後悔

2011年05月31日

今日はあまりに辛いことが起きてしまいました。辛いですが事実を明かします。ヒナたちがカラスに襲われたようです。巣が壊され、どこにも彼らの姿はありません。
夕べ、カラスが普段来ないところまで来てとまっていました。思えば偵察だったんでしょうか。嫌な予感がしつつも、なにもしてやれず、悔やまれます。痛恨の思いです。

いいおじさんが泣きそうになりました。いやほんとに涙がでました。

やるべきをやらぬと悔います。今後はそれを少しでも減らします。

「後悔」。後から悔いても何も残りません。

カラスにとっては生きるためには止むを得ぬ行為。責められないんでしょう。でも責めます。カラスは嫌いです。

書くことでそれが癒されるわけもありません。今日はこれ以上は勘弁してください。

目の検査は異常なしだったのが唯一の救いです。

弛んでます

2011年05月30日

雨があがり曇りになるような天気予報だったので自転車で出ました。止んではくれましたがちょっと肌寒かったです。思いの外早い梅雨入りでなんとも調子が狂います。心なしか体調不良です。

ここんとこ弛んでいます。二日続けて腕立てが0。(まあ過去にもありましたが一応その分取り返してはいます)天候の加減もあって走る方も今月は80がやっと。なんとも情けない状況です。明日から気合いを入れなおしてやります。というか今日は最低200はせんとな。

とりあえず明日は雨がないようなんで走ります。その後目医者へ行って右目を診てもらいましょうか・・・・・・。でも病院は嫌いです。んなこと言っていると手遅れになるし勇気を奮いましょう。いややな。

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週末見なかったツバメのヒナ。大きくなっています。かわいらしいったらありゃしません。見つめていると思わず知らず自分の顔がほころんでいるのに気がつきます。
目が見えるようになって、俺が彼らを見つめると彼らも見つめ返します。5羽の兄弟姉妹です。雌雄は不明です。
「早く大きくなりなさいよ」という思いと「いつまでもここにいてね」という思いが交錯します。でもやっぱりきちんときっぱり巣立って大人になってもらいましょう。

花の種を買いました。「苗を」とも思いましたが、一番安いそれでも70円はします。100は最低必要やし、種にして節約しました。苗の方が手っ取り早くていいんですが、種をまいてその芽生えを待つのも楽しみでもあります。うまく芽生えるかドキドキ感もありますしね。芽生え、開花を楽しみにしましょう。
エラブユリがつぼみをつけましたが、小さい。球根を掘り出してなんだかんだするという手間を惜しんだせいでしょう。手抜きはいけません、何においても。やれることを常にきちんとやるようにします。

では今から200は最低やってから寝ましょう。

ありがと

2011年05月29日

気づくと長女からの着信がありました。
休みの日はできるだけ携帯電話は遠ざけています。
「ん? なんやろな、なんかあったんかな」と思いつつ電話を返しました。

かいつまむと、身近な方が検診で癌がわかったとか。その方は私と同年輩のようです。
「パパ、健康診断とか受けてる?」
「いやあ、ここんとこ、まあな」
「一泊二日でそんなんあるし受けてな。残業いっぱいせなあかんかって給料いっぱいもらったし、武田病院で一泊二日やったら7万円くらいらしいし半分出すし」
「あははああ~ありがとう。気持ちだけもらっとくわ。わっはっは~」
「受ける気ないやろ。そやけどマジでうけてやあ」
「ありがと。考えるわ」とか返しつつ、、、、、俺を思ってくれるあいつにありがとうやね。

「ありがと」

いろんなことがあって親らしいことはなんもしてへんしな。まあ俺も娘らもなんとか生きているから、ええんやろね。

そう、まずは目を診てもらいます。なんか不調です。右目は靄がかかったよう、いや、それはおおげさというか、とりあえずちょっとまずいかなと思っていますです。
目えが見えへんようなったらつらいやろしなあ。

今少し自分の身体を大事にせなあかんね。


本屋大賞

2011年05月28日

本屋大賞受賞作を読みました。おもしろくなくはなかったんですが期待していたほどではなかったというのが正直なところです(回りくどいな)。帯には絶賛の言葉が並んでいますが、「それほどでは・・・」と思います。本屋さんという玄人が選んだということで期待が大き過ぎたんでしょうか。なんとか及第点はつけますが、それ以上にはね(「あんたに言われたないわ」と思ってはるで、作家さん『ですね』)。

自分が書けるわけでもないんで他者のことを云々するのはよしましょう(じゅうぶんしてるで)。

今その裏で読んでいるのは大崎善生さんの『スワンソング』。深いです(どのへんが?「そのへんです」まあ、そんなもんやろな)。

「鬱」や都会に生きる人の孤独が主題かなあ、今まで読み終えたところから察すれば、そんなところでしょうか。この後どんな展開が待っているのか楽しみです。

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今日のツバメたちです。表立っているのは3羽です。でも実際は5羽います。ここは野生の世界。ある意味厳しい弱肉強食です。強いやつは自分が前に出て餌をもらい、弱いやつは前に出られず後ろできっと空腹でしょう。育ちにも差がでます。

それでもみんな毎年元気に巣立ちます。そう、それを見届けるのはうれしくもありさびしくもあるんです。

ともかく無事に巣立ってくれること祈りましょう。

祈りつつやすみます。

余裕ある・・・

2011年05月27日

けっこう前から愛車ボルちゃんのどこからか「パタンパタン」という音が聞こえてきます。
「工具箱を出したときに荷物室のふたをちゃんと閉めなかったのかなあ」と思い確認すると確かにちょっと開いていました。それを閉め
「これでよし」と思って走っているとまだ音がします。
「???」わからぬまま数日が過ぎました。あるとき助手席側から荷物を下ろしドアを閉めると
「コトン」と音が。もう1回やって原因を突き止めました。サンルーフです。

(初めて自分で買った車にそれが付いていてその解放感に取り付かれ、代々それ付きに乗っています「って言っても5台目です」)

今日オイル交換にKオートさんへ行ったので、その旨を伝え、直るようならやってくださるよう依頼しました。

が、あまり状況は変わらず。んなもんでちょっと真剣に患部を診察。すると長年の使用でガラスとそれを挟む部分が離れていました。
「これやったら、両面テープでいけるかも」と、さっそく治療しました。結果大成功。鳴りやみました。

やっぱ長年連れ添った俺しかわからへんねんなあ、ごめんなボルちゃん気づくのが遅なって。

考えればサンルーフもここんとこあんま開けてへんかったです。ちょっとボルちゃんのそれは設計ミスか、風切り音が激しいんです。音だけならいいんですが空気が震えるのが耳に障るんです。振動、閉所、高所が苦手な俺の一番の苦手、振動があるのが難点で最近あんま開けてませんでした。晴れの日はせいぜい日の光を感じつつ運転を楽しむ余裕をもたせてもらいます。

ポツダム宣言受諾

2011年05月26日

LED電球が注目を集めているようです。節電にもってこいですから当然でしょう。
「ゼミでもそれに換えて節電に協力しようか」と考えてみました。でも長い蛍光管のものがざっと60本、その他の電球が20個ほどあります。電気代の節約になり、節電効果はあると言ってもLEDそのものが高価です。報道では少しずつ価格は下がってきていると言っていましたが平均で1,200円くらいの価格帯のようです。全部いっぺんに換えるとなると相当の出費です。「ちょっと厳しいかなあ」というのが実際でしょうか。

