日日着実に

2011年01月31日

帰りは後悔しました、チャリンコ出勤を。帽子をかぶらず出発しましたが、ものの5分も行かぬうちに耳が痛くて我慢無理。音をあげました。毛糸のそれを取り出しかぶりました。襟元が寒い寒い。明日はマフラーでも巻きましょうか(人生でマフラー巻いた経験はきっと数回)。道路際の温度表示は今冬最低の-4℃でしたね。

まあしかし生徒らは寒くても自転車で来てくれてありがたいですね。まあしかし彼らは5分、10分。俺は30分近くかかるしなあ。正直さぶい、ちべたい。

走っていて鼻水、涙がでてきます。おおげさではなくほんまにでてきます。家に帰ったらほんまに鼻水が左頬に流れていました(汚な)。

寒い中、最後の上りはしんどいけれど立ちこぎ全力疾走です。マラソンのために負荷をかけるという観点からするととってもいいですね。インターバルと並んで最後に全力疾走を取り入れるというのはいい練習法だと小出監督が書いてらした(きっと)。でもチャリやしちょっとその効果のほどはあやしいかもね。

一昨日腕立てをせずに(確か100はしたと思うんですが覚えていません)寝たので昨日400やりました。200でもたいがいやのに400はしんどい。なんでもためたらあきませんね(お金をためるのはええんですけどね)。日日着実にやらなければいけませんそのせいかどのせいかわかりませんが左肩が寝違えたような痛みを持っています。さっぱりわやですわ。

今月の走りは100㌔ちょうど。本は11冊。忙しい毎日の中でのことですからまあまあですね。明日からは鳥取に向けて走る方にもそっと力を入れなければいけません。というか仕事の方もやるべき山積です。

暢気にこんなブログを書いている暇があったら仕事せにゃね。

2月、つまり明日からは9時までには床を離れ、走るなどをこなしてから仕事も精力的にこなしましょう。

ではまたね。

バー「石水」

2011年01月30日

ホテルフジタ京都が閉館(店?)したそうですね。宿泊したことはありませんが、地下のバー「石水」は何回か行ったことがあります。カウンターの向こうに水が流れ落ちる石垣が見渡せ、静かで落ち着いた雰囲気を持つすてきなバーでした。(といってもホテルのバーなんてそうたくさん知りませんから、他との比較のしようがないというのがほんとうのところですが)

まだ若いころ高級な飲食店を好む先輩に連れて行ってもらい、知りました。
「へ~すごいな。こんないい雰囲気の店があるんだ。自分のお金で来られるようになるのかなあ」とその値段の高さや空気にやや気圧された若かりしつゆちゃんがいました。

そうそれなりの代価はいるのでほんの数回しか行ったことがありません。遠くから友人がやってきた時などにほんの時折利用させてもらていました。(まあ私のように酒量の多い人には向きません。いつもの調子で飲んだらすぐ1万円くらい超えちゃいますからね)

屋上のビアガーデンにも何回か行ったかな。ビアガーデンって一般的に食べるものはいま一つですよね(違うかな?)。でもここの料理はおいしかったんですよね。ひとつひとつに誠意が感じられるお料理でした。しかも値段も手ごろでした(たぶん)。

そんなこんなで愛用(というほどでもないか)していたものがなくなるというのはやはり一抹の寂しさを覚えます。
「沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす」とは言いますが世の無常を感じます。

今日も朝から中3入試対策講座でした。朝から西賀茂、昼一から原谷。共に国語です。入試形式で集中して問題をやって要点解説。よい時間を持ってもらえたと信じます。
気になるのは風邪ひきさんと思しき人の咳。直前に体調不良では実力を発揮できません。みんなくれぐれもご用心あれかし。
そうゼミのみんなのみならず生きとし生ける方たちみなさん、俺も含めて病気にはならぬよう用心しましょうね。

では、みなさまにすてきな明日が訪れることを願って、おやすみなさい。

いってきます

2011年01月29日

午前中、中3の入試対策講座をやって午後から漢検。
今日は仕事はそこまで。長く伸びていた髪が気になっていたので散髪へ。
おっちゃんと世間話に花を咲かせつつ刈ってもらいました。
「走り」の話や犬のそれ、「老い」や暖房あちこちに話がとびます。しんみりしたり、2人して爆笑したり楽しい時間でした。

思うに長いお付き合いです。30年近いですね、きっと。そう考えると深いな。27、8から頭を刈ってもらっているんだ。身の回りで一番長いそれかもね。

待たずに刈ってもらえて幸い。その後すぐに走りにでることができました。14㌔でなんとか今月は100を達成。

そのあとは久々ミューズさんへ。歩いて行ったし耳が冷たくてちぎれそう(んな訳ないやろ)。タラの芽と菜の花の天ぷらのかすかな苦みに早い春を感じます。

とここまで書いて気がついたら朝でした。

さてさてなんともです。

では中3授業にでかけます。

いってきます。

では

2011年01月28日

事務の方が電話を取ります。
「お久しぶりです。あ、はい。はい。え、そうなんですか。今塾長に代わります」
「?」
「Mさんです。洛北受からはったそうです」
「え、すごい」
「もしもし露原です。おめでとうございます。すごいですね」で始まっていろいろお話しました。MKさんは幼児から小3まで「きらり」に通って楽しく勉強。中学入試はうちはやっていないんで大手へ移られました(なんか寂しいですね)。かわいらしくよくできる子でした。お母さまもスタイルのいいとっても美人です。
「きらりでしっかり基礎を教えてもらって感謝してるんです」とうれしいお言葉。
「いやいやわざわざお知らせいただいてありがとうございました」その子の人生のどこかで関わった子が成長し立派にやっていることを知るほど幸せな気分になることはありません。楽しい中学生活を送ってくれることでしょう。

前にも登場いただいたつゆはらゼミの潤くんと倫貴くん。ゼミがお気に入りのようでにっこにこで勉強してくれます。しっかり力もついています。漢字をあえて口で説明させるんですが、部首や述語、音訓を使ってみごとにその漢字を表現してくれます。感心です。よくできるようになりました。こちらが驚くような難しい熟語を知っています。成長を感じます。うれしくなります。

またブログに写真を載せてくれということなんでお披露目しましょう。左が倫貴くん、右が潤くんです。二人ともやる時はやるかっこいいやつらです。

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ゼミに着いてトイレの汚れに気付きます。
「洗剤しゅっしゅごしごしじゃー」と思いましたが流れません。便器からあふれんばかりに水が。
「まずい。そこで止まって」すんでのところで事なきを得ました。しかしトイレが使えないのはまずいですよね。やることいっぱい詰まっているのにトイレが詰まって、また貴重な時間が奪われます。
「参ったな」と思いつつあのトイレ詰まりを直す「あれ」を買いに走ります。帰って
「これで直れよ」とやってみますがだめ。
「参ったな」と巡らぬ頭を働かせます。以前世話になった水道屋さんの連絡先を教えていただこうと知り合いの不動産の工務の人に電話。つながらず。その会社へ電話。先の担当者しかその水道屋さんはわからないとのこと。もう一人のなんでも直してくれる現場熟練のJさんに助け船を求めます。最善の処置をうかがい、それを実行しつつ考えます。
「! そうだバイト講師のAさんち、確かこっち関係」と思い電話。
「ごめん、今いい? かくかくしかじかこうなんだけど」と事情説明。
「わかりました。連絡取ってみます」待つこと数分。
「すぐは無理ですけど、1時間後には行けます」
「ごめんね、急に」

