充実感、達成感、満足感、そして自己満足

2011年01月27日

S先生のブログを拝見しているとどうやら走り始めはったようです。
今日お会いする機会があったので確認しましたが思った通り走られていました。寛平ちゃんに触発されたかのようなことをおっしゃっていました。
「還暦やし」云々ということをおっしゃっていました。
「靴はやっぱり専用のやつを履いてはんの?」と尋ねられたので自分にできる適切な(?)助言を。がんばらなくていいですが長く愛してほしいですね、走ることを。

そう、世は長距離流行。大阪マラソン参加者募集(2月15日)を前に讀賣新聞で特集が組まれています。なんでも3万人の参加者は出場に際し500円を寄付する仕組みなようです。別枠で7人までのグループで参加料10万円払えば走れる制度もあるらしいです。東京の10万円払う別枠と比べればましですが、それでも「ちょっとどうかな」と思いますね。走りたい人の足元見てるっていうかなんというか、ね。
ひとりあたま14,286円です。並の大会なら5,000円までですむ出走料が+1万円です。これは妥当、真っ当な代価なんでしょうかね。
とりあえず普通に申し込んで、あかんかったら考えましょか。有志を募らなあかんけどね。

なぜ人は走るんでしょうか。それを趣味とはしない方から見ればただの難行苦行です。
「なにがおもろいねん」と言われても反論できへんもんね。結論は自己陶酔かな。もそっと言葉を控えめにすれば自己満足やね。走らない人にしたらまったくの酔狂、ただの唐変木です。
俺は「年に1200走る」と宣言したから走っています。その過程、目標として試合がないと張りもないから出ています。まあなんでもええか。自分がやろうと思ってやっているだけです。

でも~、やっぱり~(なんか秋葉の「萌」系ですね)、ゴールした時の快感はそれをやりおおせた人にしかわからん充実感、達成感、満足感がありますよ。やってみなはれ。味わいたければね。順位とかそんなんどうでもええんですよね。そりゃ自分なりの目標時間とかは設定しますが、とりあえず走り終えるというその目標。それをやり通せば自分だけの英雄が誕生です。とか言いながら時間にこだわる自分もいます。悲しい走者の性(さが)ですね。

さて3月20日には鳥取でフルです。そろそろそれを念頭に走りを考えましょう。先の静岡、大井川を踏んまえ調整をはかりましょう(なにをかっこつけとんね「すんません」)。

では、やすみましょう。睡眠も大事です。とかなんとかいいながらフル前日(大井川)も普通に飲んだくれていたつゆちゃんですからなんの説得力もないね。(人を説得するのは苦手やし、する気もないけどね)