へい

2010年01月31日

西賀茂、原谷の順で入試対策講座。国語と英語の私立過去問をやりました。さすがにみんな真剣な表情です。少し難しめのそれらだったので振るわない子もいましたが、合格点は超えています。国語で一番いい子は81点だったかな。その子にとっては苦手なはずの教科ですが、力がついたのでしょう。

休日なんで綿パンにセーターで行きました。そのセーター、鏡に映った姿を見るとかなりくたびれた感じです。(着ている人の方がずっとよれよれですが)
「う~ん、これ買ったのいつだっけ? あれがああしてああいう状況の時だし、もう4季目か・・・・・・よれるはずだなあ」と感慨に浸ります(かっこええやん)。綿パンウエスト76がパンパンです。そやし綿「パン」かっ(へいへい)。

でも、うちにはもっと年季の入ったセーターがありますよ。なんと学生時代に買った30年以上前の代物がね。当時はちょっと値が張った覚えがあります。貧乏学生でした。なぜそれを買ったかはわかりません。生協でした。当時4,000円だったと、確か。物持ちええな(それだけが取り得やねん)。

もっと年季が入ったのがあります。それはなにをかくそう(隠しようがないで「だね」)俺自身の身体です。53年使っています、目に歯に腰に、いろいろガタがきています。と言いつつ「俺は元気やで」という怖れを知らない傲慢な自分を感じています。こんなやつに限ってぽっくり逝くんでしょう。まあそれもよしかな。老いをそのままに受け入れる懐の深さを持ち合わせましょう。(お前にでけるかね)
うちのばあちゃんは毎朝毎晩仏壇を拝んでました。お念仏もあげていました。
「まかのはにまに はんどまじんばらはらばりたあや おんおんぼきゃべいろおしゃあの」とね(当時耳に残ったままの表記です)。
「おばあちゃん、毎朝毎夕、何拝んでんのん?」
「どうぞ、ぽっくり逝かしてくれてねごうてんねん」その通り、願うた通り、ぽっくり逝きました、ばあちゃんは92の天寿(?)を全うしてね。苦労しはったばあちゃんです。女でひとつで子ども5人を育てました。苦労をしたということを親戚づてに聞きました。昔の人は俺らが考えられへんご苦労をされたんやろうなあ、といつも思います。

閑話休題。今月はなんと16冊を読みました。これは記録と記憶に残っている限りたぶん最高ですね。
「よう読んだ。お前をほめてつかわす」
「ありがとうございます」とかなんとかばかっぱなしはこれくらいにしてやすもうか(なんかえらそうやな「まあ、たまにはええねん」)。

走りも111㌔。少ないながらもなんとか貯金ができました。走るも読むもどうでもいいこと、もっと肝心なところで貯金に匹敵できることをするように心がけまするでありまするでございます(ほんまにしいや「へい」)。

麺尽くし

2010年01月30日

今週のお昼は毎日麺を食べました。
月曜日…カレーなんばそば
近くの松庵さんで。人生初めてかも。うどんはともかくカレーにそばですからね。ところがこれ、カレーがよく効いてあったまりました。かしわ(鶏肉)もうまかったです。

火曜日…ラーメン大
ちょっと自転車で遠出(いうても5分くらい、やけど)した日本一さんで。久々です。太麺のまっすぐがうまいけれど年寄りには濃い。昔はよく行きました。焼き豚がうまいよ(俺ほんまは焼き豚はあんまり好きちゃうね。やけど、ここのはとろけるんですよね)。

水曜日…味噌煮込みうどん
出前で鶏泉から。よく煮込まれた里芋やごぼうが柔らかくておいしかった。ここは出汁のきいたおつゆがうまい。「けいらん」をぜひご賞味あれかし。

木曜日…ラーメン並
週一は行く藤さんで。年寄りにちょうどよい濃さ。大学生のころから行ってます。藤田君と金のあるとき二人で行ってビールを飲んで餃子を食うのが楽しみだったです。

金曜日…おかめ
卓袱のあんかけです。またも鶏泉さんの出前です。生姜がしっかりきいて美味。ほんまうまいですよ。ここは二品以上とか1000円以上とかの縛りがなく、440円のカレーうどん(好きやなカレー「んん」)のみでもおっちゃんが寒い中持って来てくれはります。俺からいうて「おっちゃん」やし、けっこう年いってはるから、ある意味気の毒ですが・・・・・・

土曜日…トマトバジルソースパスタ(おっしゃれ~)
んなことない、自分で麺を茹でてコンビニの105円ソースをかけただけ。粉チーズとタバスコをかけると、その安さを感じさせないおいしさでした。この値でこれだけが食べられたらパスタ屋はイラン、イラク。ちゃう不要。んなことはないか。

麺尽くしやな。

麺はおいしい。大好きです。全国すべて食べ歩きましたが(いや、ウソです)、やはり一番はさぬきかなあ、稲庭うどんもうまかったけど・・・・・。喜多方ラーメンも絶品やったし、出石の皿そばもうまかったなあ。今少し、もう少しあちこちでいろいろ食してから書きましょう。

朝走りに鴨川へ行くとマラソン大会。京産大付属中高のよう。速いも遅いもごろごろ走っていました。
「ん~ん、この6年にはうちの子らはいないなあ。昔(成安女子)のころはよくお世話になったなあ。O先生いはらへんかなあ」と思いつつ走るといらっしゃいました。
「どうも、ご無沙汰しています」とかなんとかお互い言いつつ走りすぎました。
若者の元気につられ最後の2㌔はけっこう思いっきり行きました。おかげさまで今脚が張っています。

本日は西賀茂で中3入試直前講座でした。かなり仕上がってきました。私立の過去問でみんな悪くとも50~60、できる子は70~90は取れるようになってきました。ええ感じですね。

明日も同様、直前講座。やりましょう。

最後の仕上げです

2010年01月29日

中3生の最後の模擬テストが返ってきました。これがすごくいい結果。いちばん上げた子は42からなんと56、14ポイントです。他にも11上げて67にした生徒や5~10ポイントが多くをしめました。うれしいですね。ここへきて「きたー!!!!」という感じです(古いな)。
思わしくない結果だった子がいるのも事実ですが、ここまで来たらそのことに気落ちせず、やれることをしっかり足元を見つめてやっていきましょう。
私学まで2週間足らず、公立まで40日足らず最後の仕上げです。全員の志望校合格を目標に共にがんばりましょう。

原谷5年生にとっても楽しいコンビがいます。KくんとFくん。「何がそんなに楽しいの」とつい言いたくなるくらい楽しげにやってきて、大笑いをしながら授業を楽しみ、がはがは笑って去っていきます。
「楽しそうやな。なんも悩みないねんやろな。あ、そやそや。写真撮ってホームページのブログに載せてええか?」
「うん、うん。ええよ、ええよ」と数枚パシャパシャ。
「どんなん、どんなん?」
「ほい、見てみ。どれがええ?」
「ん~これやなこれ、これがええ」
「うん、そやな」と彼らが決めた1枚がこれです。

P1050745.JPG

「君ら、家でインターネット見られるのん」
「うん、見られる、見られる」
「ほんなら、今日の夜、書くしな、明日の朝以降やったら見られるし、見てや。つゆはらゼミか鳥居進学ゼミて打って、ブログのとこ見てや」
「うん、わかった。ほな、さいなら~」と帰っていきました。
こんだけ楽しんで来てくれてるとこちらもとってもうれしいです。