エアコンなども節電、省エネ型を盛んに売り込もうとしているようです。人の気配を感知してその方向へ集中的に風を送ったりいなくなるとスイッチが切れたりするのもあるようです。まあそこまでしてくれなくても部屋からいなくなるんなら自分でスイッチを切ればすむことですけどね。それにいくら節電と言っても本体自体が高い代物ですから壊れてもいないエアコンを買い換えるのはどうもひっかかります。節電にはなっても節約にはならないんじゃないでしょうか。

自宅の一部電球をLEDに換えるなどして、今少ししっかり考えてから実行するか否か決めましょう。


今日、保護者の方から手ひどくお叱りを受けました。「訳がわからん」とまで言われました。非は私にあるので致し方ありません。できる限り問題には迅速に対応しなければいけません。反省しています。
だいたいからしてやることが遅いんです。特に最近それが顕著です(あかんやん「です」)。そう思って今日はやるべきを片づけ、夜に先ほどの保護者に「電話をせねば」思った矢先に電話が先方よりあったんです。参りました。降参、無条件降伏です。

まだやらなけりゃいけないことが残っています。明日それら(複数か?「はい」)をやっつけましょう。でも正直、物理的、時間的に明日だけでは無理かもしれませんが、やれるだけやります。

そのためには早く寝なければいけません。今日は個別が延びて久々午前様でした。よってすでに2時前です。早寝よ。

でもまだ腕立てやってません。

三つ子の魂百まで

2011年05月25日

自転車で通勤していて思います。
「みんなマナー悪いな」と。
私が小学生のとき、校内で講習のようなものがあり、最低限のルールと技術がないと乗ってはいけないことになっていました。そう、伊丹市の天神川小学校です。
「左側を走りなさい」「二人乗りはいけません」「ブレーキは左右同時にしっかりと」「曲がる方向の手を水平に挙げなさい。それが不可能な状況なら反対の手の肘から先を直角に曲げなさい」などです。最後の項目を除いて今でも守っています。
「三つ子の魂百まで」でしょうか。

まあ人のことはともかく自分だけはちゃんとします。

小中高に教えてもらったことはよく覚えています。吸収がよくて定着の力も強いんでしょう。「浄土法然真宗親鸞時に一遍臨済栄西曹洞道元法華日蓮」なんていまだに呪文のようにすらすら出てきます(と言いつつ今変換に戸惑いました)。
まあ、生徒諸君のように若い頭の時にいっぱい学んで吸収してほしいですね。俺くらいの年になるとなかなかに新しいことが頭に入りません。漢検もだいぶ前に2級を受けておいてよかったです。今ならあんまり合格する自信がありません。準1級も勉強しましたがちっとも残りません。みんな若いうちにいっぱい学んでほしいですね。


昼一、外の空気を吸っているとMYくんに会いました。なんでも腰を痛めて仕事を辞めたそうです。まだ18歳と若いのに大変です。
夕方自転車を並べているとSSくんに会いました。リクルートスーツをまとっています。
「おお、久しぶり」
「わからはります?僕のこと」
「わかるよ。Sくんやろ」
「今家にいるの?」
「そうなんです。就活中なんです」
「そうか4回生か。大変な時期にあたったなあ」
「今日も・・・の面接を受けてきたんですよ。なかなかうまくいかなくてしんどかったんですけど最近やっとコツがつかめて光が見えてきた感じなんです」
「そうか、祈ってあげることくらいしかできひんけど、がんばりや」
「はい、ありがとうございます」彼はK大へ進みました。中学では陸上部で全国へも行った強者です。

AEくん(高2)にもひさびさ会いました。元気そうでしたね。彼は先のMYくんの弟MMくんと懇意です。

日々誰かれとなく会っています。それだけ長く生きていろんな出会いをもったということでしょうかね。小田和正さんの詩に「自分のことを知っている人がこの世にどれだけいるんだろう」というような意味の言葉がありますが、果たしてこの世に私を知る人は幾人いらしゃっしゃるんでしょうか。数えてみたらおもしろいかもね。

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今夜のツバメの巣です。狭いところに親子7(6)人(羽)が肩を寄せ合っています。親御さんたちが昼間の給餌に精も根も尽き果てたという感じが伝わってきます。

「がんばれ!子育て 巣立ちまで」と祈りつつやすみます。

漢検

2011年05月24日

「漢検」さんからお電話がありました。1回の検定につき3~4回はかかってくるでしょうか。普通なら「しつこい、面倒臭い」と思うところですが、その内容、言葉遣い、物腰、すべてが完璧なんで、思わずうなるほど感心させられます。もちろん時間のないときは事情を言って改めてもらいますが、それをさせないくらいの丁寧さです。

今日の電話は
①「いつも合格率が高いのは何か秘訣があるのか?」
②「毎回20~30名以上の受験者がいるが、どうやって募っているのか?」という質問でした。
①については「秘訣はありません」とお答えしました(なんや愛想ないな)。事実ですからそのまんまに伝えました。
でも、意外だな。合格率が常に80%を超えているということと、それが「高い」ということにもね。
②については「共催塾の応援があります」と答えたかな。これもそのまんま。うちが10くらいなら先方さんも同数くらい、こっちが20なら先方が10数名とか、そんな感じですかね。

まあ漢字はなんや言うても親近感があります。ふだん一番身近です。英検、数検はどうしても勉強的で敬遠されがちです。

「漢字は基本」とよく言われますが事実ですね。字が読めへんかったら何が書いてあるかわからんし、何が問われているかもわからへんもんね。

計算も加減乗除の基本は最低限しっかりやっておきたいです。「読み、書き、計算」は大事でしょう。微分、積分や三角関数や指数、対数のそれは理系の大学へ行く人だけでええかもね。それらはまったくわからんかった。いや単位をいただくだけの努力はしたかな。まったく残っていませんが。

そこまでの難しい数学や科学の力はそっち方面に強い方に任さざるをえませんが、生きていくうえで必要な基礎知識はしっかり身につけてほしいですね。


小1のTRくんを迎えに来てくださったお母さまがゼミのツバメの巣を見つけ、感動の面持ち。
「うちにも作りかけてたんですけど途中でやめたんですよ」
「そうですね。偵察だけしてやめることもよくあるんですよねえ」とか話しつつツバメの飛来に感動できるお母さんにうれしくなりました。

「なんやそれ。どうでもええやん」で終わらせずに小さな命の存在を素直に喜べることは尊いです。なにげないこと、些細なことに気がつける余裕を持てる日々を送りたいものです。

あ、そうそう、今日久々にTIくんに会いました。小学生の授業中、ゼミの前を自転車で通りました。懐かしいのか彼も教室2階を見ていました。それを見つけた俺は授業中にも関わらず思わず窓辺へ駆けより
「おおI、元気か? 野球たいへんか? がんばれよ」
「あ、はい。ありがとうございます」とにっこり笑った顔はすっかり成長した高校生でした。言葉づかいまでしっかり大人になっていました。

