かっこいい、じいじ
2010年06月13日
ここんところ忙しくて走れません。なんかちょっと欲求不満かも。身体が重い感じです。前半好調で50近くいったきり距離が伸びません。今日は少し早く終わるんで雨でも走ろうと思っていましたが、あまりに激しい雨だしやめました。風邪でもひいたらしゃれになりませんからね。
明日からもあまり好天は望めぬようですし学校説明会などもあり、走れそうもありません。
パソコンが不調です。きれいな紫陽花の写真を取り込もうと思いますが、うまくいきません。とっても憂鬱です。おもしろくないです。思ったように動かないパソコンほど鬱陶しいものはありません。携帯電話のカメラだからでしょうか。いや違うでしょう。以前はうまくいっていましたから。試しにデジタルカメラの画像でやってみましょう。
貼れました、ね。うむ。ちなみに車の音に勘違いをしたツバメのヒナたちの写真です。
では次やってみます。
いけましたね。よかったよかった。さっきまではなんだったんでしょう。
写真は変わり紫陽花です。ガクアジサイと言うんでしょうか。地味ですが雨に似合います。先日テレビで見たんですが、この手の花はアジサイに似てアジサイにあらず。甘茶の花だというのを目にしました。これらはどうなんでしょう。まあ名前なんてどうでもいいですよね。目を楽しませてくれるその美しさに感謝です。
変幻自在。千変万化。色彩豊富。同じ株からでも違う色の花を咲かせています。いやいやお見事、鮮やかです。
黒野伸一さんの『万寿子さんの庭』を読みました。
就職を機に独り住まいを始めた京子さんと70歳を過ぎたであろう杉田さん(彼女が万寿子)との交流が繰り広げられます。年若い京子さんは、数々の嫌がらせを受けつつも、いつしか万寿子さんの孤独に気づきます。その二人の間に友情(ちょっと違うけど俺の語彙にないなあ)がいつしか芽生えます。その付き合いがいつしか万寿子さんの老いを因として壮絶な局面を迎えます。
考えさせられました。
ヒトはいつしか老います。それは必然。いかに老いるかという選択が許されればいいのですが、それは神のみぞ知る、でしょう。己の知らぬところでその老いが始まり、進むことも考えられます。元気なうちは自分にそんな状況が訪れることは想像だにしません。しかし。それは誰にもわかりません。
そう、それがある日突然、いやそれなりの兆候の後に万寿子さんに訪れます。
この辺のところを扱った話は『明日の記憶』がありますね。ああ、ちょっとちゃうか。あれは若年性アルツハイマーか。
~・~なんかあんた「老い」「老い」って言うけど老いたいの?(いや、んなことないけど、それなりの年になったら誰しも考えることやと思う)~・~
ぞう、俺はいかに老いるのかなあ。いかに老いさせてもらえるんかなあ。
昔から「かっこいいじいちゃん」が目標やったしそれを目指そっと。
そうやね。
では、おすやみさない。