歯医者さんには今朝電話をして謝りました。して月曜日に最後のお別れ(?)を告げにいきます(ちゃうか)。

申し訳ないN歯科医さん

2010年01月28日

「中3塾や習い事に40万円」と讀賣新聞にあります。なんでも過去最高額だそうです。幼小高生は減っている中、中学生のみ増えているそうです。そのほとんどは塾代で特に中3生は40万円のうち31,6万円が費やされていたそうです(2008年度)。
ほぼうちの塾にも該当する数字です。改めて考えるまでもなく、多くの負担をご家庭にかけています。この不況の折、少額とは言えぬ金額をいただいているわけです。私たちも仙人ではありません。食べなくては生きていけません。授業料をいただかないわけにはいけません。では、なにをしてあげられるかといえば、授業料以上の授業でみんなに喜んでもらうしかありませんね。成績を上げて、志望校に受かってもらうのが一番のお返しでしょう。やらせていただきます。

授業を終えて、つゆはらゼミ近辺のゴミ漁り、ちゃうゴミ拾いをしていると電話が鳴ります(不在時は携帯に転送されます)。
「ん、今ころ誰かな?」と思って見るとMさん。
「はい、露原です」
「あ、Mです。今よろしいですか」
「はい、いいですよ」Mさんは10月まで来てくれていたんですが、今は引っ越されて来ていません。
「今、引っ越したところで塾には行っているんですが、そこは土日がなくて」
「普通そうですよね」
「お姉ちゃんのとき、入試対策講座で毎週土日やってくれてはったでしょ(よう、覚えてくれてはるわ)。土日もてあましてるし、それだけでも行かせてもらえへんかなと思て」
「ああ、そうですか。はい、いいですよ」との会話を交わしました。
なんかうれしかったですね。彼女の合格へ向けうちができることをさせていただきましょう。

今朝やってしまいました。歯医者の予約が忙しさのあまりぶっとんでいました。起きたときなんとも言えぬ違和感を感じましたが、その後思慮が及びませんでした。すみません、N歯科医さん。明日お詫びの電話を入れなければ。
では、おやすみなさい。

「旬」

2010年01月27日

ソラマメを食しました。なんで今頃と思える時期です。昔、畑をやっていたころは「育てよ、大きくなれよ」と手塩にかけ、春盛んなころやっと市販のそれの半分くらいの豆を収穫して舌を喜ばせました。
菜の花も売っています。どうやら九州のほうでとれた(栽培した)それのようです。まだ1月なんですが、ずいぶん季節を先取りしています。豆も菜の花も大好物なので、それはそれでありがたいのですが、ちょっと季節感がずれすぎますね。いわゆる「旬」はどこへいってしまったんでしょうかね。
好きなものをいつでも口にできるということはありがたいことです。反面、それが収穫される時期をまた迎えられたというありがたさはありませんね。
子どものころはトマトは夏にしか食べられませんでした。昔ばあちゃんの畑で夏の盛りにもいだトマトを丸かじりしたとき、とっても甘く、おひい(太陽)さんの味がしたことがいまだ舌先に残っています。うまかった。
いつでもおいしいものを食べてもらいたい、季節外でも自分の作ったものを提供したいという思いは大切。それに費やす力、工夫は並大抵ではないでしょう。その努力には敬服です。
ゼミに置き換えるなら何でしょう。成績は上がってあたりまえ。志望校に合格してあたりまえ。それ以上の何かを与えられるゼミにならなければいけないんでしょうね。がんばります。いや、今もそうしていますが、それを知らしめ、認めてもらわなければ意味がありません、からね。
いや、難しい、ですね。
ゼミが「旬」になりたいですね。
では。

道のり

2010年01月26日

お知り合いのある会社の社長さんにものすごく元気な方がいらっしゃいます。単にお元気なだけではなく、仕事にも私生活でも精力的に取り組んでいらっしゃいます。確か去年還暦をお迎えになったと思いますが、本当に年を感じさせない方です。
スキーもされるしテニスはうまい、最近は走ることも始められました。出張で北海道へ行かれたらその合間をぬってゲレンデで目いっぱい滑らはります。ランニングシューズを持参され出張先でも走っているようです。「やるな、お主」という感じです。
春のハーフをお知らせしたら初ハーフに挑戦されるようなことが書かれたメールを今日いただきました。おまけに頭もよろしいんです。見習うべき点がいっぱいおありです。追いつけないかもしれませんが、まあ負けずにがんばりましょう。還暦まではまだ7年あるな・・・・・・自分の還暦は想像できませんね。60かあ。そこまでいくかな・・・・・・俺自身がここまで生きるとは思ってなかったなあ・・・・・・(・・・・・・ばっかりやなあ)おやじが早(はよ)死んだし、自分の53歳でもずいぶん生きたな、とは正直思っています(本音ですよ)。

厳しい世の中ですね。帰ってテレビを見ると失業して求職中の方が半ばにして心臓の発作で亡くなられた特集をやっていました。生きるのは大変ですね。生活に汲々とするのを否むわけではありません。生きていることに感謝を感じています。とはいっても真面目に生きている人がそれなりの人生を送ることができる世の実現を期待したいですね。
憲法第25条の「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」をね。今の世はそれが程遠い現状ですよね、残念ながら。タンス預金4億、月の小遣い1500万円の人が行政の長などをやっていらっしゃったら無理かなあ。
他力には限界があります。自力で確保するしかないんでしょう。

今月は100を今日超えました。本は14か15読みました。出足よしです。しかしいつ何時、何があるかわからないので油断せず、積み重ねます。長い道のりです。あと1100、85ですね。

973兆1625億円

2010年01月25日

寒かったですね。自転車での帰路はこたえました。毛糸の帽子を持っていたので助かりました。
天気予報は雨模様でしたが、あえて自転車にしました。生徒の大変さを思いまして。
雨が降ると生徒は来るのが大変です。かなりの雨でも自転車でがんばってやってくる生徒もいます。俺は雨が激しければ車という選択もありますが、生徒はそうはいきません。車で送迎してくださるお家もありますが、ありがたいことです。お家の方への感謝の気持ちを忘れないようにしましょうね。
今のように各家に自動車なるものがあるようになったのはいつからでしょう。私が子供のころにはあり得ないことでした。家に車があるのはごくごく一部のお金持ちの家でしたね。それが今や当たり前、2、3台だって普通になりました。体裁だけは裕福になりました。自分が自分の車を持つというのは子どものころには想像の外でした。

伊丹での小5までは徒歩通学(あたりまえ)。
6年からはバス通でした。郊外というか釧路湿原のはしっこに建つ官舎から通いました。数年前に釧路を訪れたときにその官舎を見に行きました。よくぞこんなところにと思うほどの奥地でした。
そう、当時走っていたのは東邦交通という私バス(たぶん)。冬のある日、バス道沿いに北キツネが出現。運転手さんもバスをとめて、その愛らしいキツネをみなで観察(?)しました。そのかわいらしい姿は今も瞼に焼き付いています。帰りはバスに乗らず釧網線の線路を歩いて帰ったことも一度ならずありましたね(もちろん学校では禁止されていましたが)。レールに耳を当てると遠くから列車が近づいてくるのが耳で感じられました。
高2からは釧路のちょっと市街地に近い官舎に引っ越しました。これも同様再訪しましたが、よくもまあこんな狭い所にというほどのものでした。そっから高校まで歩くと35~40分でしたが、歩きました。バスはありましたが、バス代を小遣いにするために歩きました。今思えばよくやったなと思います。夏はともかく、あの厳冬の町をよくぞ歩いたものです。
さらに当時は剣道部。なんとか腕力を鍛えたく鞄に2kgの砂をつめた缶を入れていました。しかも人目がなければそれを変な格好で持ち
「あの電柱まで」とか思いながら往復歩いていました。あのころは熱かったなあ。剣道一直線でした。バスに乗ることがあっても吊革つかまらずつま先立ちの俺はかなり変な高校生でしたね。

