本質

2015年03月09日

イズミヤのレジで前に並んだおばあちゃん。電池の包装を手につぶやきます。
「単4かあ、単3ないんかなあ」単3です。
「単3ほしいのになあ」たまらず声をかけました。
「それ単3ですよ」
「はあ、4て書いてあるで」
「いやそれは単3が4本です」耳が遠いようなんで手振りをまじえ伝えます。
「そうか、そうか、これ単3が4本か。おおきに、おおきに、ありがとうな」やっと伝わりました。

年をとるとできなくなることがふえるんですね。子どものころは年を重ねるにつれできることがふえていきます。老いるというのはその逆。
最近やっていませんがでんぐり返りとかできるかな。逆上がりもできなくなっていたりして。
やってみてほんとにできないとさびしいからやんないでおきましょう。
走ったり筋トレはやっています。腕立てふせをしながらの拍手や逆立ちしての片手腕立てふせ、指立てふせは今は無理ですね。やってみませんが確実にできないでしょう。

老いは避けられません。受け入れましょう。ただ甘んじはせず、自分なりに抗います。無駄な抵抗でもいいから自分を鍛え続けようとは考えています。

生徒たちには若くていろんなことができるうちにいっぱいやってみるように伝えなきゃいけませんね。若い彼らは理解できないと思いますが、その努力は惜しみません。


さり気なく「ふなっしー」ネクタイです。受けねらいです。気づいたのは中1THくんのみ。(ちょっとさびしい)

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塾の先生もたいへんなんですよね、けっこう。(あんただけやろ「はい、たぶん」)

「もの」で受けを狙わず本質でのそれを心がけなければいけませんね。