いや、大きくなります。

野性

2011年05月23日

授業の準備をしていると外に美人の女性がいます。目があって二人は恋に落ちました。いや違う。よく見ると、というか、かつての教え子SSさんです。思わず駆け出し、いろいろしゃべりました。一気に30年くらい前に飛びました、よ。

懐かしい。さて何年会っていないんでしょうかね。ゼミ近くに畑を持つSさんの末っ子です。あのSちゃんがすっかり、しっかりお母さまになっていました。月日の流れを感じざるを得ません。あのころ私は26、27歳くらいだったでしょうか。Sちゃんは小5かそこらのちびっこでしたね。

関東方面へ嫁入り、栃木にいらしたんですが、震災もあってこちらへ。彼女のお姉さんからその事情は聞いていました。その小1のお子さんが6月から来てくれるようです。ありがとう二世代目です。

そう、三姉妹そろって来てくれましたね。みんな優秀、K女へそれぞれ中学、高校から進学しました。今でもその授業中の景色ははっきり覚えていますね。三人そろってしっかりした子たちでした。

6月からそのご長女が来てくれます。なによりの喜びです。その出会いを楽しみにしましょう。

ツバメのヒナが大きくなってきました。競って親の愛(餌)を受けようとみんな必死です。かわいいですよ。でも裏には兄弟姉妹にも負けてはいけない本能を感じます。
野性ですね。生きなきゃあね。

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どうぞ5羽のヒナ、みんなの恙なき成長を祈ります。

アサガオも側溝からそのたくましき芽を、蔓を伸ばし始めました。そのたくましさを見習わなければと、思いつつやすみます。

それがために

2011年05月22日

新聞に折り込まれていた旅行のチラシに「利尻・礼文さいはて大自然の楽園3日間」とあります。119,980円から199,980円(2名1室)と幅広い価格帯です。関空から稚内空港まで直行なのが「売り」ですね。
先日会った先輩のT氏も
「もう1回ぜひ行きたいところ」とおっしゃっていました。最北の地ですから訪ねるのに最適の期間は限られます。5年ほど前、連休だったかに宗谷岬まではいきました。寒かったですね。北海道は内地とは感覚が違います。同じく連休に訪れた襟裳は4℃だったと記憶しています。ある意味異郷です。だからこそよさを感じるのかもしれません、自分の青春が詰まった地だから格別の思い入れがあるのも事実でしょう。いいところです。時間とお金に余裕があったらぜひ訪ねたいところです。

北海道に限らず行きたいところはまだまだ残されています。国内でもいっぱいあります。未踏の長崎、鹿児島、沖縄はもちろん、立石寺、日光、知床、岩宿、浦賀、天竜川、菊池川、奄美、屋久島、小笠原などなど、きりがありません。

海外も途中の飛行機が省略できるんやったら(いや、それは無理やろ)行きたいとこいっぱいありますね。これこそ列挙したらいつまででも続くんでやめます。

でも一つだけ挙げるんやったらどこやろ? 考えておきましょう。

今日も衣中テスト対策で授業でした。朝は眠たかったですね。クラブや家の用事で出席率は100%とはいきませんでしたが、来た子たちはがんばってやていました。結果を期待しましょう。

しかし、なんですな。やはり週に1回はやすみたいですね。

という気持ちを持ちつつも
「ちょっとでもみんながええ点をとってくれたらええなあ」と思ってます。そやし、そうあってほしいですね、生徒諸君にはね。

正直やすみをつぶして、朝早く起きるのが苦手な私がなんとかやっているんですから、それなり成果を出してほしいですよ。成果があればそれで私は報われますからね。

そう、そうです。そうなんです。

それがためにやっています。

では

朝から衣中のテスト対策。みんながんばったです。

その後突然の面談。

で、私的な会合。

今日もいろいろありました。

そう生きてあらばいろいろあるんです。

で、明日もテスト対策ですから寝ないばね。

今日はここまで。

寛恕

2011年05月20日

暑かったですね。チラシをポストに入れつつ1時間半ほど走りました。まさしく趣味と実益を兼ねています。300枚くらい撒けました。いることがわかっているシェパードに手ひどく吠えられびっくりしました。

汗だくでしたね。いったん帰宅してシャワーを浴びて出勤しました。今日に限らず走った後のシャワーは必須です。といっても今だから「汗をかけばシャワー」というのが当たり前になっていますが、それはいつのころからでしょう。学生時代はもちろんありません。銭湯でしたね。所帯を持つまでですからけっこうその期間は長かったです。夏は練習後、体育館の水だけシャワーを使った覚えがあります。下宿でも共同の炊事場からホースをつなぎ如雨露の先をつけた簡易シャワー(?)をよく使いました。

子どものころはやはり銭湯へ行った記憶があります。昔は女性は髪を洗うと割増料金でしたね。その後住んでいた長屋では4軒でひとつの共同風呂を沸かしていました。当番で沸かしたり掃除したりしていました。水は毎日替えません。垢や髪の毛をとるために新聞紙を水面に浮かべ、くっついたそれらを除いていました。
今では信じられない昔語りです。

風呂でそんな調子ですから室内の「涼」なんてもちろん扇風機があればいい方です。でも暑さに茹だった記憶はありません。まあそれなり暑かったんでしょうが、なんともしようがありませんからそれが当然だと思っていたんでしょう。

風鈴の音に、水中を泳ぐ金魚に涼しさを感じたのは昭和に生きた人はみんな同様なんではないでしょうか。環境的には今と比べ格段の差があったとはいえ、そんな中でもみんな生きてこられたんですから、あまり贅沢を言わずに日日を過ごさなければいけません。

折しも地震の影響で節電の努力が余儀なくされています。30年、40年前に戻るのは無理としてもできる協力を心がけましょう。

すでに実行しています。今までなら早めに点灯してた照明は生徒が来る直前につけています。かなり暗くなるまで看板や門燈もつけぬようにしています。車もゼミもエアコンはまだまだ。使わぬ電気製品はできるだけ元栓を抜くようにしています。小さなことですが、積もって山になってもらいたいですね。とか言いながら毎夜の夜更かし。これは感心できません。起きていれば電気を消費します。
この駄ブログは無駄の最たるものかもしれません。明日からやめ、ません。すみません。私の楽しみ(?)のひとつなんでご寛恕くださいませ。

ということで、ええ加減にして寝ましょう。

孵化

2011年05月19日

今日は暑かったですね。朝ポスティングをして汗。ゼミへ行って掃除をして汗。
もっとも風はさわやかで気持ちのいい暑さです。

その暑さに誘われて生き物たちが初夏のご挨拶です。

ツバメの雛が孵りました。まだ自分たちから鳴いてえさをねだりませんが、頭や嘴が巣の上にのぞくようになりました。成長が楽しみですね。左はカメラを構える私を警戒する親鳥、左は嘴を突き上げる雛です。

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オーシャンブルーも少しその蔓を伸ばし始めました。いつもより本数が少ないのが気にかかります。例年のようにゼミの壁面を覆ってくれるまでに伸びてくれるのでしょうか。期待しましょう。(今日は写真はないので明日以降いいのが撮れればここに載せましょう)

原谷つゆはらゼミでは、今年初めて「てっぺんかけたか」を聞きました。まだあまり上手ではなく「てっぺんかけって」というふうに聞こえます。
これから少しずつうまくなるのかな。待ちましょう。