産経新聞によると、国債と借入金、政府短期証券を合わせた国の債務残高が973兆1625億円に上る見通しだと発表した。空前の1000兆円に迫り、国民1人あたりで換算すると、約763万円に上るそうです。973兆というお金がいかなるものなのか想像すらできません。国家予算の10年分というくらいしかわかりませんね。これって我が国は大丈夫なんでしょうかね。
4億円のたんす預金の人や月のお小遣いが1500万円という方々が政権与党を担っていらっしゃるから、きっと大丈夫なんでしょう。それにしても、ですよね。自民党がやっても、民主党がやってもおんなじやね。ええ加減にしてほしいなと思うのはきっと俺だけなんでしょう。
では、ね。

イソップ です

2010年01月24日

『ヘタな人生論よりイソップ物語』植西聰(あきら)さんを読みました。
イソップに材をとり、いろいろな含蓄のある文章、示唆に富む言葉が綴られます。「ことふりにたれど」の感も否めませんが、いや私がそんな偉そうなことを言える立場ではありません。自分の毎日に重ね合わせてみると恥ずかしくなります。有名な「アリとキリギリス」「北風と太陽」「ウサギとカメ」などの有名な話も引用されています。
「尊重」「喜与」「楽観」「快生」「上昇」「行動」の思考が大切だそうです。
ちょっと自分を変えてみるべく努力してみます(見てるしな。口だけに終わるなや「はい」)。
まずは明日から何があっても9時から行動を開始することを誓います。昔から有言実行を心がけていました。宣言しちゃって実行しなければかっこ悪いですからね。やります!! (たぶん「早くも後退発言やな」)

西賀茂で入試直前講座でした。過去問を2題。文教と洛総かな。みんな真剣。しわぶきの一つもなかったです。さすがに入試直前を実感しました。

なんの益もありませぬが、今月は11冊まできました。あと数冊読んでおきたいですね。
走る方はまだ80です。今週走って100にします。

言葉の力

2010年01月23日

忙しかった~。
朝一ロボット、その後すぐ洛北中と加茂中のテスト対策。
各自やりたい科目を黙々とこなしています。
「わからへんことあったらいつでも聞きや」と言いつつ1時間が経過。
「せんせ。これ教えてください」
「お、いいねえ。ひまやったし、うれしいね」と言いつつ見ると数学。しかも三平方の定理を使う内接円の問題。「チャレンジ問題」とあります。
「難しいんちゃうん」と考え始めますが、案の定難しい。いくら考えてもわからん。ほんまわからん。
「問題、間違えてるんちゃうん。与えられている数値だけで答え出るわけないやろ。なんか抜けてるで」とか思いつつ考えに考えました。
「これがああやし、あれがここやし、そやしここはこうなるし・・・・・・」すると突然視界が開けました。気づけばなんということも、いや数学を日常としている人には、なんということもないんでしょうが、錆びた頭、年をくった頭には厳しかったんでしょう。
でもなんとか面目を保てました。でもまたその後質問された問題があり、宿題です。今考え中であります。
んなことをしているとあっという間に移動時間ぎりぎり。原谷へ行かねばならぬ時間になりました。一生懸命やっているとすぐに時間がたちますね。
その後は原谷つゆはらゼミでテスト対策です。国語と社会でみんな精一杯やりました。俺もなんとかやりました。疲れましたね、さすがに。
授業が終わったときいつも意識して
「お疲れさま」「ありがとう」と言うようにしています。最近は生徒もそれをわかってくれたのか
「さようなら」だけじゃなく
「ありがとうございました」
「おつかれさまです」と言って帰るようになりました。
「さようなら」だけでもうれしいのに、気持ちのこもった挨拶はとっても心和ませてくれます。
そう、大切です。心のこもった言葉はね。
では。

すんません

2010年01月22日

アンジェラ・アキさんの歌集『ANSWER』をやっと手に入れました。その中にある「手紙~拝啓 十五の君へ~」が聞きたくてね。
去年、西山高校の説明会で生徒たちが歌ってくれて、歌声もさることながら、その歌詞にひかれました。
「拝啓 この手紙読んでいるあなたは どこでなにをしているのだろう
  今 負けそうで 泣きそうで 消えてしまいそうな僕は 
    苦くて甘い 今を生きている」
いやあ長かったです。今日別の用があって車を走らせていると「ブックオフ」が。忙しいけれどちょっとだけ寄りました。本をちょっと見て(実はここでも収穫あり!!)CDの棚へ。するとあった、ありました。
さっそく車で聞きました。涙が、いや、ちゃう、鼻水が目から出たんですよね。
すんません、今日はつかれました、のでやすみます。ごめんなさい。

どうしょ

2010年01月21日

塾専用教材の展示会に行ってきました。おつきあい的な面もありますが、年に一度ここでしかお目にかかれない方もいます。その出会いを求める面もあります。
今日も6、7人、いやそれ以上の旧知の方にお会いしました。みなさんそれぞれにがんばっていらっしゃいました。
「おれもやらにゃね」と思います(思うだけは誰でもできるで。ほんまにしいや「は、はい」)。
そうおれの知らぬところでこの世に生きる人すべてがそれぞれの人生を送っているんですよね。己のそれも同様。どなたもご存じないところで、人生を送っています。
仙人じゃないんで霞を食って生きられません。生きるための努力をしなければいけません。食うのはたいへんやで、な。
いや、ほんと真面目にやってはいますが、今少し真面目なだけから脱して、もちっと要領よく考え、立ち回らねばと思います。苦手なんですよね、それが。どうでもええ、やらんでもええことばっかりやってるようです。
このブログも然り、走るのも読書もまったく私事。仕事にはまったく無関係でありまする。今少し実(じつ)のあることをしましょう。
ブログ書いてすぐ寝られればいいんですが、読んでくださる方がいらっしゃるので、一応校正を。少なくとも誤字、脱字、語法の間違いは少ないほうがいいと思いつつ毎夜無駄な時間を割いています。けっこう自信があるつもりなんですが、朝一確認するとけっこうあります、間違いがね。
少し酔いました。寝ないばね。もうすぐ2時がくるですよ(日本語おかしいで「語法」に気をつけてんのんちゃうんか「まあ、ええね」どっちやね)。
おやすみなさい。
んでね、このブログに表題をつけんのがけっこう大変なんですよね。(そうは思わへんけどな。そんなに考えてへんやろ「おっしゃる通り。そんなに工夫はありませんわ」)
ということで今日のそれは・・・・・・
「どうしょ」

23回目です、献血にご協力を

2010年01月20日

うれしいニュースが飛び込んで来ました。
小3まできらりに来てくれていた I くんがなんと洛星中学と東大寺中学に合格したそうです。うちは残念ながら中学入試はやっていないので4年生からはどこかの大手に行きました。まあ中学入試をうちがやっていても来てくれたかどうかはわかりません。よくできる子でした。
昔小5まで、中2まで育てて「さあこれから」と思ったときによそへ行かはって難関中高に合格ということが時々ありました。悲しかったですよ。
まあいいか。とにかくすごいことです。うれしいですね。

午前中はコーチングの勉強会で京都駅近くまで。都合で2回続けて欠席しているので、話の内容がわかるかなあと不安でしたが、なんとかなりました。ゼミを休んだ生徒も同様の不安感を持つのかなあとか考えながら、聞いていました。内容はなかなか興味深いです。でも難しくもあります。思い当たる節も多くあり、反省したり、後悔したりです・・・・・・

