「は」がみそ
2012年12月24日
クリスマスイブですね。
天気予報には「雪」印があったので少し期待していましたがちらついただけでした。白い聖夜は近畿では難しいものがあります。
なんて夢見る少女みたいなことを言っている場合ではないようです。日本列島は寒気に覆われてたいへんなことになっています。旭川では-20℃近く、士別では同30℃近くまでいったようですね。北国のみならず九州でも積雪があったみたいです。被害が出ないことを祈ります。
世間は連休、クリスマスで盛り上がっているようです。ゼミでは今日も講習。昨日同様がんばりました。(昨日8コマと書きましたが間違いです。7コマでした)
んでもってケーキを馳走しました。原谷は今日私が行っていないんで何もできませんでした。どこかで何かを振舞いますので今日はご勘弁を。
クリスマスの思い出はあんまないなあ。
子どものころお菓子なんかが入った赤い靴をもらった。鶏の足の焼いたんを初めて食べた。うまかったな。なぜか牛乳配達を手伝って当時出たばかりのアイスクリームのクリスマスケーキを牛乳屋さんにもらったな。今考えると不思議やね。小学生の私が牛乳配達のアルバイトをする訳はないんですが、両親とも死んだ今謎のままです。
大人になってからも着飾ってデートをした覚えもないな。子どもらに好きな(と勝手に親が思っていただけかも)本を深夜千北のリーブル京都へ買いに行ったな。思えばささやかな贈り物だ。
全体的に地味、質素なその思い出です。
つましい生活をしていました、子どものころは。ちょうど高度成長期が始まろうかという時代だったでしょうか。やっと戦後の復興が緒に就いたころです。なんちゃって偉そうに。自分は子どもだったんでなんもわかっていませんでした。質素も貧乏も感じたことはありませんでした。振り返ってみて初めて今との違いを感じるくらいです。
まあでもやはり質素ではあった。食卓に肉が出た記憶はあまりない。いいとこコロッケくらい。サザエさんなどで「今日はすき焼きよ」「わーい、わーい」なんて場面があるけど実際あれに近かったんではなかろうか。日銭の入る大工さんをお父さんにもつ長屋隣のHくん。バナナを食べる彼が羨ましくて仕方がなかった。指をくわえんばかりの意地汚い私がいたかもしれません。病気になった時くらいしかバナナなんか食べられなかったもんな。
Hくんのお父さんは当時高価だったビールをラッパ飲みしながらHくんらがする花火を見ていました。私の父親も内心忸怩たる思いだったんじゃあないだろうか、と大人になったつゆちゃんは思う。死んだ父に聞いてみたいな。
なんかつまらない、どうでもいい話になってきました(いつものことやで「はい」)。
ときどきありますよね、昔を懐かしむこと。
思いだし始めると次から次へいろいろなことが浮かびます。連想ゲーム、走馬灯のようです。
裕福ではなかったけれど今一度両親がいたあのときに戻りたい気もします。無茶苦茶恐かった親父と大人になった俺とで酒飲んだらおもろいやろなあ。これはやりたかったなあ。酒は好きやったしな、俺もその血をひきました。
北海道へ転勤して「寒いから」と言い訳がましく晩酌していた親父の姿を思い出します。そんときは知らん顔してたけどね。
母親が作ったマメ鯵の三杯酢。うまかったなあ。今食いたいな。裕福ではなかったからでたおかず「おから」。当時はあんまり好きちごたけど今やったら「うまいうまい」言うて食うやろなあ、とかなんとか勝手なことをほざいています。
さてやすませてもらいましょうか。
明日はちょっと緩め。であるからして朝早起きしてちょっとだけでも走ろうかと思って「は」います。この「は」がみそです。
この「は」に表れるのが私の弱さそのものです。