来てくれてプロ仕様の「あれ」で詰まりは直りました。いやあよかったよかった。感謝です。持つべきは友、知り合いを実感した一日でした。

塾でトイレが使えなかったら困ります。危機一髪でしたが中学生が来るまでになんとかなってよかったです。胸をなでおろしました。

いやはやいろいろなことが起こります。20年から使っている建物やしさもありなん、致し方なしでしょう。
俺の身体は54年の酷使によう耐えてますわ。突然のがたがこないよう祈るしかないかね。あちこちささやかなぎこちなさは出始めていますね。積年の横着、無頼、不節制がその因でしょう。

充実感、達成感、満足感、そして自己満足

2011年01月27日

S先生のブログを拝見しているとどうやら走り始めはったようです。
今日お会いする機会があったので確認しましたが思った通り走られていました。寛平ちゃんに触発されたかのようなことをおっしゃっていました。
「還暦やし」云々ということをおっしゃっていました。
「靴はやっぱり専用のやつを履いてはんの?」と尋ねられたので自分にできる適切な(?)助言を。がんばらなくていいですが長く愛してほしいですね、走ることを。

そう、世は長距離流行。大阪マラソン参加者募集(2月15日)を前に讀賣新聞で特集が組まれています。なんでも3万人の参加者は出場に際し500円を寄付する仕組みなようです。別枠で7人までのグループで参加料10万円払えば走れる制度もあるらしいです。東京の10万円払う別枠と比べればましですが、それでも「ちょっとどうかな」と思いますね。走りたい人の足元見てるっていうかなんというか、ね。
ひとりあたま14,286円です。並の大会なら5,000円までですむ出走料が+1万円です。これは妥当、真っ当な代価なんでしょうかね。
とりあえず普通に申し込んで、あかんかったら考えましょか。有志を募らなあかんけどね。

なぜ人は走るんでしょうか。それを趣味とはしない方から見ればただの難行苦行です。
「なにがおもろいねん」と言われても反論できへんもんね。結論は自己陶酔かな。もそっと言葉を控えめにすれば自己満足やね。走らない人にしたらまったくの酔狂、ただの唐変木です。
俺は「年に1200走る」と宣言したから走っています。その過程、目標として試合がないと張りもないから出ています。まあなんでもええか。自分がやろうと思ってやっているだけです。

でも~、やっぱり~(なんか秋葉の「萌」系ですね)、ゴールした時の快感はそれをやりおおせた人にしかわからん充実感、達成感、満足感がありますよ。やってみなはれ。味わいたければね。順位とかそんなんどうでもええんですよね。そりゃ自分なりの目標時間とかは設定しますが、とりあえず走り終えるというその目標。それをやり通せば自分だけの英雄が誕生です。とか言いながら時間にこだわる自分もいます。悲しい走者の性(さが)ですね。

さて3月20日には鳥取でフルです。そろそろそれを念頭に走りを考えましょう。先の静岡、大井川を踏んまえ調整をはかりましょう(なにをかっこつけとんね「すんません」)。

では、やすみましょう。睡眠も大事です。とかなんとかいいながらフル前日(大井川)も普通に飲んだくれていたつゆちゃんですからなんの説得力もないね。(人を説得するのは苦手やし、する気もないけどね)

庶民の味方、牛丼屋

2011年01月26日

自転車での帰路。よせばいいのに、負荷をかけようと遠回り、しかも坂道を選択。上り始めてすぐ後悔しましたが遅し。引き返すのも癪だしそのまま全速力。息もあがります。やっと上り終え
「よっしゃあとは下りや、らくちんや」と下りかけたときちょっとした段差。
「かつん」なんか嫌な雰囲気。と思うや後輪がパンク。しばらく乗っていなかったんでゴムの劣化が進んでいたんでしょう。寒空の下2㌔余り自転車を押しつつ小走りで帰るはめになりました。やはり日ごろの行いがよくないのでしょう。悲しかったです。
自転車屋さんに診てもらうと案の定チューブのみならずタイヤそのものの傷みを指摘されました。3,980円払ってタイヤ交換してもらいました。
「なんか俺悪いことしたんかなあ」(したんでしょう「そうかもね)と。

みなさんもしばらく乗らなかった自転車に乗る時はご注意くださいね。

「なか卯」で昼食。「はいからうどん」は290円と格安。「かきあげ」や「肉」、「きつね」は390円かな。「肉カレー」は490円(確か)。「和風牛丼」はなんと破格の260円です。腹持ちやお得感を思うと一押しですが、私はうどんがちょうどよいのでめったに牛丼は頼みません。空腹を覚えてどんぶり系を頼むと途中後悔します。食べている間に満腹感を感じます。
うどんだとすぐ空腹感がありますが、年寄りにはその方がいいかなと思っています。年を重ね食べられなくなりました。ご飯を「わしわし」「がつがつ」食べるでなく「はぐはぐ」「むしむし」やっています。今でも十分たくさん食べますが往時の勢いはありません。まあこの年で若いころのままの食欲を維持していたら恐いです。超肥満体になっているでしょう。

「松屋」や「吉野家」、もう一つある牛丼屋さん(名前忘れた)でも270円とか280円という安い値段で牛丼が振舞われて、いや違う提供されているようですね。ありがたいことです。ふところ心もとない庶民には頼りになる味方です。

愚にもつかぬことをつらつらとやっているうちに夜も更けました。
やすまねばいけませぬ。

おやすみなさい。

ブックオフ

2011年01月25日

電子書籍を除く2010年の出版物の推定販売額が1兆8748億円で、21年ぶりに2兆円台を下回った09年をさらに下回ったそうです。
書籍と雑誌を合わせた販売額は前年比608億円、3,1%減。書籍のみの販売額は同3,3%減で8213億円。雑誌の販売額も同3,0%減の1兆535億円だったそうです。減ったそうですがすごい金額だ、売れてんにゃ。

本を読む人は減っているんですね。私は読んでますがなにしろブックオフです。この統計には反映されません。作家さんにはたいへん申し訳ない思いがします。せめて年に使う本代の半分は新刊に割こうかとも思います。だがしかし、さもあれど現実的にはブックオフはありがたいです。
でも少し新刊本の売り上げに寄与しましょう。

よっしゃー。勝ちましたアジアカップサッカー準決勝(?)。韓国戦でPK線を制しました。

寝ましょう。腕立てはまだです。ふ~むむむむ。一応せなあかんかな。

ではでは。

『赤チンの町』

2011年01月24日

ねじめ正一さんの『赤チンの町』がおいてあるのを目にした小学生。
「せんせ『赤チン』て何?」
「え、赤チンやん。怪我したときに塗るあの赤いやつ・・・そうか知らんのか」
子どものころはずいぶんお世話になりましたが、今やもう見ませんね。そういえばうちの子らも知らんかもしれません。

「ヨーチン」も同様ですね。あれはしみましたね。傷口に塗ると泡がしゅわしゅわと出ます。
「これがバイ菌を殺してんねやで」と親が言っていました。赤チンはともかくヨーチンは身構えましたね。かなり痛かったです、塗られると。しみました。低学年のころ爪をかむ癖があって、それを治すために両手指10本にヨーチンを塗られた思い出があります。

正露丸もお腹の弱かったつゆはらくんは愛用(?)していました。あれはまだあるんでしょうか。いまやバンドエイドと言われるのが一般的ですが、最初は「サビオ」という商品が幅を利かせていました。今は聞きませんね。