実はもう一つ目的がありました。京都新聞で「献血」の記事を読みました。なんでも献血220回の38歳だかの看護士さんがいるそうです。?????? 16歳から献血可能やったかな。とすると彼は22年で220回となると、年10回。計算が合いません。血漿献血とか、血小板献血だとかはやったことがないから詳しくわかりませんが、ふつうの200、400mlの献血はがんばっても年3回ですから、彼がいかにして220回のそれをなしえたのかを聞いてみましょう(どうやってや? できひんことあんましええ加減に書くなよ)。
うれしかったのは、献血の順番を待つ間、続々と若い子たちが続いてくれたことです。
「若い子らもまんざら捨てたもんちゃうやん」と江頭(はい、はい)、ちゃう目頭を熱くする俺は変?かな。
血の気が多いのか(多いな。最近ましやけど。前はほんまはたから見ててもはらはらやったで「かもね」)、血圧が高いのか(いや高くないです。ふつうです。どちらかと言えば低い方)400mlがあっという間に終わりました、23回目のそれが。
冬期は数が減るそうです、献血の。ぜひみなさまもご協力くださいませませ。

和みのニャンコ

2010年01月19日

散髪に行って来ました。例の1000円のそれです。
行くと3人が刈ってもらっていて、待っている人は4人。普通ならとても待てない人数です。でもなにしろ1人の所要時間は10分ですから、本を読みつつ待ちました。先に終わった人が出がけに私に向かって手を振ります。誰だろうと思って見ると北山通りで塾をやっていらっしゃるY大先生でした。
「あ、こんにちは」多くは語らず、ただそれだけでした。
助かります。なんといっても1人10分ですからね。安いのもありがたいですが、「時は金なり」時間がないときでもひょいといけます。ひっきりなしに客が来たら職人さんたちはたいへんですね。切り続けるわけですから。
ところで・・・・・・今日誰も俺が髪切ったん気づかへんかたわあ・・・・・・まあ、んなもんか。けっこうそういうことに敏感な小5のクラスにも行ってんけどね。
終わった後鏡に映る自分の顔を見ると年とったおっさんの顔が映っています。まぎれもなく己の顔です。はっとさせられますが、それが現実です。露原くんもすっかり年をとりました。しわはあるし、皮膚はたるんで垂れ下がっています。なんともはや、老いを実感させられます。
ま、止む無し。ヒトは生まれた瞬間から老いを始め、死へ向かうわけですからね。この先いかにしっかり生きるかですよ、つゆちゃん。しっかりね。

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通勤途上にお会いしたニャンコちゃんです。声をかけた瞬間から、すりすり、ごろにゃんのかわいいやつでした。見た感じはでぶでぶふてぶてしいですが、一時もじっとせず
「みゃあみゃあ」と愛想を振りまいてくれます。通りがかりのご婦人も立ち止まり声をかけてくれました。
「車多いし、轢かれたらあかんで」とね。
いろいろありますが、なごませてくれました。
「ありがとね、ニャンコちゃん」

めん食い

2010年01月18日

お昼に近くのそば屋さんS庵さんで「かもねぎ」そばをいただきました。「鴨がねぎしょって」の「鴨」とねぎではなく、上賀茂のねぎに鷹峯の辛み大根をのせて食します。
お代は900円で、少し高くて贅沢とも思いましたが、前から気になっていたので食べてみました。しゃきしゃきした食感と中のとろみがなんともいい味を出しています。辛み大根のぴり辛も食欲をそそります。期待通りのおいしさでした。ただちょっと高いですよね。だいたいそば屋さんってちょっといい値がします。
池波正太郎さんが板わさか、のりかなんかでいっぱいやって締めにざるをたぐるなんてことを書いてらっしゃいましたが、江戸っ子の粋を感じます。
関西はどっちかというとうどんでしょうか。そんなこともないか。出石の皿そばや祖谷のそばもあるしね。でもやっぱり信州や岩手の椀子などを考えると東かなあ。
麺は大好きですね。そば、うどん、ラーメン、素麵、きしめん、スパゲッティ、何でも来いです。焼きソバもいいっすねえ。ジャジャ麺と岩手冷麺(?)、タンメン、椀子は食べたことないから、機会があれば食したいですね。

さてパンジー。いつまでも放っておく訳にもいかないので、思い切って全部植えました。およそ80株。原谷、西賀茂合わせて都合160ですか。一つはコーナンで60~70(後になるほど下がります)円ですが、たくさん買うとなかなかの出費。まあ春まで目を楽しませてくれるからいいかと思って毎年植えています。冬は町を歩いていてもやはり色合いが地味ですから、少しでも華やかになればね。
そうゴム手袋をしてプランターの土をかき混ぜていると、北側のそれは土が一部凍っていました。日が当たる当たらないでずいぶんと違うんですね。そういえば原谷で花の水やり用ホースのノズル部分が中の水が凍ったのか割れてしまって用をなさなくなってしまいました。
今はどうだか知りませんが、私がいた頃の釧路では最後に寝る人が水道の水を必ず「落として」寝ることが絶対条件でした。なぜかって、忘れると水道管破裂の憂き目にあい、春まで水道が使用できないこともあるからです。でも俺1回忘れた。たまたまその日はあったかかったのか、水道管は無事でした。

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今日は税務署へ源泉だかなんだかを払いに行きました、チャリンコで。帰路堀川の銀杏が葉を落としてすっくと立っていました。なんか気高さを感じ、写真に収めました。(写真左)
右は今日植たパンジーたちです。

明日、明後日は少し暖かいようです。とはいってもまだまだ寒さは続きます。ご自愛ください。
では、また。

女子駅伝 6連覇ならず

2010年01月17日

女子駅伝を見てしまいました。ほんとは早く出てすみれを植えたり、雑務をしたりと思ったのですが、
「いや、今日は見る。日曜やし、一応休み(仕事やけど)やし」と最後まで見届けました。
岡山県が悲願の初優勝です。おめでとうございます。
残念ながら京都の6連覇はならなかったものの最終走者、小島選手の熱い走りに彼女の意地を垣間見ました。思わずテレビ画面に向かい声援を送ってしまいました。北大路堀川では実際の彼女にも大声で応援しました。
「小島行け !!!!」と。みんなに声援を送りました。自然声が出ます。懸命に走る姿に目が潤む俺は変なのかもしれません。でも走る趣味を持つ俺ではなくとも感動するんちゃうんかなあ。福士さんはなんと15人だかを抜いたようです。さすがに実力者、実績のある人はすごいです。
当たり前ですが実に速い彼女らは。いい脚をしています。惚れぼれしますね。鍛え上げた肉体は美しいです。私も負けずに鍛えようと思います。思うのは簡単ですが、実行はなかなか難しいです。

今日は原谷の直前ゼミ。国語をやりました。京都Bの過去問とR総合のそれらです。
実際に問題文を読み、やってみて生徒たちにやってもらうのを決めます。それがおもしろいんです。どんな文章を選んでいるかでその学校の国語科の先生方の、なんでしょう、人となりが窺い知れます。
京都Bの方は斉藤孝さん(だったと思う)のそれ。無難な選択。R総合の方は論説文と小説文でしたが、どちらも内容がおもしろかったです。全部を読みたくなる内容です。今手元にそれがないので作家(筆者)も忘れましたし内容も私の筆力では伝えられませんが、とても興味深い文章でした。

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ということ(どういうことで)でしばらく休みがない、いつもの追い込みの時期が始まりまっす。みんながんばろうね。俺も「やる」よ。

