山中さん、ノーベル賞、おめでとうございます

2012年10月10日

山中くんの(友達か「年下やしね」そやね。まあ年だけは下や)ノーベル賞、すごいですね。

今朝ゼミで改めて昨日の新聞を読みました。感動しました。涙が出ました(あんたはおかしい「ですね」)。

苦労されたようです。そのへんは報道でお知りでしょう。今さら私がここで敢えては蛇足です。

「塞翁が馬」が座右だそうです。柔道やラグビーで骨折を繰り返したり、いろいろ苦労もおありだったりしたんですね。そこから医師を志されて挫折。鬱にもなられたようです。で、どこかの研究職を目指され合格。そして今があるようです。(そのへんが凡人のだれかとはちゃうな)

まさしく「塞翁」の体現でしょうか。というかみんなそれなりの人生の中で、それに近い経験を重ねているのかもしれません、よ。そこで鬱までいくか、医師を志すか、方向は違ってもそこまでいくか、いけるか、いってしまって大成するかそのまま奈落へ落ちるか、立ち直れるか否かの勝負あと思います。


受賞に伴い募金が多く寄せられているようです。彼の私欲のなさがそうさせているのでしょう。研究者の劣悪な雇用環境の改善に尽力されているからこその結果です。

京都マラソンも同様の趣旨で走られたみたいです。そこでも相応の寄付が集まったようです。私も走りましたが、なんも世間の役には立たず自己満足だけです。まあ彼は4時間3分、私は3時間52分(たぶんそんくらい)ですからそこだけは勝ったな。(それがどしたん「いや、私の方が早くゴールした、それだけです)


彼のここまでには人知れぬ、凡人の私なんかがうかがうこともできない努力があったんでしょう。つゆはらくんもそれなりやってきましたが、何かが足りないんでしょう。一応毎日真面目にやらせてもらっていますが報われぬこともあり。というか「なんでやねん」も数あります。そう確かに「塞翁」を感じます。


まあそれが生きていることなんでしょう。

どこかで、どこで、どうそれを諦めるか、それをせずに日日をおくっていくのか、みんな、そんな、こんなを悩みつつ生きていっているんでしょうかね。

よくわかりません。56歳にもなろうかというおっさんが毎日悩みつつ生きておりまするです。