『赤チンの町』
2011年01月24日
ねじめ正一さんの『赤チンの町』がおいてあるのを目にした小学生。
「せんせ『赤チン』て何?」
「え、赤チンやん。怪我したときに塗るあの赤いやつ・・・そうか知らんのか」
子どものころはずいぶんお世話になりましたが、今やもう見ませんね。そういえばうちの子らも知らんかもしれません。
「ヨーチン」も同様ですね。あれはしみましたね。傷口に塗ると泡がしゅわしゅわと出ます。
「これがバイ菌を殺してんねやで」と親が言っていました。赤チンはともかくヨーチンは身構えましたね。かなり痛かったです、塗られると。しみました。低学年のころ爪をかむ癖があって、それを治すために両手指10本にヨーチンを塗られた思い出があります。
正露丸もお腹の弱かったつゆはらくんは愛用(?)していました。あれはまだあるんでしょうか。いまやバンドエイドと言われるのが一般的ですが、最初は「サビオ」という商品が幅を利かせていました。今は聞きませんね。
薬関係だけでなく、蠅帳や蚊帳、火鉢など今や使われず、そのものもそれを指す言葉も無くなりつつあるものも多いです。昔、北海道で使った「アノラック」や「ヤッケ」という言葉はのこっているのでしょうかね。
「歌は世につれ世は歌につれ」と言いますが、言葉もモノも日日変わっていくんでしょう。寂しくもありそれが世の常でありと納得しています。
『幸福な食卓』瀬尾まいこさんを読みました。
「父さんは今日で父さんを辞めようと思う」と始まります。それぞれがその思いを抱えながらも、ほのぼのと淡々と話は展開されます。少しずつ明かされる、その家族が秘めた謎。思わず
「そうだったのか」と絶句。
そこへ突然の「転」が訪れます。
「ここへきてそれはないやろ」という急転直下。あまりに悲しすぎる展開です。涙がとめどなくあふれます。
あまり書くとその筋が知れます。ここらへんにしておきましょう。
今はさっきの『赤チンの町』を読んでいます。昭和30年ころが舞台。郷愁を誘ってくれる作品です。
思い出に浸りながらやすもうかな。
本はありがたいです。読めばその世界に引き込んでくれます。
というかよき本との出合いは、人とのそれと同じです。まったくの偶然ですが、おもしろい本に出合うか否かは他者任せと思われがちですが、やはりこちらが動かなければそれはなし。せいぜい動かねばね。「犬も歩けば」でしょう。
今から200です。
今200を終えて寝ましょうと外を見ると雪です。「しんしん」と降っています。積もりそうな降り方です。
200まであと少し。やりましょう。
明日も走ろうと思いましたが、この分じゃ無理かな。
では。