本四架橋30周年

2018年04月10日

何時ころだったでしょうか。ピンポンが鳴ります。
「? はい」
「京都芸術高校のTです」
「あ、はい」
「突然すみません」
「いえいえ、宇治ですよね。遠いところをありがとうございます。京阪ですよね」
「黄檗です」とかなんとか。
なぜうちに来られたのでしょう。北区を軒並み回っていらっしゃる、いやそれはないか。去年の中高進研の説明会で肯定的な意見を書いたからかなあ・・・・・・
「美術が好きな生徒にはこれ以上ないというくらいにふさわしい学校ですね」。

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宇治の茶団子までお土産にいただきました。今日来た生徒らに振舞いました。ありがとうございます。


瀬戸大橋開通30年の日だったようですね。両親とも香川の人。子どものころから何回も帰省しました。大昔は伊丹を朝たって急行鷲羽号(だったかな)で岡山まで。緑と橙色の車両でしたね。
その後、鈍行(今でいう各駅停車)で宇野へ。途中「茶屋町」という駅がありました。で宇高連絡船で高松へ1時間。高松からは予讃線で観音寺までか、土讃線で琴平まで行きました。じいちゃんばあちゃんの家に着いたら夕方でした。
大学生のころはまだ橋はなし。国鉄(JR?)でしたか。連絡船に乗るやいなや立ち食いうどんの讃岐うどんです。これがうまい。食べて思いました。
「ああ、四国へ帰ったぞ」と。

車に乗るようになってからもしばらくはフェリーでしたね。神戸ー高松で3、4時間乗りましたか。どうでしょう。はっきり覚えていません。

開通後は車で何度も往復しました。最初は感動しましたね。連絡船で1時間が20分弱で瀬戸内海を縦断ですから。ただ、そこへ行くまでけっこう走らなければいけません。渡海は楽でも道中はしんどい。
どっちが楽かなと思い開通後もフェリーを選んだこともあった、と思います。

まあいろいろですね。そのときどきによって違います。

62年に達しようかと己の人生。そのときどきを思います。

また新しい、この春を迎えられたのはめでたしです。

少しずつ大きくなっていくモミジたちです。

ゼミ表は北向きなので発育はよくなし。

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裏は南向きなのでそれやよし。
ここまで差が出るかというほどの成長差です。

南と北。日が当たるか当たらざるかで育ちに大きな差が出ます。私はどっちでここまできましたか、ね。
いろいろありましたが生きてこられたこと自体に感謝すべきなのでしょうか。