薬関係だけでなく、蠅帳や蚊帳、火鉢など今や使われず、そのものもそれを指す言葉も無くなりつつあるものも多いです。昔、北海道で使った「アノラック」や「ヤッケ」という言葉はのこっているのでしょうかね。

「歌は世につれ世は歌につれ」と言いますが、言葉もモノも日日変わっていくんでしょう。寂しくもありそれが世の常でありと納得しています。

『幸福な食卓』瀬尾まいこさんを読みました。
「父さんは今日で父さんを辞めようと思う」と始まります。それぞれがその思いを抱えながらも、ほのぼのと淡々と話は展開されます。少しずつ明かされる、その家族が秘めた謎。思わず
「そうだったのか」と絶句。
そこへ突然の「転」が訪れます。

「ここへきてそれはないやろ」という急転直下。あまりに悲しすぎる展開です。涙がとめどなくあふれます。

あまり書くとその筋が知れます。ここらへんにしておきましょう。

今はさっきの『赤チンの町』を読んでいます。昭和30年ころが舞台。郷愁を誘ってくれる作品です。

思い出に浸りながらやすもうかな。

本はありがたいです。読めばその世界に引き込んでくれます。

というかよき本との出合いは、人とのそれと同じです。まったくの偶然ですが、おもしろい本に出合うか否かは他者任せと思われがちですが、やはりこちらが動かなければそれはなし。せいぜい動かねばね。「犬も歩けば」でしょう。

今から200です。

今200を終えて寝ましょうと外を見ると雪です。「しんしん」と降っています。積もりそうな降り方です。

200まであと少し。やりましょう。

明日も走ろうと思いましたが、この分じゃ無理かな。

では。

もったいない

2011年01月23日

「手が冷たい」
西賀茂も原谷も塾の蛇口からお湯は出ません。西賀茂は改装の時ガス栓をとめました。原谷はプロパンで、使わなくても契約をしていると毎月1,890円の基本料が発生します。もったいないし、していません。節約ですね。
「もったいない」は座右の銘のひとつです。

ちょっと手を洗うくらいはいいんですが、タバコ後の歯磨きなんかをすると口中痛い、手はかじかむ。教室拭き掃除の時も同様です。手がちべたい。北海道東部では「しゃっこい(「冷っこい」の方言かな?)」と言います(たぶん)。

余談ですが今日はすでに200を終えています。気が楽ですね。昨日も「なし」と言いましたがやりました(220)。

閑話休題。

今はガスパネルのスイッチを押せばそれだけ。それだけで温水が出ます。なんの苦もなし。ありがたや。それが当然。ありがたみはなし。ありがたみを感じましょう。
自分の小さなころは風呂は槇で炊いてました。

今寛平さんのアースマラソンのゴール場面をテレビで初めて目にしました。感動しました。言葉はありません。どんなにすてきな詩人の言葉遣いも、芥川賞、直木賞作家の名文、筋書きも及ばぬことを彼は成し遂げたと思います。

閑話休題。

文明の利器のすばらしさ、その裏にひそむ弱点に言及しようと思いましたが、ちょっと酔いました。で、今日はこの辺で・・・・・・

米はうまい、それともあなたはパン派?

2011年01月22日

柴漬けで朝ごはんを食べていてしみじみ。
「ご飯ておいしいなあ」
私はおかずがあまりなくともご飯が食べられます。
大根おろし、明太子、キムチ、先の柴漬け、ほうれんそうのおひたし、たまご焼き(砂糖なし、醤油をかけるのみ)、ゴマ塩、ゆかり、味付けのり、納豆、生卵などのうち一品があればご飯を食べることができます。とっても安上がりです。その日の気分、体調にもよりますが大根おろしが私の中では一番ですかな。納豆、卵かけご飯は波があります。それらは大変おいしく感じる日と「今日は絶対無理」と極端な朝のおかずです。

最近はお米はやや劣勢でしょうか。生徒に朝食を尋ねるとパン食の方が多い感じですね。こんがり焼いた食パンにバター(マーガリンはだめです)をたっぷり塗ってほおばるトーストも捨てがたい魅力は持っています。表面こんがり、中ふかふかしっとり。思わず人を微笑ませる器量がひそんでいます。

「あんたはどっちやねん」と問われれば米に軍配を上げましょうか。

米食い民族の日本ですらパンやめん類の台頭。いまや世界の主食事情は完全に小麦が首位かなと思いきや、それを主食とする国、地域は41。人口割合では世界の約55%にもおよび小麦の30%に大きく水をあけ断トツの地位を維持しているようです。
中国の富裕層の間では中国の一般的な米の25倍の値段の日本米が売れているそうです。「おいしければ売れる」とは思っても実際の日本の暮らしの中ではそれは不可能ですね。
折しもTPP問題もあります。国内農業の保護は大事ですが、海外へ打って出る覚悟も必要かなと思います。それなりの工夫を重ね「もうかる農業」を目指している農業従事者のことも報道されています(この項讀賣新聞いつかの夕刊)。

エネルギーベースで40%の食糧自給率。これはなんとかせねばならんでしょう。柵(しがらみ)がすべてなけりゃいつでも農業してもいいと思っています(というかしたい)。でもこれは甘いんでしょうね。今はなんとか食えてるけれど食えないかもしれぬ業界へ踏み出す勇気は持ち合わせません。

でもほんまやりたいんですよね。食べられたらいいんです。これ本音です。
「食べられたらいい」というのが、まあ甘いんでしょう。

そう常に甘いんですよねえ、わ・た・し・はね。

今日は校正なし、筋トレなしですね。あはあはは。。。疲れました。

アースマラソン

2011年01月21日

間寛平さんがアースマラソン終えて大阪に帰還したようですね。
その移動距離たるやなんと41,000km 以上に及ぶとか。
2年以上をかけてヨットとランでの地球一周。しかも途中癌にかかっていることが判明。それをものともせずの完遂。偉業ですね。
「アメマ」なんて訳のわからんギャグをとばしていた寛平ちゃんがどこか異次元へいってしまいました。走力はもちろん、その精神力には頭が下がります。太平洋上のヨットなんて私には耐えきれません。
ともかく感動をもらいました。

私は走り始めて10年でしょうか。記録に残っている走行距離は6年で6,974km 。残りの4年分を足しても1万km いくかいかないかでしょう。比べるのもおこがましいですが、彼はすごいです。しかも60歳を超えていらっしゃいますよね。私もほんの少しでも見習いましょう。(最近あんたたるんでるもんな「は、はい」言うてることとやってることがちゃうもんな「う、うん。ごめんなさい」ちゃんとしいや「・・・」)

アジアカップ、カタール戦勝ちましたね。
帰ってテレビを見ると1-2で負けています。
「ありゃりゃ」と思っているとどうも劣勢。押されまくっています。
「なんか変。格下やのになんで?」なんと10人で戦っていました。それでも香川の同点弾に続く伊野波の決勝ゴールで3-2で逆転勝ち。これもまた勇気を与えてくれました。不利な状況にあってもあきらめないことは大切です。見習わなければなりません。

他人のことを見習うばかりでなく他人から見習われる人間にならなきゃね。程遠いやつですが精一杯やりましょう。

今日は遅くなりました(いつもやろ)。腕立て200はしんどいなあ。そうそう高1MTくん。日日の筋トレでなんともおそろしい筋肉マンになっていました。それこそ半端ではないむきむきの体です。なんでも寸暇を惜しんで懸垂をやっているそうです。
「そうか懸垂か」と単純なつゆちゃんは納得したのです。