今日は京都文教のS氏とIさん、京都学園のN先生が来られました。両方が持って来られた進学実績に「釧路公立大1名」とありました。
「京都から釧路へ行ったらびっくりするやろなあ」と思いました。

HKくんのお母さんから電話があったようです。また来てくれます。ありがたいことです(進級して、クラブの関係で1年やすんでいました。それが戻ってくれるようです)。

なんか小学生の作文のようになってきました。

今すでに2時を回りました。これから腕立てやって寝るんはしんどいけど、、、やりますわ。

では。

今できることを

2011年05月18日

ヤマト運輸が嵐電(京福電気鉄道嵐山線)と電動自転車を使った宅配を始めるそうです。ねらいは二酸化炭素の削減と景観保全、渋滞緩和だそうです。トラック台数の抑制で年間30㌧以上(それがどんな量だか想像もつきませんが、気体の30㌧ですから膨大な量でしょう)の二酸化炭素排出量を減らせるそうです。

佐川さんでもだいぶ前から自転車による宅配をやってますよね。これは新聞には取り上げられていませんが、それは何か理由があるんでしょうか。電車利用の有無がその差でしょうか。
まあ佐川さんにせよヤマトさんにせよ、これから梅雨を迎え、雨や暑さで大変でしょうが、がんばっていただきたいものです。

ゼミでも家でもできるだけ不要な電気は使わないようにしています。小さなことしかできませんが、できることだけはさせてもらおうと思っています。

今日教材の出版社の方が来られました。夏休み用の教材を持ってきてくださいました。その表紙が東北のお祭りで彩られていました。仙台たなばた、青森ねぷた、福島野馬追い、岩手さんさ踊り、だったかな。教材の売り上げの一部が義援金として寄付されるようです。すてきな取り組みです。それぞれができることをしていきたいです。

所属する京都私塾連盟でも約40の塾が、被災して京滋に避難している児童、生徒を原則無料で受け入れる態勢を整えています。これをご覧の対象の方がいらしたら、うちのHPトップページの該当バナー(というんでしょうか)を見てください。

実はもう一つ、イベントをして義援金を集める大きな企画があったんですが、残念ながら流れました。まあ多少の無理はあったそれですが、やったらそれ相応の評価ができるはずだったんですが、各塾の思惑の違いもあっておじゃんになりました。
自分にできることを考えてやりましょう。

十人十色それぞれ思うところは違います。それらをまとめるのはなかなかに難しいです。個人でやるしかないのかもしれませんが、「個」の力はたかが知れています。でもそのたかが知れている「個」をまとめて大きな力にして今できる貢献をやりたいですね。

(あんた、さっきから「やりたいです」「やりましょう」ばっかり言うてるけどほんまにやりや)

そうですね。小さくてもできることをやります。

小3の国語の授業、接続詞です。いつものように
「つゆはらせんせいは男前だ。でも、女性にもてない」とやると、みんなが一斉に
「ええ~っ」そこでKKくん。
「いや、ちゃうねん。つゆはらせんせは髪形はかっこええ、目えもかっこいい。そやけどそっから下があかんねん」おもろいですね。正直です。
「Kくんの目には俺はそんなふうに映っていたんか」と思わずうなりました。俺の顔下半分の何が「男前」を否定する材料なのかな。無論本気で自分を男前と思っていてこんなことを綴っている訳ではありません(念のため「いちいち言わんでもみなさんわかってはるで「ですよねえ」)が、とっても興味深いやり取りでした。

子どもは思ったこと、感じたままのことを口にします。それが大変おもしろいなと思いつつ日日楽しんでいます。

国歌、国旗、君が代、日の丸、愛着

2011年05月17日

大阪の橋下知事が「君が代不起立の教員は免職」との考えを表明しました。過激ですね。「日本人なら普通立つやろ」と思う私は同じく過激ですかね。

それが政治的、法律的に是か非なのかは私にはわかりません。個人的には日の丸、君が代は好きです。というか国際試合などで国旗掲揚、国歌斉唱となると涙が出ます。あ、でもこれは違いますね。旗、歌に対するそれではありません。それを体現してくれた選手の努力、喜びへの感動でしょうかね。けっして国粋主義者ではありませんが、愛国者ではあります。自国の選手の活躍の結果、そこにある国歌、国旗はその国民にとってそれほど喜ばしいことはないんじゃないかと思うんですがね。

オリンピックなどで他国の選手はもちろんその国民すべてが国旗掲揚のさいに最高の敬意を示している場面には羨ましい気持ちを覚えます。

自国の国旗、国歌に敬意を感じられないのは悲しいですね。
「日の丸も、君が代もそれではない」と言われる方には当然のことかもしれません。でもそう思われる方々はなにをそれらとされるんでしょうかね。オリンピックで日の丸が揚がってもなんの感慨も得られない日本国民は寂しくないのかなあ。

そもそも土俵が違うから議論の対象にならないのかもしれません。

ずいぶん昔、娘らの卒業式や入学式にでましたが、起立されない先生方もいましたね。
「あ、やっぱりいはんねや」と思う反面、鼻白む(この言葉は辞書にありませんでした。でも私の気持ちを表してくれています。「しらける」という気持ちで使っています)思いを感じましたね。そのへんだけ違う雰囲気を漂わせていました。なんかそろって座ってはりましたね。やはり自分だけでは心細く徒党をくまはったんでしょうか。俺やったらひとりでも敢えてやるよ。

「子どもたちの祝いの場を恙なく執り行うよりも自分の主義主張を優先させはんねや、あなたたちは」と思いました。
まあ私もかなり偏固ですから人のことはとやかく言えませんが、年を重ねその場の雰囲気は少しは読めるようになったので、柔軟に対応しています(たぶん)。絶対譲れない部分はいまだにあるかもしれませんが、ね。

まあ人はそれぞれです。他人のことをとやかく言う前に己を律しましょうか。

今日はちょっと難しい話題で(俺がとやかく言うにはという意味です)あやふやな話になりました。すみません。

日本は好きですし異論はあるやもしれませんが国歌、国旗には思い入れ(いや違う、愛着かな)を感じます。(言うても「君が代」は完全には覚えてへんけどね)

甲乙つけがたい出会い

2011年05月16日

ここのところ新しい作家さんとの出会いに恵まれています。
読む人読む人みんなおもしろく、外れがないんです。
白石一文さん『永遠のとなり』、糸(ほんとは「糸」が横に二つ並ぶ「いと」なんです)山秋子さん『イッツ・オンリー・トーク』、瀬尾まいこさん『優しい音楽』、仙川環さん『潜伏』、西加奈子さん『さくら』などなど、そのすばらしい出会いをあげれば枚挙に暇がないくらいです。甲乙もつけがたいです。

「生きる」とは「人生」とは「愛」とは「家族」とはをしみじみじんわり、ほのぼのふんわり、ときに厳しく突き刺さるように味あわせてくれます。現実では体験できない世界をさまようことができます。ある意味現実逃避の面は否めませんが、現実の中には小説以上の展開が待ち受けていることもあります。「事実は小説よりも奇なり」を地でいくことも現実にあります。それだから人生はおもしろくもあり、悲しくもあり、楽しくもあり、しんどいこともあるんでしょうかね。

まあ生きているといろんなことが起こります。それはそれで楽しみつつ与えられた人生を送りましょう。

今日、表で雑草を抜いていると
「せんせ~」と疲れた声。見ると紫野へ通うSTさん。
「もうあかん、テスト。」
「テスト中かあ?」
「うん」
「今、高2か?」
「はい」
「まあ、そう言わんとがんばりや」と言いましたが大変でしょう。高校の勉強は難しかったですね。中学までは学年で1、2を争った、いや嘘です。まあなんとかけっこういい成績をとっていた私でしたが高校では周りの賢い人たちについていけませんでしたね。数学なんてなんとか最後までやりましたがまったく残っていません。だいたいsin cos tan なんて生きていくうえで役立った記憶はない。指数関数とか対数関数なんて言葉を覚えているだけですからね。

よくも単位をもらって曲がりなりにも卒業したものです。でもみんな賢かったなあ。しみじみ同級生の優秀さを思います。思いながらやすみます。

清水、一保堂、ゆったり休日、かな?

