知識と体験

2011年02月03日

「雪かき汗かき学生生き生き」と京都新聞にあります。何でも立命館大学のBKCボランティアセンターで活動する学生が高島市朽木での除雪協力者を募りました。すると21人の学生が集い、3泊4日の日程で現地のバス停や一人暮らし高齢者宅などでの除雪に汗を流しているとのことです。
うれしいじゃありませんか。世知辛いご時世で自分のことだけでも手いっぱいな感は否めません。そんな中、他者のために一肌脱ごうという心意気。すばらしいことです(あんたも見習いや「はい」)。

今日は節分。いつから始まったのでしょう、恵方巻きの丸かぶり。子どものころはありませんでした。ですからやった覚えはありません。でも今日は食べました。半分をさらに半分に切ってのそれなんで「丸」ではありません。けっきょく半分食べました。おいしかったです。南南東が恵方だったようですが北を向いていました(もっと素直になりや)。
豆もまきました。(久々です)食べもしました。香ばしくておいしいです。あのぽそもそ感が素朴です。
鰯は食べていません。魚は好きですが、どうも鰯は苦手です。というか何十年も食べていないので、自分の中に残る記憶を嫌っているのかもしれません。小骨の多さと生臭さが蘇ります。今食べてみれば案外抵抗なくいけるのかもしれません。来年の課題としましょうか。

小5の授業で
「今日、節分やな。豆まきすんの?」と尋ねるとひとりが即答。
「せえへん」と。寂しいですね。ことさら伝統行事にこだわるつもりはありませんが、ちょっとは大事にしたいかな、してほしいかな、という気持ちもあります。
毎日の生活から得られる季節感や体験を背景に持つ実感は強いですからね。
読書から得る知識も大切です。が実体験に勝るものはきっとありませんね。ただ体験を知識とするには言葉の力は不可欠でしょう。二つが車の両輪になってこその、期待できる成果があるんでしょう。

今の子は一般的にどちらも不足していると思います。けっしてグランドキャ二オンを見てこい、ゲルでの実生活を体験して来いとは言いません。だって俺も行ったことないもんね。
知識を身につけるにしても世にあるすべての本を読むのは不可能です。ただ少しでも読んで自分の糧としてほしいなあ、と考えます。
そうせっかくこの世に生を受けたのですから、ぜひぜひいろんな体験をして、たくさんの本を読んでほしいですね。

ちょっと夜も更け、アルコールも回り、論理的におかしいかなともと思ってきました(いつもやで「かもね」)。

であるからしてやすませてもらいます。