延命、葬儀、墓不要

2018年04月26日

さて今日は何を?

あまり精神的に強い方ではありません。よくないことがあるとすぐ消沈します。
「禍福は糾える縄の如し。またいいこともあるさ」と己を慰めたり「笑うしかないわ」と開き直ったり、いろいろと自分への対応がたいへんです。

そんなこんな、あれこれそちこち、なんだかんだで日々を送っております。
「よくもまあ、還暦越えまでやってきたなあ、こられたなあ」と率直に思います。

「鉄人」の衣笠さんが亡くなりました。「燃える男」、星野さんも。残念です。自分の年が亡くなる人たちの方に近づいてきます。それを悲しむ気はありません。人間生まれたときから一歩ずつ死に向かったいる訳ですからね。

先日読んだ椎名さんの本ではありませんが「死」について用意はしておくべきだとは考えます。けっして世を儚んでいるのではありませんよ。

「葬式はいらない」。とはいっても生きている側の事情もありましょうから任せます。変な演出のある葬儀はいらないです。
「墓も不要」。焼却後の骨の灰は許されるなら妻や娘らがどこかへ旅行にでも行った折にそこらにまいてくれたらいいです。カナダの針樹林帯(行きたかった)やオーストラリアのグレートバリアリーフ(行った)か釧路の幣舞橋のしたでもいいわ。

いやいや。生き残る人の負担になったらいけません。残った人らの好きにしてください。

あ、その前に言っとかなきゃ。
「延命治療はいらない」と。元気で生きてこその人生ですしね。病床で体の自由も利かずに、無理矢理生かされても自分もしんどいし、回りに迷惑です。我がばあちゃんのように迷惑最小限で逝きたいものです。

そのためには朝夕ばあちゃんのように仏壇へ向かってお念仏が必要。不可能ですね。我が家に仏壇はありません。

ぽっくり逝けるようできる範囲で「徳」を重ねます。

今後の生き方を思いつつやすみます。

ありがとうございます。おやすみなさい。