2011年05月15日

清水焼団地へ行きました。初めてです。閑散としていました。もっと人がいっぱいいて賑わっていると思いましたが、さにあらず。窯元さんが集まって陶器を焼いたり売ったりしている町なんでしょうが、ほとんど人通りはありません。
最初に行った組合の展示場みたいなところで、今日開いていて店売りをしているところを教えてくれました。そこでいいのがあったんで、その窯元を訪ねてもいいかなと思いました。
で地図をいただいて訪ねましたが中が見えません。入りにくいです。他の店も同様です。一度入ると買わずには出てきにくいです。まるでタクラマカン(ウイグル語だかで「入ったら二度と出られない」という意味です)砂漠です。けっきょく気弱な(誰が?「俺です」ふ~ん)私はどこにも入らず元のところに戻っていました。
飲食店なんかでもそうですが、なかなか戸を開けづらい、入りにくいっていう店がありますよね。塾でもいっしょかなあ? といって「入りやすい」を塾でどう体現したらいいかはわかりませんが。まあしっかり考えましょう。

ご飯茶わんを買いました。湯のみと茶碗は萩焼が好きで割れたり欠けたりするごとに買い換えつつ、ここ30年近くずっと使い続けていました。先日、というか半年くらい前に愛用のご飯茶碗が欠けました。まあ使うに問題はないんで使っていましたが、なんかちょっと違和感をもちつつでした。

今日、先の団地で「これだ」というのが目にとまりました。もう一ついいのがあったんですがそちらは2,500円と普段使いにはちょっと高い。んで最初に見つけた飯茶わんを買いました。外側は茶色ですが釉薬の具合か微妙な色合いを見せてくれています。
こういうもんは直感ですよね。「あ、これ」と思ったやつを、その時に手に入れなければいけません。逡巡すると後で悔みます。本もいっしょですね。

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帰り寺町の一保堂さんへ寄りました。そろそろ新茶の時期です。まさしく今日からその販売だったんです(偶然)。持ち帰り用の冷たい煎茶を購入。新茶です。380円となかなかのお値段ですがその価値あり。まろやかな中に渋みと甘みが絶妙に混在。美味でした。

ちょっとまたパソコンが不安定。またどっかで途切れるかもしれませんので、とりあえず更新しておきます。

相変わらず「だからなんなんや」ですが、今日は休日をゆったり過ごさせてもらいました。衣中の定期テストも間近です。明日からまたがんばります。


クールビズ

2011年05月14日

環境省が「スーパークールビズ」と称してジーンズ、ポロシャツ、スニーカーで勤務可とするようですね。職場内では無地のTシャツやサンダルもOKだそうです。アロハもいいというのですからおもしろいです。軽装導入で冷房温度を28℃に設定し電力消費を抑えようという目論見です。ゼミでも実行してみたいと思いますが28℃は果たしてどうなんでしょう。夏の盛りにはきつい気もします。

企業や地方の役所でも「クールビズ」を前倒しで始めているようです。私も今日のロボット教室は綿パンにボタンダウンシャツでノータイにさせていただきました。爽やかな日だったので快適に授業ができました。

例年そうなんですが、ちょっと早めに来週からは原則ノータイでやらせてもらおうかと思っています。

微力でもできることをせなあかんなと考えています。

修学旅行

2011年05月13日

衣中生が修学旅行から帰ってきました。
行き先は沖縄です。お土産をもらいました。紅芋のパイやかりんとう、マンゴー餅やシークワーサーシューなどです。極めつけはゴーヤジュース。中2のときにTkくんとの間である因縁があり、それを踏まえて彼が私に飲まそうと勇んで買って来ました。どうしてもその場で飲んでほしいと言うので一気飲み。りんごとよもぎが混ぜられており苦味はそれほどありません。かえって甘みを感じるくらいです。また買って飲みたいとは思いませんが、まずくはありませんでした。

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でもなかなかみんないいとこありますね。ありがとうTKくん、HRくん、NHくん。自分が中3のときここまで気配りができていたかと言えばできていなかったでしょう。

それにしても豪勢ですね沖縄とは。私は中3時は北海道釧路在。行き先は支笏洞爺、札幌方面だったと思います。あまり覚えていません。男子(私も男子ですが)が2階のベランダで騒いでいて、叱られていたような・・・・・・私はその中に入ってはいなかったと思います。あ、昭和新山の硫黄のにおいが強烈だったのを思い出しました。

小学校は阿寒ですね。霧などでなかなか美しい湖面や全景を見られないと聞いていた摩周湖が運よく見られ、絶景だったのを思い出します。

高校は京都、奈良、東京でした。驚くなかれ移動は列車ですよ。釧路ー函館は当時の特急「おおぞら」だったかな。青函連絡船に乗り継ぎ、青森京都間はどっち回ったかなあ、覚えていませんが、車中は長かったですね。でも、みんなといっしょにしゃべったりトランプしたりであまり退屈、苦痛を感じた覚えはありません。

京都で三泊しましたね。嵐山や金閣、銀閣はみんなで行きました。自由行動では清水寺や哲学の道を散策しました。お好み焼きを食べたなあ。

奈良では東大寺へ行ったなあ(たぶん)。

(なんか他人にはどうでもええ思い出話になってきました)

帰路は東京経由です。朝、京都を新幹線でたち、到着後、東京自由行動でした。そばを食べました。なんも知らんくせに
「東京はそばやろ」とか思いつつね。思えば生意気な高校生でした。

一番印象的なのは旅行中に私の誕生日があってみんなが祝ってくれたことです。
そしてその京都で歴史に触れ京都の大学を選び、今ここ京都にいる自分の原点を作ってくれたのが、、、その修学旅行だったのかもしれません。

