京都マラソン当日談
2012年03月11日
5時起床は目覚ましが鳴る前にぱちっと目が開きました。緊張のせいか眠りは浅かったようです。ご飯一膳半くらいと小さな餅二個の朝食で出発。
阪急電車の券売機前が想像以上の大変な混雑。着くまでに心身ともに疲れました。荷物預けもぎりぎりになり手袋など必要なものも預けてしまって手が冷たかった。
α staton のキヨぴーの司会で開会式。朝原宜治さんや奥野史子さん、千葉真子さん、森脇健児さん iPS の山中教授らが来ていました。(後ろ二人は走られたようです)
震災犠牲者への黙祷で追悼の気持ちを表しました。
さてスタート。
「笑顔と感謝」が今回の目標。できるだけ前を向いてニコニコしながら走ります(なんか気持ち悪いな)。声援には「ありがとう」とか「はい」とかこたえ、手を振り返します。
スタート間もなく段町辺りで嵯峨野進学スクールのW先生とハイタッチ。
順調に歩を進めます。ところが福王寺交差点前で「緊急車両の通過」とやらで止められます。けっきょく来ない「緊急車両待ち」で数分の時間を無駄にしました。私は自分の時計を止めましたが公式時計はその間も動いています。最終的にどれくらいの時間になるのかがややこしいです。
初めての経験です。まあしゃあないんでしょうが参りました。
宇多野辺りにMTくんがいるはず。探しながら走りますが見つかりません。
「見逃したんかなあ? 残念やなあ」と走ります。
仁和寺を過ぎた辺りで耳慣れた声。
「がんばってください」そうTです。向こうは気づかなかったので彼の方にかけより声をかけハイタッチ。
「おお、つゆはらせんせ。がんばってください」の声を背に走りました。
東船岡通りで娘ら三人の応援。
御薗橋通りでどなたかが応援してくれました。すみません、わからぬままです。
西賀茂橋では講師のMさんとご長女、TMさんのご両親、講師のYSくんがいました。
この辺りからかなり疲れてきました。まだ声援にこたえる余裕は残ってはいます。
北山で妻が声援。ありがとう。まだ元気。
きつね坂はあきませんわ。思った通りのしんどさです。
ここからあとはもうだめ。笑顔なんて消えました。ひたすら距離をこなすだけ。
国際会館前の給水に知人お嬢さんがいたはずですがとても探す余裕はなし。
でもきつね坂下でセカンドキャンパスの高見先生が声をかけてくれました。
意味不明の言葉を返して走り続けます。残りの距離が10 km を切ってからが長かった。
40 km で脚がつりそうになりました。
「まずい。ここでつったら走りきれへん」と思って速度を緩め、だましだまし走りました。
ゴール前で声をかけてくれたおばあちゃんに厚かましくもポケットティッシュをもらって鼻をかんでフィニッシュしました。
ゴール後歩けなくてうずくまっていて車いすを呼ばれそうになりました。
それだけは固く辞退しました。
若いボランティアの人たちが親切にしてくれて涙が出そうでした。
自分の柔さが情けなくて涙が出そうでした。
もう少し鍛えねばなりません。私くらいしんどそうにしている人はあまり目に入りません。
完走記念にメダル、バスタオルなどをいただきました。
ありがとうございます。
今日はさすがに眠くてしんどいです。やすみましょう。