残り柿

2012年12月19日

100冊を終えました。次をどうしようかとなってうろたえました。

買い置きはありまして夕べ寝る前に読み始めましたが、ちょっとしっくりこず。
朝一で(といっても10:00)ブックオフへ。
先の忘年会でお会いした大阪S高校、M先生推薦の『分身』『天空の蜂』を見っけ。おまけに横山秀夫さんの『真相』と『深追い』を入手。

『真相』から始めましたが秀逸。短編集です。深み渋みを感じます。うまいなあ、もっていき方が、結び方が。当たり前です。私ごときがとやかく言えることではありません。

「ありえなさそうである」世界が現出します。自分では体験できない「いやそれでもいつか我が身にも起こりうるだろうか」という微妙な感覚です。
そう「事実は小説より奇なり」。十分ありうるでしょう。私の短い人生でも思いもしなかった「事実」が現れています。

所詮物語ですが、思わず引き込まれている自分がいます。ある意味現実逃避は否めません。


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「残り柿」です。北山大橋の西北(「にしきた」と読んでね)袂にあります。毎年こいつに秋、初冬を感じています。忙しくて気づいたときには実が落ちた後という年もありますが、こいつに時の移ろいを感じます。

左には鳥が写っています(偶然です)。右は「大根の月」(向田邦子さんの小説をお読みください)があります(これは意図しました)。青空に橙色が映えています。

今日の写真はまだ実がいっぱいです。だんだん減ってきて数が一けたになってくると声をかけます(変なやつやな「そうです、よ」)。
「がんばれよ。しぶとく生き残れよ」と。まるで自分に言うようにね。


残り香、残り火、残り物、残り福、残り高、いずれにも儚さ、侘しさ、切なさを感じる言葉です。

「残り香」には、ほのかな色香を
「残り火」には、盛りの後の優しさを
「残り物」には、生活のつつましいさまを
「残り福」には、未来への微かな望みを
「残り高」には、現実の厳しさを

感じます。


さて夜も更けました。いつものことながら何が伝えたいかがわからぬままの駄文です。
それなり人知れぬ示唆はこめているつもりですが、人知れぬ、知らぬままでしょう。

まあ、人知れずとも知られずともなんでもかまわなく生きていきましょう。