そう、人生どこでどうなるか、どんな人生を歩むかはまさに「神のみぞ知る」という気がしますが、違いますでしょうか。

ご縁

2011年05月12日

小3の授業でIKくんが言います。
「今日お父さんの誕生日やねん」
「そうか、そうか」お父さんは教え子です。お迎えに来たお父さんに下の名で声かけ。「Tくん、お誕生日おめでとう」
「ええ、よう知ったはるわ」
「いや、さっきKくんが言うててん」
「アラフォーですわ」
「40か?」
「せんせ、いくつにならはったんですか?」
「もう54やで」
「いろいろ大変ですわ。介護のこともあるし、仕事もがんばらなあかんし、家のローンに子どもの教育に・・・・・・」
「そんな年になってんなあ。誰といっしょやったっけ。Oくん知ってるか」
「いや、ぜっとんとかKとかといっしょですわ。Nさんのお母さんのFさんは1こ上でしょ」
「ああ、そうかあの辺か」とかなんとかしゃべっていると息子のKくんが
「なにしゃべってんのん」
「いやな、おとうちゃんがここへ来てた昔の話しててん」25年になりますか。彼が中3を卒業して。早いものです。「10年一昔」から言うと「二昔半前」と言うことになります。
ありがたいことです。二世代にわたる生徒。そういえばKくんの妹、Nちゃんのお迎えに来てくれているおばあちゃん(失礼)はTくんのお母さん。昔何度も面談でお話しさせていただきました。ほんとにありがとうございます。

今日原谷で中2Tくんが来てくれました。先日体験に来てくれた子です(私は今日が初対面です)。
申込書を見ると「兄弟姉妹が通っていた」に〇があります。
「ん?」と思ってよく見るとNちゃんの弟くんでした。
「ん?」と思ってよく見るとNちゃんに似ていました。

ご姉弟で来てくださってありがとうございます。お母さまにお礼の電話を入れました。
「このたびはまたよろしくお願いします」
「いえ、こちらこそありがとうございます。またご縁ができてうれしいです」

そう先日のFKくんも昔地域でお世話になったFさんのお孫さんです。どこかでつながるなんらかの縁。それらのご縁に感謝しつつやすみます。

人との出会いは大切にしなければいけませぬ。

寝坊

2011年05月11日

寝坊しました。会合に遅れたわけではありませんが
「早起きしてゆっくり朝食をとって余裕をもって出よう。8時に起きて9時だな」と考えていました。

何のことはない目が覚めたら8時36分。ご飯なんて食べる時間も気力も無し。冷蔵庫にあったゼリー飲料を持って車に乗りました。

いけませんね。早寝早起き、節制を心がけましょう(あんたには無理でしょ)。ここのところどうも夜更かしが過ぎています。健康あっての物種です。私が体をこわしたらゼミのみんなに迷惑をかけることになりますから心しなければいけません(聞いたで)。

まあしかし言い訳です。帰りが毎日11時~12時やし、それからご飯食べて腕立てしてブログ書いてシャワー浴びたら遅くなります(せんでもええことをはしょったらええんちゃうのん「はしょるのないもん」)。


今日の会合は京都橘高校の先生方のお話が中心でした。なんでも東京大学に現役合格者が出たということです。他にも京大、阪大、神大など国立へけっこう進学しています。すごいですね。正直十数年前の橘さんではなかなか考えられなかったことです(失礼)。学校をあげての改革が成功したのでしょう。すばらしいですね。見習わなければいけません。

それはともかく会場が寒かったんです(眠くもありました「はいはい。それはあんただけやね」たぶん)。空調が入っていたと思います。窓の開かぬビルの一室ゆえ止むを得ないのでしょうが、まだちょっと早いような気がします。エアコンスイッチオンは。ただ座る場所や個人の体感でずいぶん違うので難しいんですよね、調整が。教室でも同じです。今日も上着を脱いでいた方もいらしたし、女性陣は寒そうな感じの方もいらっしゃいました。

会合の帰りに弁当でも買おうと入ったスーパーもクーラー効き過ぎです。浜岡原発の停止もあるし、直接的には関西の節電は役に立たないのかもしれませんが、気持ちだけでも電力消費を抑えようと思う私は変なのかなあ。
夏の銀行とか百貨店など冷え過ぎを少し抑えて環境のことを考えたいものです。

「うちはまだまだエアコンはつけませんよ」と思っていたら昨日、バイトの講師さんが生徒に請われてつけちゃっていました。まあしゃあないか。

脱原発を声高に叫ぶつもりはありませんが、この際だしちょっと真剣にエネルギーについて考えてみたいものです。

では今宵も更けました。シャワーと腕立てがまだです。二つともできるなら省略したいんですが、それは信義にもとるんでやってからやすませていただきます。

今日。会合に出た後いろいろ不測の事態がいくつか出来(「しゅったい」です。念のため)。大汗をかいて、なんとか収拾。おかげで紙仕事が予定の半分も片付かず、明日は大変だ。早起きしてやっつけます。


雨の日自転車、ありがとう

2011年05月10日

激しい雨が降るかと思えば急にあがったり、なんか変な天気です。じめっと蒸し暑くまるで梅雨のよう。

中2FYくんはその合間をぬって自転車でやってきます。
「ぬれへんかったか?」
「はい、今やんでます」
「そうか。よかったな」
彼はいつも自転車です。授業中激しさを増した雨に
「帰り送ったるし、よかったら遠慮せんと言いや」
こっくりうなずきます。

今日自転車は彼だけ。お家の事情か方針か難しいことは抜きにして「えらいな」と思います。そんなにまでして来てくれる彼に感謝です。

雨の日に生徒たちを送ってくださるお家の方々にも感謝です。送ってもらっている生徒たちにも言わんとね「感謝しいや、親御さんに」と。

なんかいつものことながらまとまりのつかない話で、どうしめようかと困っています。(いつものことやね「はい」)

まだ腕立てやっていないんでこれからやってしめ具合を考えまする。

今200はなんとか終えました。あ~しんど。

明日は朝一会合です。紙仕事いっぱいなんで・・・・・・でも行ってきます。

おやすみなさいませ。

(これが考えた末の「しめ」です。こんなやつですが今後もよろしくお引き立てのほどを御願い奉り候)

『遠くへ行きたい』

2011年05月09日

暑かったですね。自転車でゼミまで行ったことを後悔するくらいでした。
授業中も窓を開けていましたが、エアコンをつけたくなりました。もっともこのご時世ですからもちろん自重しました。

と思えば北海道石北峠では積雪があったとか。この時期雪が積もるんすですから、さすがに北海道です。石狩地方と北見を結ぶ道路なんで「石北」の名があります。1000mを超える標高、5月の雪も十分あり得ます。聞けば大雪山系の宿泊所では年中ストーブは据えたっきりです。私のいた釧路でも雨が降れば7、8月でも肌寒さを感じたものです。

日本は狭い、小さい国と言われますが、なんのなんの北海道から沖縄までだとおよそ3000㎞はあります。面積も日本より大きい国の方が小さい国より少ないはずです(確か)。沖縄は梅雨入り、北の地は雪。なんとも縦長の国土を感じるのは私だけでしょうか。かの地で四季を肌で感じた私だからその差に注意、興味がいたるのかもしれません。

北海道はたいへんすばらしい地です。あちこち行きましたが、一番かな。行っていないのは沖縄と、鹿児島、長崎です。そこらに北海道を超えるよさがあるかもしれませんが、今のところやはり北海道です。

奄美や佐渡、五島列島、壱岐、小笠原など離島も訪れたいです。北海道でも奥尻や利尻、礼文は未踏です。聞けば利尻、礼文は最高のようです。いつか行ってみたいものです。でも夏でも寒いかの地ですから覚悟は必要ですね。

