日替わり弁当

2010年04月13日

「どっかで昼ご飯でも食べよっと」と用事を兼ねて出かけました。普段ならまず入ることのない喫茶店でご飯。というのも戸に『手づくり弁当あります』の文言。値段も内容も書いていませんが
「たまにはいいかな」と思い入店。ところがメニューにはそれはなし。食べ物はサンドイッチとカレーのみ。
「あれれ」と困っているとお店の人が
「お食事やったら日替わり弁当もありますよ。今日はエビフライ。食後にコーヒーを飲まはんねやったら950円」と助け舟(愛想はなかったけど)。
「では、それをお願いします」コーヒーはあんまいらんかったけど成り行き上頼んでしまいました(気い弱いな。いらんかったらいらんていいや「だね」)。待つこと10分くらい。
「お待ちどうさま」と運ばれてきたお弁当箱。
「そや『弁当』やったんや」と思いつつふたを開けると、めっちゃうまそうな中身。エビフライが生野菜の上に(タルタルソースがけ)二つ。ハクサイのごま和えと切干大根。ごま豆腐、梅干し、出し巻き一切れ。ピンクグレープフルーツ一切れ。
きれいにお米一粒残さず平らげました。すべてとってもおいしかったです。エビフライはころもさっくり。ごま和えはハクサイの湯がき具合が絶妙。歯ごたえしゃっきり。切干はうすあじで俺好み。特筆は出汁巻き。出汁のきき具合、焼き加減とも抜群。卵好きの俺には堪らない美味でした。コーヒーもうまかったです。
実は過去に2度行ったことがある店でした。1回目はモーニングサービスを、2回目はコーヒーのみを注文しました。以前知人が
「Aのコーヒーは京都で一番うまい」と言っていたのを思い出します。
「京都じゅうのコーヒー飲んで言うてんのか」と突っ込みたくなるのは俺だけではないでしょう。
京都住まいが長くなりました。どこへ行ってもなにがしかの思い出が蘇ります、善きも悪しきもね。そこらじゅうに転がっています、さまざまな残像が。この間いったい俺は何をして生きてきたんでしょう。碌なことはしてないな、何もしてこなかったんじゃあないだろうかな・・・・・・。過去はおくとして、行く末俺はいかに生きていくんでしょうかな。ま、せめて他人や身内にご迷惑をかけないよう心がけるでありまする。

都麦出版の社長さんとスタッフの方がきらりの授業を見学に見えました。実感算数の出版元です。
私は自分の授業があったのでお相手はできませんでした。終わったときにご挨拶に行くと感心されることしきりでした。
「みんな素直でいい子たちだねえ。よくできるし」と実感されていました。まさしく実感算数ですね。
ひょっとしたら都麦さんのHPに今日の写真や動画が更新されるかもしれません。よろしければ検索してみてください。

女性講師のAMさんとしゃべっていると彼女が今日献血に行ったことがわかりました。うれしいですね。若い女性が人のために血を献上。感謝です(俺が感謝すべきことじゃないけれど)。人のことを考えてくれている若い人がいることにありがたさを感じます。でしゃべっていて知りましたが、今までは年に3回できたのが2回になったことです。
「ん~ん、そうなると俺の30回献血の実現が遠くなるな」成分献血は毎月でも大丈夫なようです。
「となると、そっち方面で30に到達しようか」とかいろいろ考えました。
まあなんでもいいけど、みなさま時間の余裕とチクリとくる痛みに耐える気持ちがおありならぜひご協力くださいませ。(私は献血協会関係から賄賂をもらっているわけではありません「そんなんあえて言わんでもわかってるで」)

タイで命を落とされた村本さん。ご冥福を祈ります。正義の報道のために命を賭しての職務。俺なんかが云々できることではありません。残されたご家族を思うと悲しさはつのります。先の巨人軍の木村コーチにしても然り、受け入れられない「死」だと思うんです、身近の方にすれば。何をおいても本人が無念でしょう。
井上ひさしさんも亡くなりました。彼はご高齢とはいえ、きっとまだまだ訴えたいこと残したいことがあったと思います。もう少し生きて存分に思うところを語っていただきたかったですね。やすらかに・・・・・・

ただ彼らは著名。「死」すらも注目されます。が、しかし世間一般の人は、人知れず死んでゆく人たちです。いかに生きようとも最期は「死」がどなたにも訪れます。いかに生き、いかようにこの世を去るかはその人次第です。かっこよく生きようとも、死のうとも思いませんが、生きてあるうちは懸命に、とだけは思うかな(それってかっこつけてんちゃうん「かもな。なんやいうて俺かっこつけやもんな」おっ自覚してんねや)。

ちいと酔いました(毎度のことやね)。また明日もやりましょう。懸命にね。

今、伊集院静さんの随筆を読んでいます。

ではね(なんや、そこで終わりか)。