自己責任、だよ、だな

2010年01月16日

キリンが9年ぶりにビールの出荷量1位を奪回したそうです。といっても販売数量ではアサヒが1位だそうです。ややこしいなあ。ようわからん。
ビールはキリンが好きです。なぜかって一番ビールらしいからです。中でも「クラシックラガー」は最高ですね。味に深みを感じさせてくれます。
気分によっては「モルツ」もいいです。こくがあります。サッポロ「黒ラベル」もなかなかです。後口がすっきりしているような気がします。同じくサッポロの「エビス」。ちょっと高いですが、苦みのある中に爽やかさを感じます。(えらそうにいろいろ言うてるけど、ほんまに味の違いわかるんかいな「あはは」それに結局ビールやったらなんでもええんちゃうん「よくおわかりです」)
巷で一番はアサヒスーパードライでしょうか。たいがいの飲食店がこれなんですよね。最初スーパードライが出たときは衝撃でした。今までにない飲み口で癖が少なく、のど越しすっきり
「こんなビールがあるんか」と思いました。きりっとしていましたね。若い人には飲みやすくておいしいそれでしょう。私もかつてはそれしか飲まないほどうまいと思っていました。でも今はいちばん飲みたくないそれかも。なんか炭酸がかち過ぎていて食事の友にはならぬような気がします。まあ、それしかなかったら飲みますが。
店を物色していてその店が「アサヒ」と明確に表示してあるとよほどのことがない限りそこへは入りません。「キリン」「エビス」とあればその他は妥協します。
仕事が終わっての一杯のビール。たかがビールですが、ちょっと大切にしたい瞬間だからこそこだわらさせていただきましょう。仕事を終えて、シャワーを浴びて飲むビールは最高です。その刹那は至福です。

今日は原谷つゆはらゼミの私立直前対策講座と西賀茂、鳥居進学ゼミの定期テスト対策講座で9時間近くの授業。みんながんばりました。俺もやりました。講師のY先生もお疲れさまでした。ありがとうございました。

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いろいろ直前なんで、つい力が入りすぎ、言葉にきつさが表れる自分に反省を感じます。でも、ここは妥協できひんし、勘弁してください。みんな仕上げがんばって受かろな。必勝やで。

今日はセンター初日でしたね。ゼミ生も一人ですが受験しています。よい結果が出ることを祈りましょう。最後は自分の力で切り開くしかありません。

そう己の人生は己で生きていくしかないんです。すべては自己責任です。

直木賞、かあ

2010年01月15日

直木賞受賞作が決まりましたね。白石一文さんの『ほかならぬ人へ』と佐々木譲さんの『廃墟に乞う』。前者はお父上も作家、白石一郎さん。7度落選の後、受賞されたと報道にあります。
受賞のコメントで「大嫌いな賞」とあるのが印象的です。お父様の度重なる落選で一家も苦労なされたようです。
父親が候補になるたびに「これで食うや食わずの生活が変わる」と思ったというんですから文筆で生計を立てるのがいかに大変なのかがうかがえます。
一郎さん(君はお友達か?「いえ、滅相もない」)の作品は人に薦められ何冊か読んだ記憶があります。正直あまり印象に残ってはいませんが。
佐々木譲さんは北海道に根をおろす作家さん。注目ですね。まだ1冊も著作は読んでいませんが、この間映画『笑う警官』を見ました。警察という大きな組織と闘う一個人の警察官の姿が描かれていました。おもしろかったですよ。
讀賣新聞に掲載された彼の満面の笑みの写真がとってもすてきです。
俺はへそ曲がり、天邪鬼なんですぐに読むことはしませんが、ブックオフでなく、ふつうの書店で探してみましょうか、ね。
自分の思いの丈を文章にして、それを読んでくださる方がいる。幸せでしょうね。羨ましいです。俺の駄文を読んでくださる方も少数ながらいらっしゃいます。が、しかし、文壇デビューは無理でしょう(あたりまえやん)。俺の場合はこのブログに日々感ずるところを書きちらさせさせていただきます。
今お読みくださっている方々、よろしくご愛読のほどをおん願い奉りまする。
では、またでありまする。

ふけました、私も

2010年01月14日

三色すみれ(パンジーといえや「いやカタカナは必要以外は使わん」パンジーはええやろ「やな」)を植えていると車が止まります。運転席の窓が開くので見ると
「Mさん・・・・・・。久し振り~。元気?」20年前の卒業生です。
「せんせ、ふけはりましたね。いくつにならはりました」変わらず率直な子です。
「もう53やで」
「え~。そらそうですよね。わたしももう34ですよ。おばはんですわ」
彼女のお子さんの話、私の娘の話、当時の友達、同級生の話などに花が咲き、あっという間に30分くらいが経過しました。
「あのときせんせも言うてくれはったけど、もうちょっとがんばって上を目指してたらよかったです」そう彼女はほとんどオール5の優秀な生徒。けっきょくノートルダムへ進みました(当時のそこは難関でした。各中学1名の推薦枠があるかないかです)。もっと難しいところも十分ねらえたんですが、それを今云々するのはおきましょう。
とってもうれしいできごとでした。彼女とは卒業以来会っていないというのではなく、数回はお目もじしていますが、今回は久久です。10日ほど前、ふと彼女が脳裏を過ぎり
「どないしてるかな?」と思ったんですよね。既視感? いやちょっと違うな。虫の知らせかな? いやそれもまた違うけど、なんかがあったんでしょう。
「せんせ、もうちょっとがんばっててくださいよ。うちの子もまた来させますし」というようなありがたい言葉も。
「ん、まあな。がんばるわ。前通ったら気軽に声かけてや」とか言いつつ別れました。
みんなそれぞれに人生を送っています。おれもそれなりにそれを送らにゃね。

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植えたパンジーです(お、使たなカタカナ)。何もないととんでもなく殺風景ですね。目を楽しませてくれます、花は。今日は30株くらい植えました。買いおきが40あまり。空いた鉢はまだ30あまりあるので、あと少し買い足して満開にしましょう。

世界一周「アースマラソン」に挑戦中のお笑いタレント、間寛平さん(60)が、前立腺がんにかかっているのを知りました。治療しつつ続けるそうです。がんばってください。私も及ばずながら走ることで彼を応援します。

今朝歯医者のあと軽く、ほんとに軽く走りました。鴨川のわんど(湾処)に氷が張っていました。寒い朝でしたね。

お寒うございます

2010年01月13日

所属する私塾の集まりがありました。各塾のいろいろな取り組みを勉強させてもらってきました。みなさんそれぞれに一所懸命にやっていらっしゃいます。見習うべきがいっぱいです。月初の紙仕事が多かったので、終了早々に失礼しましたが、昼食でもごいっしょしてもう少し情報交換、いやこっちからはあまりないので交換というより情報入手をしたかったですね。

大変寒いですね。朝は住宅街の北側の道路が凍っていました。北陸など日本海側では大雪が続いているんでしょうか。京都市内は降りませんね。雪が好きなもんで、けっこう期待しているんですが(変なやつ)。ネットの天気予報を何回も確認している私は変わり者でしょうか(です)。
帰りは西賀茂でも-2℃でしたね。シートヒーターを「強」にしました。でも全然あったかくなんないうちに車を降りたぞ。

寒いと言っても北海道釧路市の気温を調べてみると-7℃とか-10℃ですから、思ったほどではありません。温暖化でしょうか。私がいたころはもっと寒かったように記憶しています。登校時鼻で息を吸うと鼻腔内の水分が一瞬凍り、鼻の内側がくっついたような感覚におそわれました。マスクをして学校へ行くと上へあがった吐息が前髪、睫毛、眉に白く結晶しました。ストーブが点く前の教室内の温度は確実に氷点下でしたね。1時間目は手がかじかんで、鉛筆がうまく使えませんでした。想像を絶する世界です。
明日も寒そうです。みなさま暖かくしておやすみください。