では、やすみますね。

卒論

2011年01月20日

『4年間ゼミ全学部必修化 立命大』と讀賣の夕刊にありました。
全13学部で、4年間の少人数の演習(ゼミ)と卒業論文を必修にするんだそうです。
幅広い教養から深い専門までを身につけさせ自ら課題を見つけ、議論しながら解決する力をつけるのがねらいのようです。「学生たちの甘さをたたきなおし、社会で生き残るためには必要不可欠」とのことです。
卒論もわかりやすい表現力や発表技術を身につけるために必須と考えての全学部必修化のようです。
確かに少人数で討論したり文章を書いたりすることでその人の力は高まるでしょうね。大講義で隅っこに座ってお茶を濁しているような訳にはいけませんからね、少人数のゼミではね。卒論だって小学生の作文のようなできは許されませんからね。

自分の時は3、4回生の時にゼミがありましたね。なんか当時は民青(今は死語ですね。あえて説明しません)が幅を利かせていてゼミをアジ( agitation )の場に利用しようという動議がでたりして、ゼミはまあおもしろい訳ではなかったんですが(すみません。当時の先生)彼らの横暴は納得できず断固拒否しましたね、その提案を。

卒論も書きました。題は『戦後日本における鉄鋼独占資本』というかっこいい(?)代物でした。なんのことはない、本を数冊買って引用引用の連続(一応出典は明かしました)で、普通の方が数カ月かかるところ、1月足らずで適当(いや真面目)に書き上げました。年末年始にけっこうしんどい思いをしましたが、まあええ加減なもんやったと思います。でも評価は意外や「A]でした。実は私はバカでして(知ってるで)大学の時の成績表に「A]はあまりありませんでした。4つか5つでしたかね。しかも1回生で登録単位の半分も取得できず「惨憺たる鮟鱇」(村野四郎さんの詩です)でした。

で4年で卒業できるわけもなく5年いきました。まあ親父の癌での入院、死などもありましたが、それらは言い訳かな。結局5年でなんとか卒業はしました。今考えるとかなり波乱万丈、いや、はちゃめちゃ、いい加減な生活だったですね。

さて夜も更けました。やすませてもらいましょう。
高3のTKくんが入試を前にインフルエンザにかかってしまったのが気がかりです。試験までまだ少し間があるのが不幸中の幸いです。

ここのところの冷え込み、寒さに強いパンジーもかわいそうです。でも彼ら(彼女ら)は耐えて耐えて春にはきっと今より美しい花を咲かせてくれるでしょう。

私も、来る春にゼミの受験生に花が咲くよう、また自分にも爛漫と花咲くよう日日やらせてもらいましょう。

壁に耳

2011年01月19日

小1と小2のYさん姉弟が私の顔を見るなり
「せんせ、今日の朝ローソンの前走ってたやろ~。お母さんが見たって」
「え、そやな。走ったけどどこのローソン?」
「岩倉の・・・」
「う~ん、あそこかな? 走ったで。なんか銀色のCとすれ違ったし、君らのお母さんかなあとも思って見たけど、中まではっきり見えへんかったわ」

壁に耳あり障子に目あり。下手なことはできません。と言いつつ手鼻かんだりしてますがね。汚い話で恐縮ですが走っていて鼻が詰まるとしんどいんです。そこで手鼻がうまくいくと快感ですよ。ぜひお試しください(いや、よほど切羽詰まった時以外はおよしあれ)。

今日は久々チャリンコ出勤。甘えからしばらくさぼっていました。やはり寒いですね。鼻水が出そうでした(出た?)。おまけに風が強くなかなか前に進みません。でも私は車を選択できますが、生徒たちは無理。寒くても毎日ゼミに通ってくれているのですからありがたいことです。心から感謝しています。
帰りは厳しかったですね、特に。ランニング用毛糸帽で耳を覆って帰って来ました。
自転車で走ると車とは明らかに違う起伏を感じます。走るのと自転車とでも同様、違いは微妙にわかります。
「どうちゃうねん? 100字~200字で説明せよ」と言われると厳しいんですが「全体的には走る方がしんどいけれど部分的には自転車の方がしんどい」という感じでしょうか。
「何? ようわからん」という方は一度出勤、登校時に両方をやってみてください。きっと、よ~くわかると思います。

さて今日も今から200です。しんどいな。

ではね。

就職内定率

2011年01月18日

今日は冬型が緩むと聞いていたんですがそうだったんでしょうか。寒いと感じたのは私だけでしょうか。
朝走ったときは水たまりがカチンコチンに凍っていました。日陰は先日の雪が固まってアイスバーン状態です。
まあ北海道にいたこともあるし学生時代はスキー部(下手ですが)在籍だったので雪の上は慣れてはいますが、ツルンツルンで滑ります。滑るまい、転ぶまいと思うから転ぶのであって滑るに任せると逆に転びません。
思うに北海道や雪国のランナーは冬の練習は大変でしょうね。かの地では雪は降るわ、道路は凍るわ、寒いわ。京都の寒さごときで弱音は吐けません。でも確実に走る人はいらっしゃるんでしょう。極寒の中を黙々と練習を重ねてはるんでしょうね。

がんばれ北の仲間たち!俺も走ります。

来春卒業予定の大卒者の就職内定率が68,8%と平成8年度の調査開始以来過去最低の水準だそうです。私は知りませんが過去に「大学は出たけれど」という、今でいえば流行語大賞になるような言葉が流行った時代の再来でしょうか。「超氷河期」をさらに越える現状のようです。最高学府を出て仕事がないという現実には厳しさを感じます。学歴ではないんでしょうか。本人の資質が一番なのかもしれません。高望みしなければ仕事はあるようにも思います。どうなんでしょう。私にはよくわかりません。

私自身も努力は怠っていませんが、それが裏目に出たり報われなかったりは茶飯です。
「他人の心配より自分の心配しいや」と思うことも日常です。真面目に一所懸命やるだけではいけないのはわかりますが、少なくともそういう人たちがささやかでも毎日普通に生きていける社会を実現できないもんでしょうか。こんな甘ちゃんなことを言っていると生きていけないのかもしれません、ね。

自分ではやることをやっているつもりでもそれがたりないのかもしれません。(っていうかあなたは走ったり、読んだり、書いたりはしてるけど仕事やってんの?「すみません。やってます」あ、ごめん。怒った?「いえ」)いやバカ話はおいてやるべきをやりますね。

さて日課の200回腕立てをやりましょう。正直かなり毎晩しんどいんですよね。

小学生が学校での様子を。かいつまむとインフルエンザで学級閉鎖になりそうとのことです。そろそろきたんでしょうか、流行が。受験生のみんなはくれぐれもご注意くださいね。本番直前に風邪をひいてしまっては最悪ですから。

私は「気合い」と「うがい」と「手洗い」の3つの「い」で絶対風邪もインフルエンザも寄せつけませんからね。

雪の金閣

2011年01月17日

阪神大震災から16年になりますか。早いものです。あれは恐かったですね。一度眠るとけっして朝まで起きない私がその揺れで目を覚ましました。

気がつくと子ども部屋で箪笥が倒れないように押さえていました。しっかりお父さんをしていました。まったくの無意識の行動でした。そこに寝ていた我が娘たちも成人しそれなりなんとかやっています。

その後神戸方面からの情報が少しずつ少しずつ入って来る度にその被害の大きさが知れ渡り戦慄しました。最初は
「何かとんでもないことが起こっている」程度のことしかわかりませんでした。

