
「そらそうやん。それどころか携帯やスマホどころか、家庭電話もないし、テレビも冷蔵庫も洗濯機もなかったよ」
口あんぐりの生徒らを前に、しばらく昔話。彼らにとっては大昔の話に聞こえたでしょう。62歳のじいさんの話ですから当然でしょう。
私が生まれたのは日ソ共同宣言の年、1956年です。歴史教科書の中に登場することになろうとは思ってもいませんでした。

中3は公立向け模試の過去問を5科、実戦形式で。よくできています。200点中8割方はとります。
受かってほしいですね。受かってくれるでしょう。


矢作さんの本の広告を見ました。これを写真で撮って掲載するのは厳密にはダメでしょう。まあ、宣伝になるでしょうから矢作さんも文句はないでしょう(たぶん)。

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前著よりいいんじゃないかなと思いました。(なにをあんたがえらそうに「すみません。そんなつもりは毛頭ありません」)ともあれここにある文言には心惹かれました。読んでみようと思います。

のんきにやっていますが、北海道ではまた地震。大きな被害はなかったようですがたいへんでしょう。停電がなくてよかったです。この時期電気が止まれば死活問題です。それは回避できてなによりです。

のんきにやっているようですがそうでもありません。
いろいろどうしようかと思うこといっぱいあるかな・・・・・・

それなりなんだかんだはなかんだでやっていきます。

なんだかんだでやっていければいいですいいけどね。どっかで破綻しないようにやっていかねばなりません。(がんばれつゆじい「ありがと」やります)

じじ、やらせてもらいます。