冥福

2016年11月17日

弟と久しぶりに会いました。10年とは言いませんが少なくとも5年以上は会っていません。
仲が悪いわけではありません。殊更会う用もなく、遠く離れて互いに忙しいんで、こんなもんだと思っています。世間一般のご兄弟もこんなもんじゃないんでしょうか。(そんなことないやろ)
親が生きていたころは年に2回は最低会っていましたか。死んでからは、弟が跡をとってくれた実家に帰る理由もなく、育った地でもないんで足が遠のいています。(まあ、そやな。育った地でも今回の同期会でもなけりゃ釧路へは行かないもんな「行きたい気持ちはありますが」)

おじの葬儀でした。若いころ一番近いところに住む親せきでしたんで世話になりました。
81歳。天寿でしょうか。穏やかなおじでした。いい人生を送られたんだなと勝手ながら思いつつおじの遺影を見つめていました。式中いろいろ考えました。いろいろと・・・・・・

私は自分の葬式はしてもらわなくてもいいと思っています。残った関係縁者に余計な時間をとらせたくありませんしね。えっと誤解がないよう言わせてもらいますが今日の私の出席は「余計な時間」とは思っていませんよ。
ちがう目から見れば、日頃会えなかった親戚などが顔を合わせる機会をつくると考えると私の死、葬式にも意味があるか。
まあまだまだ死ぬつもりはないんで生きられるだけ生きていきます。

まあ、自分が死んじゃったら、そこに自分の意思は反映されません。残した家人や娘らの思いが尊重されましょう。
今のうちにそのへんの私の思いを伝えておきましょう。

ほんとに近しい人らが寄ってくれて
「おい、つゆはらがいったぞ。あいつのために乾杯だ」
とでも言いながら酒を酌み交わしてくれれば、それでいいかな。

まあ、遺体から出た灰をどっかそのへんに、いやきれいな山か海にでもまいてくれればくれればそれでいいと思っています。

それよりなによりNおじの冥福を祈らせてもらいつつ眠らせていただきます。