痛恨
2012年11月16日
なか卯で(またですか「週に1、2回は行きます。牛丼並は280円だかと安いですよ」)遅い昼食。食べていると爽やかで大きな声が聞こえます。
「ごちそうさまでした」大学生でしょう。若い声です。気持ちのこもった挨拶です。気持ちがよくなりました。
彼に続く友達も大きな声で「ごちそうさま」と。
カレーを(今日はカレーか「なかなかうまいですよ」)食べながら思います。
「キミ(私のことです)はあれほどにできているか」と。
もちろん生徒がくる時間はゼミ前で自転車を並べつつ迎えています。帰りは「さよなら」「ありがとう」「おつかれ」の言葉も欠かしません。
口にする言葉に心がこもっていないと相手に伝わりません。挨拶を返さない子も稀にいます。そう考えると私の言葉がおざなりなものになっているのかなと反省してしまいます。今でもそれなり心づくしをしているつもりですが、さらなるそれを心がけましょう。
この後いろいろとどうでもええことを書きましたが、またやってしまいました。ふっとびました。痛恨ですね。
今さら無理です。それを今から書き連ねるのは。
やすみます。
汚い言葉は使いたくないので言いませんが・・・・・・です。
いい加減学んだはずなんですが、またしても、です。
更新の前にコピーをして備えるんですが enter key をある瞬間、なんだかで押してしまうとどこかへいってしまうようです。
ああ、あの私の名(迷)文はいずこへ。です。
悲しや。
と、ここまで性懲りもなく書いて二度と同じ轍は踏むまいと思い慎重に新調(?)を重ねまして更新したら、先の名(迷)文があった。ありました。
以下です。
そうそう今日は私の誕生日でした。56歳です。よく生きました。ここまでくるとはあまり思っていませんでした。
父親が46で逝ったので自分がそれを超えるか否かが常に頭にありました。それから思うと十分に長生きしました。おやじはこの年を知らずにあの世に逝ったんですね。やりたいこともいっぱいあったでしょう。定年を前になんか習い事を始めていたような記憶があります。お茶だかお花だか忘れました。なんかそれで両親が諍いになりましたね。
「あ、これは聞いたらあかんな」と子ども心に思ったな。今やから言える話です。両親の男と女を感じました。あはは・・・・・・
そんなこんなを考えるともっとずっと大事に生きなければいけません、ね。いろいろありますが生きていられることに感謝します。
未だによくわかりませんが Facebook の関係か「誕生日おめでとう」メールを思わぬところからいただきました。返信はしましたが、それが果たして先方に届いているや否や。わ・か・り・ま・せ・んね。
ここでお礼をしておきます。もっとも彼らはこれを読まないだろうし意味ないですか。
まあ、ええか。「ありがとうございます」
「迷文」は、なくてもあっても、どうでもよかったか。だな。