ささやかな幸せ

2015年01月15日

塾用教材の展示会で新都ホテルへ。
昔は教材を作ったり売ったりもしていました。向こう側にも知った方が多くいたんですが、今日はとんといらっしゃいませんでした。世代交代なんでしょうか。ちょっとさびしかったです。みなさん偉くなられて現場には出てこなくなったんでしょうか・・・・・・
私もいつの間にか58歳。時の流れを感じます。私より年長だった方は引退された方もいるのかもしれません。
思い起こすといろんな方の顔が浮かんできます。お会いしたい方もいますね。(したくない人もいるの?「そんなことはありません。みなさんお会いしたら再会を喜べると思いますよ」)
みなさんどこかで元気でいらっしゃると思います。


今日の夕方のおやつ(?)です。昼食後、授業終了まで何も食べないのはきついんでおにぎりなどを食べます。

%E3%81%AE%E3%82%8A%E3%81%B9%E3%82%93%EF%BC%92.JPG

今日は朝、自分でつめた真正の「のり弁」です。いや焼き鮭がのっているから「真正」ではありませんか。
東海林さだおさんや椎名誠さんの本から学びました。(さすがに自分自身の中高時代に「のり弁」は持って来ている子はいなかったと思います)
ご飯をおっちめて(栃木弁「だったと思います」)海苔、そして醤油。さらにご飯をおっちめて(あんまりおっちめると食べられないんで軽めです)醤油。これで完成。食べるころには醤油がご飯にしみて(大阪の人は「しゅんでる」と言います)おいしいんです。

と、ここまで書いて前にも「のり弁」の話を」書いたような気がしてきました。年をとるとした話を忘れます。恥ずかしいな。悲しいな。ま、いっか。

閑話休題。のり弁うまい。おかずがなくてもご飯が食べられるのは私の特技です。

私がのり弁を食べているのを見た生徒が言います。
「え、せんせ、おかずないですやん」
「あんな、のりがあって醤油がかかってたらそれで十分おかずやねん」と言っても今の子には理解できないでしょうね。

卵焼きが大好きでした。今でもそうです。当時の弁当にそれが入っていた幸福感は私だけのものかな。

日本全体が今ほど恵まれていなかったころの話です。

今の子たち、少なくともゼミに通ってくれている子たちは恵まれています。塾というものに通えること自体が幸せですよね。生徒らにも言います。
「ゼミに来ていることを感謝しいや。毎日食べられて服を着て、住む家があることが当然と思ったらあかんで」そう普通に生きていられることに感謝をしなければいけません。


その生徒の一人、TSくん。傘をさしてきました。見ていると傘についた雨のしずくを払い落としきちっとたたみます。
「お、えらいな。きちんとそうやって傘をふるって、たたんで」
「え、え、そんなんふつうですやん」
「いや、そんなことないで。あなたがそれをできるんはおかあさんなり、誰かが教えてくれてそれがきちんと身についているんやで」

そう彼は勉強は苦手ですが躾はきちんとしています。
KYくんやMRくんなんかはきちんと靴を出船入船にできます。YRくんやKYさんもきちんと挨拶ができます。
どう考えても思い出しても自分の中学生の時はそれらは絶対できていませんでしたね。

そんないい子たちと接せられてうれしいです。そんな子たちをしっかり育てていきましょう。
そんな仕事ができて幸せなんでしょう。