震災で身近な人を失った人は数知れません。最愛の人を亡くし喪失感を抱えたまま今を迎える人も多いんでしょう。時はあの時点で止まってしまっているんではないんでしょうか。一日であるいは数日で「遺族」といわれる境遇になってしまった方たちの心中は察することができません。

ご冥福を祈らせていただきます。

朝野暮用をすませ、出勤しようと車を走らせつつ
「せっかくの雪やし京の雪化粧でもブログに載せたいなあ。金閣はベタやし、銀閣の方が渋いしええな」と思いつつ金閣へ(なんやそれ)。

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けっこう午前遅めだったんで雪がだいぶ消えていました。でもやはり金は映えます。

個人的には「金」より「銀」が好きです。

駐車場におっきな観光バスが5台、いや6台やったかな。団体さん多し。
「この時期もこんないんねや」と思いつつ境内ですれ違う人たちは韓国語と中国語を話す方たちでした。

そのうち日本が彼らに席巻される危惧を感じます。

彼らが云々というのではなく日本人、いや
「俺自身がもっとしっかりせなあかんな」と思いつつやすませていただいても
「いいかな?!」

「いいとも!」

おやすみなさい、ませ、ませ。

都道府県対抗女子駅伝

2011年01月16日

皇后杯第29回全国都道府県対抗女子駅伝は京都の逆転優勝で幕を閉じました。
朝からの雪で選手たちは大変だろうなと思っていましたが、走っている間だけ雪も降らず好コンディションでよかったですね。
原谷の入試直前講座に行くので交通規制に引っかからないように気をつけて出発。ラジオの中継を聞きつつ移動。途中京都が首位に立ったとの情報。
「ん~。これは直接応援しないわけにはいけない」といろいろ頭を働かせます(働いたか?)。結論(至るまで長かった)は
「京銀さんの駐車場へ車を止めさせてもらって(すみません無断で。でも俺口座あるし勘弁ね)西大路で見る」でした。
西大路をわたると返りがまずいなと思いつつままよ。
しばし寒い中待つと福士さんが目前に。
「がんば~福士さん。行けー!」と大声をあげている自分がいました。その後47都道府県みんなの最終走者に声援、拍手を。熱くなりました。
まったく無関係の私ですが、目頭を熱くしました。速い人はもちろん、遅い人(といってもとっても速いし感動的)が懸命に走る姿には得るものがいっぱいありました。俺もその一片でも学ばねばと・・・・・・

朝、ネタつくりと思って走りました。寒かったですねえ。それより何より、踵に雪がついて走りにくかったですね。これは初体験です、ね。自分の左右の足の長さが変わりましたよ。

今(17日の午前1時半)さらに激しくなった雪が舞っています。明日の朝やいかに? 大変なのがわかりつつ、雪に昂ぶる自分が不思議です。

いろいろつづろうと思っていたことが、いざとなると出てきません。これは歳のせい? それとも私の痴呆症? ま、いずれにしても、なんでもいいか。

では今日はここまでです。

「そやけどあんた、なんもないなあ訴えることが」

「確かに」

でも、まあ、いいでしょう。

今日は女子駅伝の感動だけでいいでしょう。

入試直前対策講座

2011年01月15日

今日から土日を使った入試対策講座。明日の模擬テストの関係で原谷は12:00~14:30、西賀茂は12:00~18:30でした。いよいよ追い込み期を迎えました。
みんながんばります。私も老体に鞭打ってやります。この老体は一筋縄ではありませんよ。そんじょそこらの若い人たちよりずっと元気です(たぶん)。2月⒑日まで無休の戦いが始まりました。毎年のこととはいえなかなかの厳しさでありまする。
いろいろ書こうと思いましたが、今日はここまでにします。
やすませてもらいます。

なにやら世間は荒天のよう。センター入試のみなさんにその影響が及ばぬことを願いつつやすませてもらいましょう。

鳥取マラソン

2011年01月14日

あまりの空腹におやつを買おうとコンビニへ。
商品を買って表へ出ると
「露原先生」
「おお久しぶり」
「誰かわかります?」
「そらわかるよSくんやろ」
「うわ、絶対覚えてはらへんと思たのに」
「覚えてるよ」
「あれ」と指差すほうに人影。近づいてみるとYくん。2人とも公募推薦で京産大合格をきめています。優秀ですね。
なんでも私の車が駐車場に入るのを目にし追いかけてきてくれたようです。しばし世間話をして別れましたが、わざわざ追いかけてきてまでくれてのお声かけとってもうれしかったですね。
教え子と街で出会ってそっぽ向かれたらさびしいですもんね。

今日の讀賣新聞にミズノの新製品ランニングシューズが載っていました。そのお値段はなんと23,100円。う~むむむ。高いなあ。波形の2枚のプラスチック板を張り合わせクッション性を高めたそうです。初心者向けとのことですが、かなりの逸品でしょう。これを履いたら3時間30分がでそう? かね。
まあしかし買わんでしょう。今までで一番思い切っても9,000円がええとこやったですしね。
道具ちゃいますよ、やっぱ中身です(そやねえ、あんたは中身充実やしね「なんか嫌味やな、その言い方」わかるか?「わからいでか」)。格好から入る方も多いですが私はまったくそれは考えません。走るのは簡素単純やしやっています。走り用の靴さえあったらあとはなんでもええもんね。ランパン、ランシャツなんてなんでもええしね。ぜひ気軽に運動をとお考えの方は走ってみてください。すぐできますよ。見栄えはしなくてたいへん地味ですが、禁欲的な自己陶酔的な魅力はありまっせ。

3月に鳥取マラソンでフルを走ろうかなと。いろんな条件がそろわぬといけませんが、一応エントリーをしようかと考えています。

性善説

2011年01月13日

基本、人を信じて生きてきました。本性は「善」でしょう。「悪」であるはずがありません。そう信じて人生ここまでやってきました。ときに裏切られたこともありましたが根幹のところでは今も同じ思いです。

今もニュースでさまざまな犯罪が報道されています。やはり「性悪説」なのでしょうか。いや「善」と信じたいです。「悪の行為はそれが私欲によっておおわれることから生じる」と孟子は唱えたそうです。そう誰にも私欲はあります。もちろん私にもあります。その塊かもしれません。でも理性や体裁を繕う気持ちが強いので「悪」は行わないようにしています。他者に「悪」を行わせる隙を作るのは作った側にその責があるのやもしれません。

「誰かを疑う」ということ自体さもしい行為ですよね。それだけはいややし己の不徳にその因を求めましょう。

今日とても嫌なことがありました。不本意ながら重いブログになりました。すみません。

けっこう引きずりそうな問題ですが、早く吹っ切って、(空)元気のつゆちゃんを取り戻します。ここんところ、ろくなことありませんわ。泣きっ面をハチに刺された上に足払いをくらい、その上から踏みつけられた感じです(かわいそうに)。

もうここでやめた!! この話題は。

「あまりいいことないなあ、ミスタードーナッツ」(回復したやん、早いなあ「でもないで。うわべだけですわ。ほんま、辛いことあってん」人生たいへんやなあ、がんばりや「うん、ありがと」)。

さて筋トレをしてやすませていただきます。

更新するか否か悩むそれですが、あえて、です。

朝起きて「やっぱりやめた」となったら、削除差し替え(用意してんの? 「ん、そらあるで・・・・・・)もあるかな? 早起きの方だけが読めるそれです(心配せんでも、そないぎょうさん読者はいいひんて「やね」)。


