昔話
2014年11月13日
かかと修理をお願いした靴屋さんへ長靴を受け取りに。きれいに直っていました。これで足元あったかいです。まあ直して履くほどいい靴ではないんですが、まだまだ履けそうなんで直しました。
それはともかく驚きの事実が。
修理を頼みに行ったときのことです。店の人が私の顔を見ながらおっしゃいます。
「前に直した靴はどうですか? かかとだけ張り替えたのと全部替えたのとか」
「あ、いえ、快調ですよ」と答えつつ思います。
「なに? 2年近く前の修理と私の顔と靴の症状が一致したの?」
すごいですよね。玄人さんて靴の症状をそこまで覚えてはるもんなんでしょうか。
まあ私の顔は髭もあってちょっといかつい(?)から印象に残りやすいのかもしれませんが・・・・・・
プロはそうあるべきかな。果たして私にその素養がありましょうか。
15分ほどゼミ周りを散歩。
花梨が大きな実を。通草(あけび)と蜜柑がひっそりと。
今日はけっこう寒かったですね。深泥が池路傍の温度計は2℃でした。まあ、そこは池の横で日陰かつ峠下なんでいつも低めの温度が表示されます。
みなさまあったかくしておやすみください。というかこの時間普通の人は寝ています。
毎夜ぐだぐだやっているのは私くらいでしょうか。『月曜からずっと夜更かし』ですね。
夕べ『そうだ、善通寺のおばさんにうどんのお礼をしなきゃね。ここに挙げたのはすべて日持ちがせず不可。
となると・・・・・・あれかな、これかなと考えつつやすみます。』と綴りました。
すると今夜そのおばから携帯にメッセージが届きました。(おばは私のブログを読んでくださっています)
「気を使うな。何も送らなくていい」という内容でした。
えっとどう書いたらいいか気をつかいますが、私のおば(一番年若いおばです。母が長女で彼女が末っ子なんでいくつ違いでしょう。女性の歳ですからぼやかしておきます)ですからね。その方が自在にデジタルを使いこなしています。すごいと思いませんか。
私の母なら無理でしょう。
おばは昔からはっきりした人で思ったことをずばずば言う人で気持ちがよかったんです。確かバレーボールをばりばりにやっていたと思うんですが・・・・・・どうだったかな。
なんか昔を思い出します。かわいがってもらいました。朝からコップ酒をくいっと飲んでいたじいちゃんや「つとむ、財田へ帰ってこんのかあ。お母ちゃん(私の母)の近くにおっとってやれんかのう」と言っていたばあちゃんや重義おじちゃんや、正信おじちゃん、きりがないほどつながって思い出されます。
最近は四国(両親の里です)へ帰ることもなくすっかりごぶさた、義理も欠いています。
実の弟とも会うどころか電話すらしていません。格別仲が悪い訳ではないんですが、用がなけりゃこんなもん?
この世の他の親類兄弟もこんな感じなんでしょうか。それとも私ら兄弟が格別情が薄いんでしょうか、いかに。
親戚のみなさんには父の病のとき、母の事故入院やその他で世話になりっぱなし、長男の私が勝手気ままにやって申し訳ない思いです。
弟のお嫁さんにも、ほんと・・・・・・
おじやおば、いとこなど最近会っていません。私はいとこ連中の中で最年長でした。
その私が間もなく58歳。それと同じく彼ら彼女らも歳を重ねてそれなりの人生を歩んでいるんですね。
おばにメッセージをと書き始めた後半部分が思わぬ昔話になりました。
やすませてもらいます。こんな話を書いても自分以外なんの意味もありません。
最後まで読んでくださった方がいれば感謝しておやすみなさい。