お雛さま

2014年03月03日

雛祭りですね。
私の母親は昭和11年3月3日生まれでした。生きていれば78ですか。生きていても不思議ではない歳ですね。よく考えると早死にですね。

子どものころは自慢の母親でした。(その割には反抗的でなかなか言うことをきかない息子でした)
小学校時は参観の度に「おまえのおかあちゃんきれいやな」と言われちょっと鼻が高かったかな。


雛祭りといえば三角ゼリーのようですね、最近は。給食で年に1回出るのを子どもらは楽しみにしているようです。今年の金閣小学校は前倒しで先週の金曜日、2月28日にそれだったようです。子どもらに聞くと「おいしかった」とうれしそうに話していました。

自分の子どものころはあったかなあ? 記憶にまったくありません。

給食そのものはそんなに嫌いではありませんでしたが、熱くもなく冷たくもない中途半端なまずい脱脂粉乳だけはよく覚えています。そのせいか未だに牛乳は嫌いですね。何十年も飲んでいません。独身のころ偏る食生活を少しでもましにしようと飲んでいたのが最後でしょうから30年くらいは口にしていませんね。

くじらのカツはうまかったな。今でも食べてみたいです。捕鯨禁止で遠い食べ物になりました。今食べればそれほどでもないのかもしれません。当時のつましい食生活の中での美味だったのかなとも思います。


豊かな食生活が送れるようになりました。昔はおかずは一品で米を食べて腹を満たすという感じでしたが今はおかずが多いですね。

弁当でもおかずとご飯の割合が違います。私が高校生のころは弁当箱の4半分くらいがおかず容器でした。その蓋を開けて「卵焼き」が入っていたときの幸せ感は今の人にはわからないかな。
今でも卵焼きは大好きです。砂糖なしの甘くないそれがいいですね。そして今でもおかずが少なくてもご飯は食べられます。大根おろしだけでも、キムチだけでも、味付けのりだけでも、塩をかけただけでもご飯はおいしくいただけますよ。


まあともかくひもじい思いをせずに食事にありつけるということはありがたいことです。「ひもじい」なんて言葉は死語になりつつあるのかもしれません。

学生時代、父親が病気で入院して仕送りを遠慮したときのしんどさは思い出したくないな。ひもじかったです。ご飯だけ炊いて食卓塩をかけただけの夕食もありましたね。あはは、いやあ、貧しかった。(夏はふろ代節約で水シャワーですませたことも何回もありました)


ご飯が当たり前のように食べられることに感謝しなければいけません。

ありがとうございます。