雪乃蔵

2011年01月12日

不思議なことがありました。
昨日あるいただきものがあって
「何か気の利いたお返しをしなければいけないな。山形の雪乃蔵の日本酒がいいな。先日喜んでもらえたしな。でも、今は新酒もないだろうし連絡先も調べなければわからないしな」と思っていました。す・る・と電話が鳴ります。表示は02から始まる市外局番です。
「んん? まさか」と思いつつ出ると、なんとまあ雪乃蔵さんでした。少し値の張るお酒なんですが味は間違いなし。年に一度くらいは許されるかなと電話一本のお誘いにいいようにのせられて購入していました。

その経緯を話すと先方のAさんも驚いていらっしゃいました。思うにすごいですよね。電話ひとつで見ず知らずの私からお酒の注文を取り付けるのですから。きっと彼女は営業成績もいいんでしょう(あんたが調子乗りなだけやろ「たぶん」)。
で、ちょっといいのと、それよりもう少しいいのとを都合6本送ってもらうことに。
電話がつなぐご縁。これもまた一期一会です。ぜひ一度お会いしたいものです。
彼女とっても素敵なお声。山形の訛りの一片さえも感じさせない流暢な口調です。
「こんなこともあるんだな」としみじみ思った日でした。

さて中3、さすがにこの時期真剣です。私立の過去問を時間を切って取り組みます。鉛筆を走らせる音しか聞こえません。やっとその気になったか、こんにゃろめ。あはは・・・・・・

あとしばらくみんなちゃんとやろな。

俺もちゃんとやってるで。でもなあ、あんまええことあらへんわ。なんか裏目、裏目です。真面目に一所懸命やってるつもりですが、ことは思うように運びません。真面目に一所懸命が足りないんでしょう。

では、やすみます。

今日は、というか今日も筋トレがまだです。

鏡開き

2011年01月11日

今日は11日、鏡開きです。
鏡餅を供えることで新しい年の豊作や無病息災を祈り、その神様が宿った餅を食べることで新しい年を生き抜く元気をいただくんだそうです。
また商家などでは鏡餅をたたいて割るとその数が増えます。それをお金が増えることにつながると縁起を担いだとも言われているそうです。(開いたお餅の中にこの説明をした円い紙が入っていました)

昔のお鏡はほんまもんの大きなお餅。それを二段重ねにしたものに裏白や昆布、干し柿、橙を飾っていました。鏡を開く頃にはひび割れたりカビが生えたりしていた記憶があります。カビは包丁のあごの部分で丁寧にこそげ落として玄翁で叩き割って小さくして焼いたり煮たりして食べました。今ならカビが生えたら捨てちゃうかもしれませんが、昔はそんなもったいないことはけっしてしませんでした。

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コーナンで買った鏡餅を開くと真空パックのお餅(一袋2つ入り)が5つ、いや6つかな、出てきました。味気ないといえばそうも言えるけれど、それが今なのかね。それはそれでいいんでしょう。下手に回顧するつもりはありません。昔がよかったとも思いません。快適さを思えば劣るとはいえ勝るとは言えませんもんね(ん? なんか反対やね)。

一生懸命やっていますが、から回り、うまくいかないことが多いですね。

でも、それしかないから常にそれだけでいきましょう。

と思いつつ眉間にしわが増える、いやしわの溝が深くなる自分を発見して・・・・・・嫌んなります、プリウス。

では、また。

久御山 残念!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

2011年01月10日

中3の模擬テストでした。
朝7時起床。外に耳をすますとどうやら雨か雪のよう。戸を開けると案の定、雪が舞い地面は白黒まだら模様。寒かった~、眠かった~。
原谷はけっこうな雪化粧。着くなり雪かき、あーしんど。さぶいさぶい。

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高校サッカーの決勝戦は滝川二高の優勝で幕を閉じたようです。久御山は全国公立の夢をつなぐ大活躍でした。悲願はまたどこかの公立、いや久御山自身のそれとしてがんばってください。

高校ラグビーは東福岡、桐蔭学園の両校優勝。

春高バレーは男子、東亜学園の3大会ぶりの優勝、女子は東龍の歓喜V3で閉幕。

大学ラグビーは帝京の2連覇。

スポーツが幾多の感動を与えてくれます。

讀賣新聞の「顔」欄に帝京主将の吉田光治郎さんの話が取り上げられています。

思うように行かぬ大所帯133人の部を統率しきれずに頼った先輩からの「自分の弱い部分も出して、みんなにもらうことも大事じゃないか」との忠告。

4年生だけの飲み会で
「俺は本当に日本一になりたい。でも、自分の力が足りないから、まとめきれない。助けてほしい」

これは勇気のいる言葉、態度だと思います。誇りを捨てて正味の己をさらけ出します。なかなかできることではありません。

俺もへなちょこ主将でした。それだけに肩肘を張っていたんでしょう。疲れていたと思います。もっと自分をさらけ出し素っ裸になっていたら楽だったんでしょう。これは54歳になって初めて気づいたんでしょうね、きっと。
「あの頃は若かった~」和田アキ子さんです。

なんかお茶らけてしまいました。すみません。
ほんまは感動の場面をここへ導いて終わりにしようと思っていましたが、かなわぬ夢でしょう。

ここまで生きてきて、54歳になって、やっと生きていくことの大変さに気づく自分がいます(遅いやろ「そう思います」)。

さて暢気おじさん、小心者のおっちゃんはどう生きていくのかな。

毎日このブログを綴られる幸せは感じています。

ありがとうございます。

おやすみなさああ~い。

なまらや

2011年01月09日

「なまらや」というお店があります。
北海道の料理を出してくれます。
ときどき行きます、北海道を思い出したくなったときに。
お手頃価格で北海道素材を提供してくれる良心的なお店です。

今日はちょっと贅沢して毛ガニを頼みました。
松葉やタラバとは違う味わいです。繊細かな。
カレイのから揚げも驚くほどの大きさ、美味。
氷下魚(こまい)の一夜干し、久々の味だな。
いも餅かぼちゃ餅、これもまたうまかったな。
北の誉、千歳鶴が飲めるのもうれしいんだな。
北寄貝やインカの目覚めもあるのがうれしい。

ぜひ行ってみてください。
洛北高校前バス停を下鴨神社へ向け50,875m(すみません。適当です。すぐ近くです)下がったところ東側にあります。
その名の由来はきっと北海道弁の「なまら」にあるんでしょう。
あえて私はその意味に言及しません。
ご興味がおありの方はお調べくださいませ。

では、おやすみなさいませ。

もどった

2011年01月08日

昨日落とした鍵がもどってきました。畑のSさんに偶然お会いしたので厚かましくもお借りしました「巨大な畑穴開け棒」を。正式にはなんというのか知りません。写真をご覧くだされば大きさがおわかりいただけるでしょう。置いてあるのは今読んでいる文庫本です。

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現場に着いて勇躍「側溝蓋こじ開け作戦」の壮途につきます。ところが私の使い方が悪いのかSさんにやってもらったときのようにうまくいきません。
「???」どうもコンクリートの厚みが西賀茂と違うようです。意気消沈、落胆失望。
で日の光の下で隙間からのぞくとありました。鍵が見えます。
「しめた」と思って炭ばさみでとろうとして取り損ないました。炭ばさみの形状と穴と鍵のある場所との角度が微妙にずれています。
「見えへんようになった」なんとかならへんかとクリップをL字状に曲げたものを細い棒の先に付けたものをこしらえました。手探りで底をさらうと手応え。落とさぬようにそうろりと持ち上げました。
「いや、よくぞもどった鍵さんよ」と欣喜雀躍、小躍りしました(うそです)。水に一昼夜浸っていたんですが、施錠解錠の遠隔操作も無事でした。
改めてしみじみ見ると10年間の歳月が感じられます。錆も浮いてきているし樹脂部分は傷だらけ、古ぼけた感は否めません。まだしばらくお付き合いいただくことになるので大事にしてやらなければいけません。

