霜柱
2012年12月11日
帰路、西賀茂車庫を通ります。11時前後。会社帰りだろうと思われる男性たちがバスを降り、寒そうに肩をすぼめ帰宅を急ぐ姿を目にします。
「ご同輩、大変だな。がんばれよ」と思わず声がもれます。というか私なんて早く出社したといっても9時とか10時です。片や彼らは冬ならまだ暗いうちに起きて、市内はもちろん大阪、東京(いないか)まで通勤しているんでしょう。その大変さたるや想像に難くありません。みんな何かを守るために戦っているんでしょう。
彼らを送り出す主婦の方々も同様です。ご主人より早く起きて弁当をつくったり朝ご飯を用意したり、しんどいでしょう。睡眠時間はきっと短いでしょう。パートなどをやりつつ洗濯や掃除をこなしているんです。八面六臂です。
やはり何かのために闘っているんでしょう。
それと比すと私なんてなんもしていないのに等しい(?)んではないかと卑下してしまいそうです。
ともかく世のお父さん方、お母さん方、互いの苦労に思いをよせてくださいよ。己だけの力で家庭や会社、世の中が成り立っているなんて思いあがりはよしましょう(え、端からない。すみません。それは俺か)
朝ゼミ前で仕事前、ぼーっとしていました。パンジーの花を眺めました。
「さて、かかろうか」と思った瞬間、目の端に光るものを感じました。
「んん?」と見ると霜柱でした。
実際に目にするのは小学生以来かもしれません。
通学途中、足を踏み外して(いやわざと)畑に踏み入り土を踏むとさくさく音がして柱が崩れる音を耳にすることができたような記憶があります。実際は音はなく足裏の感覚が擬態語として脳裏に残っているだけなんでしょう。
霜柱で押し上げられた土が柔らかく、なんでしょう、コーンフレーク? を(当時そんなしゃれたもんあったかなあ? あったな。食べた記憶あります)心ならずも踏んだ感じかなあ。
土がなくなった今、霜柱は死語になるやもしれませんね。事実、スタッフMさん(推定40数歳)、教え子講師Tくん(18か19)も本物は見たことがないそうです。
そう都会では昔語りの話になるんでしょう。
久々に見たそれは美しい輝きを宿していました。うれしかったですね。
「寒い」という「負」がもたらした「正」です。
ツバメくん、寒そうですが巣にいます。なんとか無事に越冬してください。私は祈ることしかできません。お仲間のスズメくんたちは元気にやっているんですからきみたちにもきっと可能だと思います。
応援しかできませんががんばれよ。