問われる真価

2011年03月17日

今日も冷え込みました。雪も降りかなり寒い一日でした。
被災地の方は京都の比ではなく、寒さに震えていらっしゃるんでしょう。その大変さを思って生徒が来る直前まであえて暖房をつけずに過ごしました。

「何か買いに行こうかな」夕方かなりの空腹を感じました。避難されている方のひもじさを思って我慢しました。
私がこんなことをしても何の役にも立たないのはわかっています。でも理屈はおいてやりました。

つけなかったファンヒーターの(推定)灯油代と買ったつもりのおやつの代金相当をどこかの募金箱に入れましょう。(帰路、用もないのにコンビニに立ち寄り140円「少ないなあ」募金箱に入れました。そう節電協力でしょう、店内が暗かったし、外部看板も消灯されていました。セブンイレブンえらい!! 他のそれらもやっていらっしゃるんでしょう。随時確認します)

消防、警察、自衛隊、自治体の方々の奮闘には敬服です。自身、被曝の危険を冒しながらの任務、疲労困憊の中での職務、頭が下がります。仕事とはいえ大変な危険を背負っての遂行です。どうぞお気をつけてと思います。

自分たちも被災しながら老人ホームへ駆けつけお年寄りたちを救った高校生たち、安否
不明な同級生がいたり、自宅が全壊したりする境遇におかれながらも自発的に避難者たちを支え、励ます高校生たち。なぜに人はここまで人のために何かを為すことができるんでしょうか。こう書きつつキーボードがにじんできます。

我が妻と母親が目に見えるところで亡くなっているにもかかわらず掘り出して弔うことができぬ人のことを新聞で知りました。その無念さを思うと涙が流れ落ちるのを留めることができません。

いつかこの悲しみが癒される日がやってくるんでしょうか。くると信じなければやりきれません。あまりにも重い荷物を背負ってしまいました。が、しかし、その日はきっとやってくるでしょう。

東北の、日本の一地区の被災と思わず、日本国中でその痛みを分け合い、復興へ向けてがんばらなければいけません。日本という国が、その国民が真価を問われているのかもしれません。

やりましょう。