嵯峨野高校
2013年07月11日
嵯峨野高校へ。
「いい学校やな」というのが正直な感想。
この春国公立へ190名近くが進学。うちの卒業生もその一人です。
合格実績はおいて、高校として私が中3生として選ぶかどうかと考えての感想です。
帰り際しんどそうなけんちゃんに声をかけました。なんかちょっと体調不良のようです。
「バス? よかったらどこか適当なところまで乗せてくよ」
「悪いね」
「かっこええ帽子かぶってますやん。麻生副首相みたい」
「そんな高級品ちゃうけどな」
車中しばし中年おっさん同士で来し方行く末を。
私の愚痴っぽいブログを心配してくれてもいたようです。
定例会でもNT先生やSM先生からお声をかけていただきました。KM先生からはメールまでいただきました。信州のパンセの先輩からも励ましが。
ご心配をかけることにもなるんで今後は慎重に更新します。
とか言いながら同じことを繰り返してしまうかもしれません。酒を飲みながら書きなぐっていると思わず知らず書かなくてもいいことを書いてしまっていることがあります。朝起きて確認します。あまりにまずいのは削除、訂正します。(そのまんまのことの方が多いですが)
夏の甲子園予選が始まります。京都新聞に各校のメンバー表が別冊で折り込まれていました。鳥羽、大谷、山城にゼミ卒業生がいました。塔南と北嵯峨にもいてほしかったんですがなし。高校で正選手を獲得するのは難しいのかな。
きっと門外漢にはわからない何かがあるんでしょう。
私も剣道名門校で主将をやらせてもらいました。
「なんで俺やねん」の感がありました。高2までは団体戦のどこにもでなかったぞ。3年になってけっこうがんばったけれど主将の器ではなかった。これは自分が一番実感しています。
「男澤先生、赤坂先生、なんで私を主将にしたんですか?」と今思うなあ。
「おまえがやらなくてだれがやるんだ?」と北海道弁で言われたのは今でも覚えています。
「えらいことになったなあ。まいったなあ」と思いました。
その後の1年間はしんどかった。
前にも書いたかもしれません。その重圧は筆舌に尽くしがたいものがありました。
なんかさりげなく自慢話になってきたような気がしますんでやめます。
つゆはらくんにそんな時期もあったなと軽く読み流してください。
では、では。