行っていないのは先の3県ですが、行った都道府県でも見たいところ、食べたいもの、触れたいそれらをすべて感じた訳ではないので、まだまだ課題は多く残っていますね。

全部を存分にと思うと何年が必要なことでしょう。

ここまでで触れなかったところだけでもいっぱいあります。

立石寺、東照宮、恐山、久能山、などなどきりがないですね(というほど多ないやん「はは。やね」)。

これが世界になるともっといっぱいですね。

いくら生きても全部行ききれないですね。というくらいきっとたくさんあるんでしょう。まあ海外はちょっと置いておいて国内で回りたいところだけでも行きたいですね。

どこかへ行きたいという欲は尽きませんね。欲深男の欲求は置いといてやすみましょう。

『遠くへ行きたい』という番組は今でもやっていらっしゃるんでしょうか。憧れましたね。もっと憧れたのは兼高かおるさんの『世界の旅』です。当時は無理勝手に海外へはいけませんでした。その時代に世界を飛び回る彼女はかっこよかったです。

今はちょっとがんばれば、というか、自分の子ども時には夢のまた夢、いやもっと向こうにあった海外旅行がその気さえあればいつでも行けるほど身近になった今は、俺としては信じられません、ね。

心をこめて

2011年05月08日

テレビでパンやコロッケ、トマトなど心をこめて作った商品が紹介されていました。
何年も待たなければ手に入らないような順番待ちの状態のようです。値段もそれぞれの普通の価格に比べると数倍から10倍近いようですが、それなりの理由があり、納得できる価格でしょう。

共通点はひとつひとつ手間暇かけて食べる時のお客様の顔を思って作っていることでしょうか。私も常々、生徒やその向こうにある保護者の方の幸せを願って仕事をしているつもりですが、まだまだ甘い面もあったなと素直に思います。

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植物園へ行きました。暑かったですね。アネモネやサツキ、シャクナゲ、デージーなどがいっぱい咲いていました。

けっこう歩いて脚がだるいです。歩くのは走るのとはまた違う筋肉を使うようです。
んで、その後軽く走って回復しました。走ると脚が元気になります。

とはいっても脚(足)の疲れは気になります。そこで足ふみ健康器を買いました。大枚525円をはたきましたね。
これ快適。足裏がとっても痛気持ちいいです。いや、ほんま痛いけどとっても気持ちいい痛いんです。よくテレビなどで足裏マッサージでタレントさんが叫んでますが、たぶんあれはほんまに痛いと思います。
やってもらったことはありませんが、病みつきになりそうな気がします。

たった525円で得られるこの悦楽。痛いけど、たまりませんね。

これからそれを踏んで明日からの1週間に備えましょう。

親孝行

2011年05月07日

学生時代のクラブの新歓コンパ(合コンではありません)に出席。
82(83かな)歳の大先輩から18歳の1回生までなんとも年齢差のある集まりです。
学生時代に同じ部に所属したとはいえ、現役時はまったく接点はありません。もちろん現役の学生たちは我が子世代です。
それでも一同に会すれば「おまえ」「おれ」「先輩」「後輩」の関係が瞬時に成り立ちます。
不思議です。でも、いいもんですよ。「同じ釜の飯を食った」間柄と言っていいんでしょうか、ね。それぞれが過ごしたそれぞれの時代にそれぞれの思いが飛びます。


今の選手たちは優秀です。全日本で優勝したり、ユニバーシアードに出場したりしています。極めつきは次のオリンピック、ソチを狙っている後輩(女子)KMさんがいます。是非とも行ってほしいですね。それは立命スキー部の誇りになります。

俺たちのときのへっぽこスキー部とは雲泥の差があります。その中でも俺なんてお荷物以外のなんでもない存在だったからOB面してこんな会に出席していることがちょっと気恥ずかしいんですよね。

まあしかし、自分なりには当時やれることはやりました。雪の上では遅かったけれども陸ではけっこう速かったです。1㌔を3分少しで走れましたね。今は全力で4分数十秒、フルだと5分30秒以上かかりますね。

当時鍛えたから今もフルを完走できる力を保てたんだと思います。そういう意味では感謝ですね。あのころには戻れませんが(戻りたいかといえばそうでもあり、そうでもなしかな)懐かしいですね。

若かったね。

すっかり年を重ねました。54歳という年は自分としては想定外。父親が早く亡くなったので
「それを超えればまあええかな」と正直思っていました。すでにその年を10年近く越えました。親父が生きられなかった分、与えられた余生をやれるだけやらせてもらいましょう。

ありがとうね。

明日は母の日ですね。母も死んでからだいぶときがたちます。なんか孝行せえへんうちに両親ともいいひんようになってしまいました。

ちょっと正直寂しいです。親御さんがお元気な方はせいぜい御健在なうちに孝行してあげてくださいね。

「親孝行したいときに親はなし」これは実感です。

では。

心意気やよし

2011年05月06日

「ええ、なんで?」です。書いたやつまたどっかいった。勘弁してくれよ、という感じですね。

記憶をたどりつつ再現すると
高2MTくんがY高の生徒会副会長に立候補したそうです。過去何十年も無風だったところへ「Y高を変えたんね」と誰もが嫌がる役を買ってでたようです。その心意気やよしですね。大昔の釧路市、緑稜中学で生徒会に立候補したTTくんのええ加減さと比べると、まさに「かっこええやん」です。

とかなんとか綴りました。

いやあ、ここんところPCは不調続きですね。参ります。(んなこと言うてるけど、けっきょくあんたのPCを扱う力不足ちゃうん「たぶん、そうです」)

まあ人生そんなもんですね。ままならないことのほうが多いんでしょう。

今日は立夏。まさしくそれ。暑かったですね。讀賣新聞にも「衣替え」の記事が。この間まで「寒いねえ」と言っていましたが「暑いねえ」に変わるのも時間の問題なんでしょう。「過ぎる時は早し」です。

起承転結を曲がりなりもつけたんですが(ほんまかあ? あんたのブログにそれを感じたことないで「たぶん、いや確かにそうです」)書いたやつがどっかいってしまいました。

それはそれでしゃあないんかね。

ということでまた明日。

やります

2011年05月05日

焼き肉屋さんで生肉を食べた方が亡くなりました。お気の毒です。私は苦手なので口にしません。生レバーや生センマイなんてとてもじゃないけど無理です。若いころユッケは「おいしいな」と思って食べましたが一口で十分でした。

でもどうなんでしょ。加熱用の肉を生で出すのが業界では暗黙の了解みたいになっていたなんて・・・。それを消費者は知らずに口にしていたわけですから、あっちゃこっちゃええ加減やったことになりますよね。本来なら楽しいはずの家族そろっての外食。そこで食べた肉で苦しんだ末、命をおとす方が出たんですから関係各方面の方々は二度と同じことが起こらないように万全の策をとってほしいものです。

この連休、信州へも行け、久々に先輩にも会えました。ボルちゃんのトラブルはあったものの渋滞はまったくなしの恵まれた道中でした。

本も3冊を終えました。初対面の方がいらしたのがうれしかったです。

白石一文さん。しっとりながらも、博多弁が濃いかと思えば実に心にしみました。

走るのは休みの割には2日走って23㌔と不調でしたね。まあこれは挽回できるでしょう。

なんだかんだ、とりあえず充実の1週間でしたね。

ありがとうございます。

また明日からやります(なにを? そら、せなあかんことやろ「やねえ」)。

やるべきをやります。

正義

2011年05月04日

ビンラディンが殺害されました。9・11の首謀者、テロリストですから止む無しなのでしょう。アメリカ国民の世論は90%以上がその行為を「是」としているようです。それはそうでしょう。罪もない同胞や愛する家族が理不尽な死を迎えなければならなかった訳ですから快哉を叫ぶのは当然でしょう。テロ根絶は不可能でもそうせざるを得なかったのでしょう。