寒かったんですがパンジーを植えました。80ポットですから1時間くらいかかりました。なんと原谷では土が凍っていました。

土が凍っているのを実感するのは久しぶりです。およそ40年前釧路で春を迎えたとき山へ行者大蒜を採りに行きました。肩には剣先(スコップのひとつです。先が三角に尖ったそれです)。まだ残る雪の地面から出るアイヌネギ(行者大蒜のことです)の芽を見つけると、その周りを持参の剣先で掘り下げます。日に当たらない白い部分がおいしいと教えられました。というか地表に出ている部分はほんのわずか。見つけるのはけっこう大変、至難の業かもしれません。十数本のそれを手に入れ帰る俺は意気揚々、我こそは英雄なり、という感じでした(たぶん)。それは朝餉のみそ汁の具になり、夕飯のぬたになり、と活躍しました。

なんかあのころってさあ、家計を助けていたような気がするんですよね。
先のアイヌネギに限らず山ブドウ、コクワ、グスベリーなど自然の幸を満喫させてもらっていました。あ、なんか違いますね。うちの食卓がこれらで賄われていたんではありません。食卓の一部を飾っていたとご理解くださいね。

さて夜も更けましたやすませていただきましょう。

北海道ネタについては語っても語りつくせぬものがあるかな。まあ、でもそれは、またの機会ということで。

大失態

2011年01月07日

やってしまいました。側溝に車のキーを落としてしまいました。生徒たちがよくやるので彼らには注意をしていたんですが、自分がまさかやろうとは・・・・・・予備のキーをかばんに入れていたので帰ってくることはできましたが、どうしましょう。諦めましょうか。

側溝のふたは重いコンクリート製です。生徒が落としたとき若い頃は持ち上げていました。(今思えばすごい力だ)最近は腰が不安。向かいの畑のSさんに長~いバール様のものでこじ開けてもらっていました。事情を言ってお借りしましょうか。なんともはやの大失態です。けっこう用心深い(臆病な)面もあり、そうそうこういう失敗はないのですが、困りました。まったくどんくさい話です。

今まであまり落としたこともなければ拾ったこともなかった人生です。ここへきて大きな落し物でちょっと落ち込んでいます。
落としたんじゃないけれども自転車の前かごにかばんを置いたまま店に入りほんの15秒くらい後に気づいてもどったときにそれが盗まれていた経験はありました。何日後かに警察から見つかった旨の連絡がありました。財布はもどりませんでした。不幸中の幸いで2、3千円しか入っていなかったそれです。

そういえば伊丹在住時、小さいころ500円札を拾って交番へ届けました。6か月と数日後に落とし主が現れずそれをいただきました。当時としては大金だったなあ。確か親が貯金してくれたような記憶があります。

今回のことは自身への警告かな。
「気い抜いたらあかんで」という。

しゃっきりいきましょう、明日、いや今から。

ではやすみます。

いろいろあってちかれちった。

神頼み

2011年01月06日

「あけおめ~。ことよろ」来るなり生徒が言います。
「ん? はいはい。おめでとう」しかしそこまで略すとはね。これを言葉の乱れとみるか、言うだけましととるか、親愛の気持ちと考えるかは判断に迷うところです。
まあ言うだけましか。

言葉の乱れといえば、ファミレスでの昼食時のこと。
ウェイトレスさんが料理を運んで来ておっしゃいます。
「こちらが本日のランチになります」前から気になっていた、この「なります」
「『なります』って、これは今ランチになっていなくてこれからランチになるんですか」と思わず突っ込んだろかと・・・・・・「~です」でいいんじゃないでしょうか。

テレビなどの番組でも「ら」抜きが気になります。
「アナウンサーならともかく、まあタレントや芸人だからしゃあないか(あの、これけっしてタレントや芸人さんを馬鹿にしているわけではありません。念のため)」とは思いますが、やはり公共の電波を使っての放送ですから正しい言葉づかいをしてほしいと思うのは私だけなんでしょうか。言葉はある意味生き物です。時を経て変わるものですからいつの日か「ら」抜きも市民権を得るのかもしれません。私みたいなのが逆に変固なおじさんになるのかもね。でも私だけでも正しい言葉づかいは心がけましょう(んなこといってるけど、あんたのブログもたいがいやで。「そうかもね。すみません」)

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天神さんに行ってきました。やっとです。実は昨日おとといと行ったんですが、駐車場が大渋滞(ちょっとおおげさ)で
「さすが天神さん」とすごすご引き下がりました。で、今日「天神矢」を入手しました。絵馬の干支が変わるだけ。誰も注目してへんし何年でもそのまま飾っておいてもええんですが、縁起もんやし毎年お参りしていただいています。

受験生みんなの合格と身内の健康、ゼミのつつがなしを祈ってきました。
神頼みしてどうということはないんでしょうが、まあ恒例ということで毎年行っています。

神頼みでことがなればみんながそうすりゃいいんですが現実は厳しい。それでもみんなが参るのは社会の閉塞感が因ですか、ね。

今日は早起き走りました。仕事もかなりやりました。原谷教室をけっこう真剣に拭いて掃いてきれいきれいにしました。生徒が来る前の教室、誰もいないと寂しけれどそれはそれでまた違った良さ静寂があります。寒さもね。


Blue Wednesday

2011年01月05日

「早起きして走って、シャワーを浴びてピシッとネクタイ締めて、スーツ着てばしっと行くぞ」のつもりが・・・・・・めっちゃだらだらしてしまいました。自分が嫌になります。ほんと恥ずかしいです。

まるでトム=ソーヤーの Blue Monday を地で行く行為です(今日は Wednesday ですが)。確かそんな表現がありましたよね。楽しい週末を過ごした後の月曜日、学校へ行かなくてはいけない憂鬱を表す言葉です。彼は子ども、私は大人。まさしく大人気ない行動でした。気合いを入れなおします。

『トム=ソーヤーの冒険』は大人になってから読みましたがとってもおもしろかった思い出があります。自分の子どもの頃の体験と重ね合わせ懐かしくもあり、「もうあの時代には戻れないんだ」という悲しさも感じたような気がします。
同じマーク=トゥエインでも「ハックルベリー」の方はおもしろくなかったですね。なぜでしょう。翻訳者は違いましたね。

とりあえず明日はちゃんとやろっと。朝起きて走るにこしたことはないですね。そうすればその後の行動が心太式に押し出されてやらざるを得ない状況が現出できますからね。

駅伝応援の大声出し過ぎで喉が痛いです。今日の授業では声が何回も裏返ってみんなに笑われました。早めに寝ましょう。

おやすみなさい。


いつか俺にも「情」けが回ってくるかな?