わたしもやすませていただきます。
おやすみなさいませ。

引退はいつ ???? かな

2010年01月12日

大関魁皇さんが幕内最多808勝を達成したそうですね。1988年初土俵といいますから22年にわたり相撲を取っていることになります。体が資本の厳しい世界での大記録、すばらしいですね。

昔は相撲が好きで場所中、大相撲ダイジェストは欠かさず見ていました。いつ頃からでしょうか、見なくなったのは。大型の外国人力士が増え、勝負が大味になってきた頃からでしょうか。

大昔は大鵬のファン。「巨人、大鵬、卵焼き」を地でいっていました。とにかく強い人(巨人軍は集団か。卵焼きは大好き。中学高校で弁当にそれが入っていたらそれだけで幸せの絶頂でした「たいそうやな」)が好きでした。その後はあまりに強すぎる北の海や曙などは敬遠しましたね。判官贔屓というんでしょうか。先代貴ノ花や寺尾、舞の海など小兵力士を応援していました。ただ千代の富士は別。あの小さい体で横綱をはり、大きな相手を上手投げでねじ伏せるような取り口には魅了されもし、応援もしました。

スポーツ観戦は好きです。感動があります。
間もなくバンクーバー冬季オリンピック。時差が17時間くらいありますが見てしまいそうですね・・・・・・北海道にいたこともあり、冬のスポーツには関心が高いです。自分もスキー部に所属していましたしね。もっとも技量は4流、いやもっと下かも。

そうそう、今日クラブ関係でメールが来ました。その内容は、な、な、なんと、後輩がインカレでしかも一部GSで優勝したそうです。おまけに4位にも今一人が入賞です。我々の現役時代にはまったく考えることすらできないことをやってのけてくれました。快挙です。きっと並々ならぬ努力があったんでしょう。見習わなければね(ほんまやで。爪の垢でも煎じて飲ませてもらいや「はい」)。

かつていっしょに仕事をしたSさんから来た賀状に
「ブログ毎日更新されているようですね。頭が下がります」と。
頭をお上げください。愚にもつかぬそれです。今少し高尚な、含蓄のあるそれらならまだしも、ただの年寄りの書きなぐり、駄文です。読んでいただけるだけで感謝です。ありがとうございます。

小椋久美子さんの引退のニュースが飛び込んできました。涙の会見。俺も涙です(なんでやねん)。お疲れさま、ありがとう。俺の引退はいつかくんねやろか(死ぬまで働き「え、あ、はい」)。

では。

成人の日かあ・・・・・

2010年01月11日

成人の日でしたね。移動中にそれらしき着物姿の女性を一人だけ見かけました。
成人の日というとまだ15日という感覚が残っていてどうも第2月曜というのが馴染みません。他にも連休を増やすという趣旨で同様に変更された祝日がありますが、個人的には日にちで決まっている方がうれしいですね。いろんな曜日が休みになった方がなにかとおもしろいと思うのです。それに塾をやっていると月曜ばっかりが休みというのは授業日数に不公平感がでますものね。
昔は成人の日の朝、全国紙にトリス(後にサントリー?)の成人へ向けたメッセージが載っていました。開高健さんや山口瞳さんが含蓄のある名文をよせていました。楽しみにしていました。なくなってしまったのはいつからでしょう。経費の問題でしょうか。村上春樹さんに新成人に手向ける言葉を送ってほしいですね。
今日の新聞を見ると讀賣には(京都新聞にはありません)JTの一面広告がありました。題して『大人たばこ養成講座』。健康志向から喫煙者が減っているのを危惧してのそれでしょうか。残念ながら中身はまったくおもしろくありません。

鏡開きでもありました、今日は。
文字通り開きました。今のお鏡は手間暇いらず、まさしく開きました、裏をね。昔は・・・・・・  やめましょうね、昔語りは。

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まさしく開いた鏡開きです。

中3生の模擬テスト。さすがに直前、みな真剣でしたね。

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では、またね。おやすみなさいませ。

今はなんとか順調やね

2010年01月10日

ゆっくり寝て、朝食休憩後久々に長く走りました。100分、16㌔。今月は52㌔と好調です。
北大路~白河通り、丸太町、西大路と廻りました。さすがにこれだけ走ると汗だくでしたね。街走りはいろいろと目をひくものがあって楽しいです。車はもちろん、自転車とも違う視線で対象が目に入ります。進む速度が遅い分、数多くのものに目がいくのでしょう。
小粋な料理店、鮮やかな色のあふれる花屋さん、趣味のいい茶碗が置いてある陶器屋、古本屋、いい香りのただようたこ焼き屋などなど・・・・・・いちどゆっくり冷やかしながら歩いてみたいとは思いますが、なかなか歩く時間はありません。

合い間に読書。『インストール』綿谷りささん『にんげんだもの』相田みつおさん『マイ センチメンタル ジャーニー』渡辺淳一さんです。1日に3冊というのはあまり記憶にないですね。
前者は紫野高校出身ですよね。話題になったときは読みませんでした。今日お初で繙きました。
最初読み始めたときは
「なんや、だらだら文が続いて改行が少ないし、読みにくいなあ」と感じましたが、ついつい引き込まれ一気に読んでしまいました。おもしろかったです。
中のはよく知られた書家、詩人ですが、初めてです。
「アノネ がんばんなく てもいいからさ 具体的に 動くことだね」
「アノネ なるべくなら うそはないほうが いいんだなあ オレそんなこと いう資格は ねえけどね」
「かねが人生 のすべてでは ないが有れば 便利無いと 不便です 便利のほうがいい なあ」
「七転八倒 つまづいたり ころんだり するほうが 自然なんだな 人間だもの」(以上改行等すべて原文のままで引用させていただきました)
何でしょう。飾らない本音があるから言葉が胸を打つのかなあ。でも彼は自身、自分の「自己顕示」と「自己嫌悪」とを吐露していました。
後者はここまで書いていいのと思えるくらいの著者の女性遍歴自慢(?)の本でした。
ちょっと彼のもてぶりは、俺にはかなわんけど(はあああ~っ)鼻につくねんけどおもろいわ。

で、今は『手書き作家の本音』渡辺淳一さんに入りました。
今んところ走るも、読むも順調やね。このまま最後までいけるようなんとか生きていきますね。 

書いただけ⑥かな、いや⑦かも⑧かもしれません

2010年01月09日

おやすみなさい。
ちゃうか。まだなんも書いてへんね。
でも今日はこのまんま終わりましょうか・・・・・。
終わりましょう。
たまにはこんなんもええんちゃうかな? あかん?
ということで、おやすみなさいませ。

今日注目したこと(なんや、寝るんちゃうんか?「まあええね。時間の問題や」)
①シーシェパードが日本の捕鯨船を訴えるとの話。
なにゆうてんねん。そっちやろ訴えられる方は。ボーガンを撃ったり、有害薬品を投げつけたりするそれは犯罪行為とちゃうんかいな。
②サーブの売却話。悲しいな、俺の車と同じスウェーデンの車屋さんやし、エンジンはジェット戦闘機と同じやと聞いてました。そやし心の片隅にひっかかっていた自動車屋さんだったんですがね。残念です。

なんか訳わからんようになってきましたし、やすませてくださいね。
③すみません、またです。

モノを大切に

2010年01月08日

つゆはらゼミで今日から中2のKNさんが復活。事情があって1年の3学期にゼミをやめました。家庭教師の人に来てもらっていたようですが、あまり芳しくなかったようです。
1年見ぬ間に身長もぐんと伸び、すっかり大人っぽくなっていました。一度やめた子が返って来てくれるというのはうれしいですね。共にがんばって成績上げようね。