でもそれってどうなんでしょう。捕まえて正当な裁判を経ての死刑ではなく、有無を言わせぬ「殺害」ですもんね。そりゃもちろん彼のやったことは絶対に許されるべきではありません。その罪は万死に値するでしょう。いや、それ以上かもしれません。

ただいかに悪い奴にも家族はいるし、愛し愛される存在でもあります。彼の死を嘆く人も絶対います。彼の死は血で血を洗うさらなる悲しみの連鎖を引き起こすことを考えると気は晴れませんね。

ひとりの人間の死を喜べる人間にはなりたくはありません。イスラムだキリストだヒンドゥーだなんて言っていがみ合う世界がなくなるといちばんいいんですがね。そうは簡単にいきません。ヒトは賢くもありとっても愚かでもあるんでしょう。


ほんとの正義ってどこにあるんでしょうか。

信州紀行②

2011年05月03日

信州2日目は上高地の予定でしたがお伝えした通りの車のトラブルでそれはならず。
まあしかし、ぜいたくは言えません。最悪の場合、ボルちゃんを現地の工場へ預け、あとからそれを取りに行かなければならないことも覚悟しました。

かなり危機的な状況でした。連休中ですから部品供給はありません。心の中で祈っていました。
「なんとか部品があってくれ」と。ほぼあきらめかけていたら、工場の人が在庫の中からたまたまボルちゃんに合う点火プラグを見つけてくれました。
劇的でしたね。地獄に仏、不幸中の幸い。工場の当直さんが神様に見えました。

3日目はボルちゃんの機嫌をうかがいつつ野尻湖へ。歴史の授業でナウマンゾウやその他の写真を見せてやれないかなと思ってね。博物館は幸い写真自由。それらの骨格標本のみならず石器や猿人、原人、新人の頭骨標本の写真を撮ることができて大満足でした。
それらの写真はここには載せていません。ご希望があれば公開します(誰もいいひんで「やね」)。

最終日、二日酔いの中、京都へ向かいつつ国道を南下。「休日ではないんで高速割引はないんだろう」と思い、高速は避け一般道です。道路標識を見ると「黒部ダム」とあります。しかも15㌔とのこと。
「けっこう近いんだ。せっかくだし行ってみっか」と。混んでいるのかと思いきや、がらがらすきすき。快適なドライブ。

まったく予備知識はありません。どうやら扇沢というところでトロリーバスに乗り換え黒四へ向かうようです。ちなみに往復2,500円です。私は高いと思いました。そのお金は何に使われるんでしょう。使い道は環境保全だと信じましょう。

環境対策か動力は電気です。途中ほとんどはトンネル。着いても220段の階段を上ってやっとダムを見下ろす展望台へ。ビル13階分相当とやらでしんどかったです。
ダムから下は、よう見ませんでした。高いとこは苦手です。

高所閉所でちょっと気持ちが悪くなりました。あんなところにダムを造った先人の勇気に感心です。

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けっこう時間をくいましたが
「ここまできたらまあええか、いくとこまでいこ」と大王わさびなんたらへ。段差のある清流の中にわさびが慎ましやかに生えている風景を思い浮かべましたが、さにあらず。広大な敷地の中一面にわさび畑が広がっていました。水はさすがにそのまま飲めそうなくらい透明な感じでしたね。

「わさびカレー」や「わさびビール」など関連商品が並んでいましたが、触手は動きませんでした。味が想像つきませんものね。ソフトクリームやコロッケなどおよそ不釣り合いな食べ物がいっぱい。話のネタにとも思いませんでした。残念ながら。

生のわさびは買いました。500円のが350円に値下げされていました。これは値打ちもんかなあ? スーパーで買うときっと700~800円はすると思われるくらいの大きさです。

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さっそく今日それをすりおろしまして、かまぼこやマグロの切り身に添えました。確かに香りはすばらしい。ただ鼻に来るというよりは舌にその辛みがぴりっとくるのがチューブの練りわさびと違いましたね。

車のトラブルもあり大変でしたが、楽しませてもらいました。ありがとうございます。

「パンセ」さんはとってもすてきです。ぜひ一度と言わず二度、三度お訪ねください。ここへリンクを貼ればいいんでしょうが、今日はちょっとしんどいんで、またにします。


S先生、ご心配(?)をおかけしました。幸か不孝か元気にやっております。

端末の圏外か否かは現地へ行かねばわかりませんので事前に予告は難しいですね。

久々とおっしゃらず毎日ご覧ください。私は毎日拝見しております。

信州紀行①

2011年05月02日

夕べは栂池にいました。学生時代の先輩がペンションをされています。端末が圏外でブログ更新はできませんでした。というか久々の再会で遅くまで話し込み、飲み込み(?)、どのみちブログを書く余裕はありませんでした。

京都に帰り綴っていますが、とても不安定です。さっきから何度も不具合があって、とっくに書き終えているはずのこれをやっと書き始めました。

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ペンションパンセの薪ストーブと外観です。ゆったりした時間が流れる空間です。

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パンセ周辺に咲く花たちです。まだ雪がやっととけたばかりですが、春を感じ健気に頭をもたげ始めています。

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ここの食事はすばらしいです。まったくの素人から始めたとは思えぬほどの洗練や気遣いが感じられます。ご主人はソムリエです。料理に合うワインを是非お任せで頼んでみてください。

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奥さまが作る箸やすめ(?)の「和」も絶品です。今回いただいたのは、ごま豆腐(写真なし。撮る前に食べちゃった)、カンゾウのおひたし、独活のきんぴら、筍饅頭など。筍のそれは表面かりかり、中しっとり、中の松の実を舌が噛み当てるとなんかうれしかったですね。

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「洋」は金目鯛のソテー(かな?)。添えてある茄子の揚げものがただものじゃない。一工夫、二ひねりです。鶏もも肉のなんだかも、濃厚しっとりうまかった。ジャガイモとサツマイモのスープなんて、対極にあるイモの取り合わせなんですが絶妙。おいしかった。大根おろしでいただいた子牛のお肉も美味でした。

んでね、パンもおいしいし、お米も、漬け物もすべてがおいしいんです。バターロールなんて口の中で噛むのが惜しいくらいおいしい(?)。ご飯は魚沼産です。柔らかめに炊かれたそれは何もおかずがなくても食べられます。あ、ちょっと漬けもんくらいはほしいかな。で、その漬けもんもあります。蕗みそや朝食のジャムなどもたぶんそのほとんどが手作りなんです。

内実わからず、傍目からだけですからその苦労はわかりませんが、おもしろい人生の過ごし方の一つでしょうね。

では、今日はこのへんにさせていただきましょう。今回の信州紀行はあと数日続編を書かせていただくつもりです。

さすがに4日間ずっと運転しっぱなしで疲れました。運転そのものは嫌いではありませんが身体が揺れているような気もします。

でありまするから、おやすみなさいまし。