2011年01月04日

「大雪で一時1,000台もの車が立ち往生した国道9号線。足止めを余儀なくされた観光バスの乗客などに対し大山町岡地区の住民たちが公民館の開放や炊き出しで励ました」という記事が讀賣新聞に掲載されていました。
熱々のそばやおにぎりを差し入れ、畳の上での暖かさを提供したそうです。
いい話ですね。目が潤みました(またか)。ともすれば自分のことだけで精いっぱい、他者にまではなかなか思いが及びません。そんな中文字通りの「あたたかい」話です。
住民のHさんは「困ったときはお互いさま。助けてあげたい一念でした」とおっしゃっています。えらいですよねえ。爪の垢を煎じて飲まなければいけません、つゆちゃんは。
人間誰しも一番かわいいのは自分。自分に余裕がなければ他人に優しくはなれません。そういう環境をこしらえていくよう心がけましょう。
「情けは人のためならず」です。回り回った「情け」がほしい訳ではありません。その場その時に自分ができる親切をするよう心がけましょう。

雪は好きですが、こうまで大きな被害をもたらすとなると考えもの。船も多く転覆したり沈没したりの被害や送電線が折れての停電が続いたり大変だったようですね。ここまで集中的な降雪がない地方故に、その備えが間に合わなかったんでしょう。新潟や秋田などの豪雪地帯ならここまでの被害にはならなかったのでしょうか。
雪が降ってくるとうきうきする軽はずみな姿勢をちょっと改めなければいけません。大晦日は京都も大雪だったようですね。今日走ったときにあちこちその名残がありました。凍っていて滑りそうなくらいの道もありました。

新年を迎え、走行距離も読書もすべて一から。また1,200㌔と100冊の長い道のりが始まります。正直しんどいんですけれど、今年もやらざるを得ないんでしょうか。いやいや楽しみ(?)でやっているのが苦痛になるようではいけません。喜んでやらせていただきます。そういえば昔出張で北関東、たぶん宇都宮? いや前橋かな。そこらへんの居酒屋で注文をしようと呼ぶと
「よろこんで」とおっきな声でこたえられて驚いたことがあったな。

さて明日は新年初日。走るより書くより読むより大切な仕事はじめです。やることを粛々とやらせて(どっかでいつか昔聞いた科白だなあ)いただきます。

年末年始腕立てさぼっていました。「0」ではありませんが「200」はやってませんでした(おっ正直に言いよったな)。今日から再開します。

では。

ま、なんでもいんでないかい

2011年01月03日

早起きして走りました。
「今日こそは皇居1周せねば」とね。近くに派出所があったので迷わず尋ねました。
「すみません。皇居はどっち方向でしょうか」
「こっちです」
「ありがとうございます」
「???」この間ホテルフロントの人に聞いたのとまたっく逆方向。きっと私が聞き違えたんでしょう。途中「年末年始特別警戒中」のお巡りさんにも念のため確認して走りました。元旦は60分近くかかってやっとたどりついた皇居はすぐそこでした。15分かからなかったです。
念願の皇居1周は果たしました。たぶん5㌔くらいでしょうか。御所よりちょっと長い感じでした。気持ちよかったです。意外や起伏がありました。同好の士がたくさんいました。

帰ると箱根駅伝が放送中。
「今ここにいて、駅伝を見ずに帰っていいもんかなあ。というか見るべきでしょう」と思い、急ぎ段取りを考え、チェックアウト。
東京駅へ。大きな荷物をコインロッカーへ預けて行動開始。とおもったんですが、、、そのコインロッカーの空いているのがない、ない、ないない。40分くらいあちこちうろうろしてあきらめかけたときやっと見つかった。

駅の日本橋口を出てゴール横を通りますが、大変な人ゴミ(ん? 人はゴミか?「ええって」)、人だかり黒山。
「ここでは無理やなあ」と思いつつ今少しゴールから離れます。使いなれぬ携帯のテレビ画面を見つつ歩を進めますがタイミングが悪くお目当ての大学、選手が見られません。
実は西賀茂中出身のFくんが東海のアンカーなんです(これも事前にはわからず観戦中に知りました)。本人を私は直接知りません。でもお母さんはひょんなことからお知り合いに。

ちょうどこの辺がいいかなと思ったところはゴール手前1㌔ほどのところ。見上げるとビルの壁面にテレビ画面。
「よしここで」と思いランナーを待ちました。早稲田が首位、それを追う東洋、続く駒澤と東海、明大。白熱の闘いです。少しずつ詰まる間合い。逃げる早稲田に追う東洋。4位、5位争いも、シードを争う8~10位も接戦。どのチームにも必死で声援を送りました。早稲田にも東洋にも駒澤にももちろん。でも東海のFくん君には特別。個人名+
「西賀茂中のF(呼び捨て)。行け~。がんば!!!」と喝(?)をいれました。

前を通る選手みんなに公平に、というか思わず知らず大声で熱い拍手、応援をしていました。壁面のテレビ画面のゴール場面にも盛大な拍手を送りました。気づくと頬には涙が伝っていました。正直安い、すぐ泣くおっさんの涙やけど、ほんまに感動しました。

昨日のCATSに続き、今日の駅伝にもすばらしい感動をもらいました。

この休暇、とっても楽しく過ごさせてもらいました。ありがとうございます。また明日からやらせてもらいます。

そうそう長女が短期ですが東京転勤、いや転勤ではないんですが2か月滞在。向こうで連絡をとるとちょうどうまく会えました。これもおもろいな、東京で親子対面はな。

京都に着いて関西弁を耳に。柔かいですね、耳当たりは。そやけど上下はあります。聞きたくない上方のそれもいっぱいあるな。

東京弁は冷たいな。というかホテルの人の応対はなんなのかな、慇懃無礼、いや、なんか気取ってるな、と思うのは俺の偏見でしょうか、いや僻みかね。

まあ、方言それぞれ、だね。んだな、いろいろあるわな。だなもっし。なんでやねん。

キャッツ

2011年01月02日

CATSを見てきました。ところは横浜みなとみらい21のCANON CATS THEATRE。
まったく何の予備知識もないままに始まりました。二部構成の一部はちょっと途中で眠くなりました。
「ん~ん・・・・・・ミュージカルはなあ、高尚過ぎて性に合わないかもなあ」

二部が開幕。幕間、なんかお腹が痛くなりそうで不安でした。
ところが二部が始まるやいなや腹痛なんてどこへやら。一部と違ってストーリー性のある劇が繰り広げられます。さまざまな舞台装置も活躍、役者さんたちの登場も意表をつきます。どこから出てくるか予想もできません。なにか気配を感じると思うと通路を「ねこ」がすり抜けます。音響もすごい。胸に、腹に響きます。
息をもつかせぬ場面が展開されます。

役者さんたちの歌声がすばらしい、踊りも。それらが芸術的に専門的にどうすごいのかは私にはわかりませんが、自然に拍手が沸き起こります。心の底から出てくるそれです。
最後の場面が終わったとき熱いものが頬をつたいました。正真正銘の感動でしょうか。客席に下りた「ねこ」さんとも握手をしてもらいました。

アンコールに応えて何度も役者さんたちが登場。すばらしい余韻に浸ることができました。思わず知らず手を大きく振っている自分がいました。
「ここで拍手をしたらまずいだろうなあ、俺そんな雰囲気つかめへんしなあ」と冷静に考えつつも手をたたきたくなる衝動を抑えました。

1983年初演以来7,000回を超える日本ミュージカル史上空前のロングランの理由はどこにあるのでしょう。芸術音痴の私に
「機会があればまた見てもいいかな」と思わせる魅力は何でしょう? わかりません。役者さん始めそれを支える裏方さん、監修(?)の浅利慶太さんの情熱でしょうか。
私なりの結論は客席と演者さんたちとの距離の近さかなあ、と。

真髄は思わず落涙、そこにはきっと本物があったんでしょう。

わざわざ行った甲斐はありました!!!!!です。

今日は今少し語ろうかな(もうええて)と思いましたが、このへんにしときましょ。

なんか関西弁に飢えてんなあ。