朝、鴨川を走っていて川底を浚渫する光景を目撃。サギやカラスが居心地悪そうにしてました。ユリカモメなんて姿も見なかったような気がします(あ、だけどカワセミの飛翔は見た!)。ほんまに必要なんやったらせなあかんけど、そうやないんやったらせんでもええんちゃいますか。別に誰も困ってへんと思うんです。せえへんかったら洪水を招くというんやったら、せなあかんけど。どんだけ降ったって鴨川はあふれへんでしょう。八ツ場ダムじゃないけれど、不要なそれはやめましょうよ。
お金もモノも資源もしかり。限りあるものです。大切にせねば。

大切にと言えば長女とそんな話題に。
「モノ捨てへんてうちの家風みたいやなあ。けっこう昔からずっと使(つこ)てるもん、いっぱいあるで」
「そやな。ゼミの備品でもあの2階のカラーボックス、俺の大学生のときのやしな。セーターも学生のときに買(こ)うたやつまだあるしな」
「R(三女)もパパのカーディガンまだ着てるで。私も大阪持って行ったあれ、また持って帰って使ってるしな」
そう我が家はモノを大事にしています(ただのケチやん「とも言えるかな」)。

さて寝ないば(「寝なければいけない」という意です)。明日は午前中ロボットです。
では、おやすみなさい。
明日も元気でがんばりましょう!!!!!!!

2010年01月07日

冬は原則スーツにネクタイなんですが、今日は着替えるのが寒いし面倒なんでセーターに綿パンで行きました。
こういうときって生徒の反応が楽しいですね。
「あ、私服や」って。みんな私服やねんけどね。
ちょっと朝、髪をいじるのが面倒で適当にやって出ると夕方になると髪型が違うようです。それを目ざとく見つけた生徒が言います。
「今日の髪型、変。いつもと違う~」ときます。
「いちいちええねん。適当やし」
「え、適当なん?」そうでもないけど一応
「そうやで。なんでもええねん」と答えておきます。
ま、面倒な面もありますが、気づいてくれること自体喜ぶべきなんでしょうかね。散髪しようが、ちょっと普段と違う格好をしようが誰もなんも気づいてくれないのは寂しいもんね。
こっち側も生徒やスタッフのそれらに気を配りましょう。
明日はスーツにタイで行きましょう(どうでもええか)。

反捕鯨団体のシーシェパードの報道記事を読まれましたか。あれは許されるんでしょうか。ひどい話です。あんな危険行為が、さも正義のように繰り返されています。彼らの望みは何? 何でしょう? 高等動物のクジラを守るためですか? 絶滅危惧にある動物を守るという大義でしょうか? 
いろいろ言いたいことはありますが、今日はかなりの時間になったのでまた(「また」ね。はいはいいつ「また」がくるのかな)の機会に譲ります。

高等動物云々は驕りでしょう、きみたちの。
「高等」はだめで、「下等」はええのか。「高等」か「下等」かは誰が決めんの。無論俺だって無益な殺生を奨励するつもりは毛頭ありません。生きるために必要なそれは容認せざるを得ないという立場ですよ。他者の命をいただかなければ生きられない罪深き存在がヒトです。感謝しつつ食べればそれで良しではないのでしょうか。
絶滅危惧種は守るべきと思いますが、種によっては増えているという記事を目にしたことがあります(かなり古いそれですが)。

すみません。やめるつもりが少し書いてしまいました。酔っているとのと、眠っくなったのとで論理的におかしいかもしれませんが、勘弁してください。
俺とて無闇にクジラの命を奪うのをよしとしている訳ではありません。が、食わざれば生きられないのが我々、いやこの世に生があるものの宿命です。対象が牛か豚かはたまた鶏か、魚か・・・・・・。その一つとしてクジラもありなんではないでしょうか。

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昨年末から気になっていた「赤」を今日やっと撮りました。ご覧あれ。
美しいでしょ。こんな「赤」自然以外にないでしょう。絵の具では出せへんですよね。
ではね。

負けず嫌い

2010年01月06日

12月に実施した中1、2の模擬テストが返ってきました。そのほとんどが成績を上げました。中には一挙に10ポイント上げた子もいます。ゼミに通って勉強しているのですから当然といえば当然ですが、うれしいです。
少数ですが、下がった子、横ばいの子がいるのも事実。次回はみんなが今回よりよい成績を取ってくれることを期待したいですね。やはり普段の授業中の姿勢が如実に表れています。力はありながらさぼっているなと思う子は伸びていなかったり、伸びが小さかったりします。
3年生になったときに
「あのときもう少し真面目にちゃんとやっておいたらよかった」という後悔だけはしないように日々を大切に過ごして欲しいものです。
ゼミ内には成績優秀者は掲示するようにしています。ゼミで発行している毎月のお知らせ『輝け21』にも氏名を載せています。賛否はあるかもしれませんが、励みや発憤材料になればと考えてのことです。

私の中学時代(北海道釧路市)は廊下に校内実力テストの結果が張り出されたましたね。よく覚えていませんが、当時は1学年400人くらいいたように思います。上位40人くらいは順位と得点の下に氏名が書かれていました。名前が載らなきゃかっこ悪いので、当時「かっこつけ」だった露原くんはそれだけの理由で勉強をがんばったような・・・・・・たぶん。ま、とにかく負けるのは好きではなかったですね(その割にいろんなことでいっぱい負けていましたから中途半端なやつだったんでしょう「今でもそやで」ありがと「ほめてへんで」わかってるて)。ほとんどいつも1番だった F・I さんには一度も勝てぬまま卒業しました(残念無念 !! )。
あまりに勝ち気は閉口、顰蹙ですが「負けたくない」と言う気持ちは大事でしょう。

今日は寒かったですね。朝走りましたが、ほとんど汗をかきませんでした。夕方には小雪が舞いました。帰りも雪がちらほら。自転車道中は鼻水がちょちょぎれ(死語やね)ました。京都は市内でも北は寒いです。「今出川を越えたら、北大路を越えたら」の風説は事実です。

北陸や山陰、北海道東部などでも大雪が降っているようです。これから寒くなります。みなさまどうぞご自愛ください。

では、おやすみなさいませ。

バベルの塔

2010年01月05日

アラブ首長国連邦の首都ドバイになんと800㍍を超える超高層ビルが建ったそうですね。信じられません。比叡山の高さが848㍍ですから、ほぼそれと同じ高さのものが平地からいきなり屹立している訳です。そんなことが可能なんでしょうか。
およそ160階建て、総工費は約1400億円だそうです。なんとも言葉を失います。上層階からの眺めはいかなるものなんでしょう。私は遠慮しますが、きっとすばらしいんでしょう、かね。
高層ビルと言えば『タワーリングインフェルノ』という映画を思い出します。手に汗握る高層ビル火災がテーマでした。ラストシーンでS・マックイーンが何か小粋なせりふを吐いたのが印象に残っています。
「アメリカ人ってかっこええこというなあ」と思いました。(で、何て言うたん?「忘れた」)
あの映画は確か手抜き建築が原因で火災が起こりました。かなりの迫力でした。きっと今見ても十分楽しめるでしょう。
現代の技術の粋を極めた近代建築、ドバイのビルにそんなことはないんでしょうが、いったいどのような構造になっているんでしょうか。前近代的、超アナログ人間の俺には立っていること自体が理解できないもんね。
なんか「バベルの塔」が連想されませんか。あの、例の人間の傲慢に対し神が鉄槌を下したというやつです。ドバイショック以降かの地の経済状況も芳しくはないようですが、石油の力に任せて驕るのはええ加減にした方が「ええと思います」。

