知識と感性
2010年02月25日
どこかの小学校のマラソン大会のよう。目を凝らすと背中に「Ritsumeikan」。
「おっ、立命か」5人見知りの子がいるはずです。探しながら走ることに。
いたいたYSくん。向こうは気づかず。あっ、NTくんのお母さん。おきれいな方なんで目立ちます。
「こんにちは」
「Tが走ってるんですよ」
「そうですよね。いないかなと思いながら走ってたんです」
「あの子、運動はあかんから」
「そうなんですか。では探しながら・・・・・・失礼します」なお行き行くとNSくん。向こうも気づきます。
「あっ」とにっこりすれ違いました。
「おっ、Sちゃん、がんばれよ」さらにMKさん。
「Kさん、がんばってよ」にっこり笑って通り過ぎます。暑いくらいの天気の中、みんながんばって走っていましたね。
ここのところの陽気で木々草花の新芽のふくらみを目にします。新しい命の息吹です。
鳥の声もよく耳にします。春が来たのを喜ぶかのように気持ちよく鳴いています。鳥は(も)不案内であまり知りません。特に声と名前が一致しません。
「いい声だな。なんていう鳥だろう」と思っても名と姿と声がそろわないとそれ以上思考が進みません。知らないということ、知識がないというのはちょっと悲しいことです。
誰だか忘れましたが詩人がまったく逆のことを言っていた文章を読んだこともあります。
「ものを見て、それが『何何だ』と思った瞬間、人は見るのをやめる。見ることをやめたところからは詩は生まれない」とかなんとかいう言葉だったと思います。なるほど、まずものと名の一致ではなく、ものそのものをよく見るためには知識は不要なんでしょう。それは感性なんでしょうか。
「知識」と「感性」を併せ持つように心しましょうか。どっちかが欠けてもうまくいかないのかもしれません。いや、どうなんだろ。そんな中途半端な事じゃなくてもっと自分を「きっかり」せなあかんのかもしれんね。
「暑いな」と思いつつ掃除をしていると大きな女の子の声。
「塾長、塾長」
「誰や誰や、どっかで聞いたことあるけど誰やったっけ」と思いつつ階段を下りるとそこにはIAさんが。
「受かりました~」
「おお、ひさしぶり。えっそうか、受かったんか。よかったなあ。握手、握手」彼女は銅駝高校を受験しました。美術の学校です。実は彼女、数か月前に引っ越しました。今は来ていないんですが、推薦で受かった他の子を話題にしたブログを読んで来てくれました。
とんでもなく絵はうまいのですが、素人目のそれと玄人目のそれは違うと思うんで、果たして彼女の絵がその眼鏡にかなうのかなとちょっと心配していましたが、やってくれました。よかったです。
学校から30分はかかるであろう道のりを歩いてわざわざ報告に来てくれた彼女に感謝しつつやすみます、ね。