国歌、国旗、君が代、日の丸、愛着

2011年05月17日

大阪の橋下知事が「君が代不起立の教員は免職」との考えを表明しました。過激ですね。「日本人なら普通立つやろ」と思う私は同じく過激ですかね。

それが政治的、法律的に是か非なのかは私にはわかりません。個人的には日の丸、君が代は好きです。というか国際試合などで国旗掲揚、国歌斉唱となると涙が出ます。あ、でもこれは違いますね。旗、歌に対するそれではありません。それを体現してくれた選手の努力、喜びへの感動でしょうかね。けっして国粋主義者ではありませんが、愛国者ではあります。自国の選手の活躍の結果、そこにある国歌、国旗はその国民にとってそれほど喜ばしいことはないんじゃないかと思うんですがね。

オリンピックなどで他国の選手はもちろんその国民すべてが国旗掲揚のさいに最高の敬意を示している場面には羨ましい気持ちを覚えます。

自国の国旗、国歌に敬意を感じられないのは悲しいですね。
「日の丸も、君が代もそれではない」と言われる方には当然のことかもしれません。でもそう思われる方々はなにをそれらとされるんでしょうかね。オリンピックで日の丸が揚がってもなんの感慨も得られない日本国民は寂しくないのかなあ。

そもそも土俵が違うから議論の対象にならないのかもしれません。

ずいぶん昔、娘らの卒業式や入学式にでましたが、起立されない先生方もいましたね。
「あ、やっぱりいはんねや」と思う反面、鼻白む(この言葉は辞書にありませんでした。でも私の気持ちを表してくれています。「しらける」という気持ちで使っています)思いを感じましたね。そのへんだけ違う雰囲気を漂わせていました。なんかそろって座ってはりましたね。やはり自分だけでは心細く徒党をくまはったんでしょうか。俺やったらひとりでも敢えてやるよ。

「子どもたちの祝いの場を恙なく執り行うよりも自分の主義主張を優先させはんねや、あなたたちは」と思いました。
まあ私もかなり偏固ですから人のことはとやかく言えませんが、年を重ねその場の雰囲気は少しは読めるようになったので、柔軟に対応しています(たぶん)。絶対譲れない部分はいまだにあるかもしれませんが、ね。

まあ人はそれぞれです。他人のことをとやかく言う前に己を律しましょうか。

今日はちょっと難しい話題で(俺がとやかく言うにはという意味です)あやふやな話になりました。すみません。

日本は好きですし異論はあるやもしれませんが国歌、国旗には思い入れ(いや違う、愛着かな)を感じます。(言うても「君が代」は完全には覚えてへんけどね)