それぞれの道、それぞれの人生
2011年04月04日
携帯電話にメールがきました。見ると教え子MMくん。(先日のMMくんとは別人です)なんでも携帯を換えたのかメールアドレスが変わったことが記されていました。
「懐かしいな。元気だろうか」と返信。彼はY高校のⅡ類へ進み、学生になって4年間講師をやってくれました。その後一流企業に就職。そこを2年でやめ、独立。今は東京で若き社長さんをやっています。
一本筋の通ったやつでした。納得できないことには簡単に自説を曲げませんでした。実は途中1回うちをやめてO塾へ行っていましたが、やはりうちの方がいいともどってきました。回りが余計なことをしていても、彼はひとり我が道を行っていました。といって回りと関わらないというのではなく、うまく人間関係を築いていました。
彼の会社のリンクを貼っておきます。ぜひご覧ください。私がとやかく説明するよりわかりやすいでしょう。
「やるな、むーちゃん」という感じです。
その後郵貯銀行へ資金移動5,000万。ウソです(そんな大金見てみたいですね)。講師の先生たちの給与支払いの手続きに行きました。それが終わって駐車場へ。見たことある車が。思った通り、やっぱり運転席にはOさんご夫妻が(あ、お二人とも運転席ではありませんよ。奥さまは助手席です「あんなあ、そんなん殊更に言わんでもわかるって」そんなん俺かてわかってるわ「ほな言うないな」)。
O家からは兄弟3人が通ってくれました。みんなどうしているんでしょう。すっかり成人してりっぱにやっていることでしょう。
ゼミ前で一服していると見慣れぬ軽自動車が止まります。見ると車内から2人の女性が手を振っています。懐かしやMNちゃんとMTちゃん姉妹です。先日お母さまとばったり会い2人とその弟くんMHくんの話をしたばかりです。
MNちゃんは2期生です。大騒動を起こしてくれたことを覚えています。それは中2かな。人生経験の浅い俺はかなり焦りましたね「こんなこともあんねや」と。そのとき、どう落着したかは記憶があいまいやけど
「『やってくれたねMNさん』と思ったことは覚えてるで」。
MTちゃんには中2のとき私が軽い気持ちで
「だめだこりゃ(カトちゃんのギャグでした確か)」と言ってしまったのが彼女を傷つけたようでした。後に彼女がゼミでバイトをしてくれるようになったときにそれを聞きおおいに反省した覚えがあります。そのときに思いました。
「いったん口に出した言葉を取り消すことはできないから心せよ」と。
弟くんのMHくんは腹が座っていました。けっして目立ちませんが静かな存在感を漂わせていました。けっこうやんちゃなやつがいた時期ですね。そんななかでも引けを取らぬ根性の持ち主だった、と思います。
三者三様。おもしろきかな個性を感じさせてもらった姉妹弟でした。
今日はMTさんがお母さんになりそのお子さんを抱いていました。なんでも住まいは神奈川。計画停電を避けて避難しているようです。身近にもこの震災の被災者がいたんですね。
ということで今日はいろいろいっぱい懐かしい人たちに会えたり、久々に近況を知ったりすることができました。今日はそんな巡り合わせの日だったんでしょう。
みんなが大きくなっていきます。成長していきます。がんばって人生を送っています。それぞれの道を一歩一歩歩いています。そんなことを感じさせてもらった一日でした。
悲喜交々、喜怒哀楽、人生多難、一喜一憂、多種多様、種々雑多、十人十色・・・・・・形容不能。
いやそれでよし、みんなそれぞれ自分の道をしっかり歩んで行きましょう。俺もとぼとぼ歩きましょう。