今日は歯医者の後、なじみの都麦出版さんへ。教材を取りがてら社長さんに年始のご挨拶に。社員の方々と挨拶を交わしました。と一人の方がつかつかと前へ。
「大久保です」
「あ、やっぱりどっかでお会いしたと思った。あの絵を描いていた・・・・・・」
「あ、そんなことも覚えていてくれてはるんですか」
「覚えてるよ」との会話を交わしました。そう彼女は控えめな子で、いつも優しい笑みをたたえていました。お姉さんもきてくれていました。お母様も絵を描かれる方だったと記憶しています。
「ご縁あってしばらく前からこちらでお世話になっています」
「そうなんだ」中3のときと変わらぬすてきな笑顔に出会えて今日は幸せでした。

その後、今日しか時間がないかもと天神さんへ。受験生の合格祈願と俺の人生の幸せを(ちゃうか)お願いに行きました。混雑具合はかなり緩和。駐車場もまったく待たずにすんなりでした。
天神さんのえらいところは駐車場が無料です。だいたいどこでも駐車場代はいる、拝観料はいるという寺社(「寺」はたいがい両方必要です。神社はちょっと事情が違います)が多い中これは特筆もんです。悲しいのはそれを悪用される方がいるので、天神さんも自衛措置はとっていらっしゃいます。
昨年の天神矢(いわゆる「破魔矢」)を納め、今年のを授かりました(というのかな。お金払っているし「購入」かな。ところでお守りとか破魔矢を買って領収書ってもらえんのかなあ)。
やることいっぱいあって忙しいけれど、せっかく来たし
「まだ梅は咲いてないやろなあ」と思いつつ境内を探索。ありました、二株ですが、遠慮がちに咲いている紅梅が。例のごとく焦点の甘い写真ですが、ご覧ください。

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梅はまだ咲き初め。盛りにまた参りましょう。受験生の合格の本願祈願にね。
では、また。

満身創痍?

2010年01月04日

実は年末から右目がなんか変でした。部分的に「もや」がかかったようでした。
「年が明けたら目医者に行かねば」と思っていました。お医者さんは嫌いで(好きな人はいないか)いつもは延び延びにするのですが、今回は場所が目だけに思い切って行きました。先輩や知り合いの先生から
「目えはこわいでえ」と脅されてもいましたのでね。
ところが、近所の目医者さんは明日までお休みでした・・・・・・で社会保険京都病院へ。休み明けもあってかすごい繁盛(ちゃうか)ぶり。
「いっぱい待たなあかんのやろなあ」と初診の手続きをして、説明を受けて2階眼科の待合室へ。診察の前や間にいろいろ目の検査。
眼底(?)を広げるとやらの目薬を差されました。
「しばらくは視界が変です。瞳孔(光彩?)が広がるので明るくて見えにくくなります。自動車には乗れません、自転車で来られたんですか。押して帰るか、後で夕方取りに来た方がいいですね」
「そない大層なんや。今どうもないけどな。本も読めるし・・・・・・」
診察の結果は網膜の上におうじょう(漢字不明です)膜とか何とかいう薄い膜ができた状態だそうです。
「今すぐにどうこうということはありませんが、視野が欠けるとか、視界が歪んで見えるとかしたらすぐ来てください。なんともなくても2、3か月後には一度来てください」
「あ、はい」
「手術と言ってもそう簡単なものではなくて、一度なんたらを外して、かんたらをどうするんで、そうそうできるものではありません」
「あ、はい(こわいなあ)」
正直「すぐに手術です」と言われなくて良かったです。気をつけてどうなるもんではないでしょうが、53年使ってきたわが身。大切にしてやらにゃあね。
会計でけっこう待ちました。受付をすませて終わるまで軽く2時間かかりましたね。
外へ出てびっくり。ホントに太陽の下では目が開けられぬくらい眩しいんです。「自転車、車に乗るな」を実感しました。なんか消耗が激しく、夕方まで食欲もなく、しんどかったです。
薬があるわけでもなく「もや」もあります、いまだに。今後末永く付き合っていくしかないんでしょうね。
明日は歯医者です。医者づいていますね、ここんとこ。
「目」に「歯」。なんともはやです。これが内臓疾患や走れなくなるようなことにならぬように気をつけましょうか。
まさか俺がこんなことになろうとは思ってもみなかったです。年には勝てないということでしょうか。自分では十分元気なつもりですが、過信せず生きていきますね。なんか自分としては満身創痍という気がしなくもありませんね。足腰は大丈夫ですけどね、なんや言うても1200は走ってるしな。目も大丈夫やで、100冊を読もうと宣言してるんやしな(それがあかんね。もっと謙虚になりや)。
今日は病気ネタですみません。けっして暗い気持ちにはなっておりませんので、ご安心をね。
明日からまたやるべきを精力的にやっていきましょう(ほんまかいな)。

1200分の22、100分の1

2010年01月03日

「箱根」は東洋大学の総合優勝で決着しました。
昨日の柏原選手のように活躍した人もいれば、思うように走れず悔しい思いをした選手も多いことでしょう。勝った負けたや、速い遅いは別にして、懸命に走るその姿は胸を打ちます。思わず目頭を熱くしたのは俺だけではないでしょう。
仕事や入試は結果がすべてです。いくら過程で努力しても結果が出なければそれは徒労です。とは言っても成功には努力は不可欠です。がんばりなくしての成功がないのも事実です。だから一心に走る彼らの後ろに今までの汗と涙が感じられるからこそ、その姿に心打たれるのでしょう。

年末年始で奥田英朗さんの『イン・ザ・プール』『空中ブランコ』『町長選挙』の連作3作を読みました。精神科医伊良部一郎のハチャメチャな言動にはおおいに笑えます。
やってくる患者は一塁へ送球できなくなった3塁手や先端恐怖症のやくざ、自分の美貌を維持するために摂取したカロリーを消費するのに躍起になる女優。それこそいろいろな人間像が現れます。
どこかみんな何かを抱えて生きているんでしょう。不安神経症、パニック障害、強迫神経症など。思い当たる節がなくもない俺は神経科行きかもね。

今日は天神さんへ向かいました。とてもの人出で本殿へ行く気にはなれませんでした。さすがに天神さんを実感しました。

昨日、今日と走って22㌔。本は今のところ1冊。長い道のりです。日々の積み重ねというのはわかっていても気が遠くなります。1200分の22、100分の1しかできていないと思うとしんどいね。まあ、しかしこつこつやらせていただきます。

箱根駅伝

2010年01月02日

箱根駅伝往路は柏原くん(友達か?)の快走で東洋大学が優勝しました。すばらしい走りでした。昨年自らがつくった区間記録をさらに更新しました。期待されて出場し期待通りの活躍をする。なんともすごい人です。走力はもちろんですが心もきっと強靭なのでしょう。思わず最後まで見ちゃったです。いかなるドラマもかなわぬおもしろさを秘めています。
1区から4区まで明大がトップ。心情的にはそのまま行ってほしかった(なんの縁もゆかりもありませんが)んです。アンカーは4年生で最初で最後の箱根の走者となった久国選手もがんばりましたが、地力の差は歴然。結果は6位でした、明大は。
懸命にたすきをつなぎ、一歩前を目指す姿、脱水症状か、ふらふらになりながらもゴールへ向かう雄姿、精根尽きはててゴール後倒れ込む選手たち。ここへくるまでに積み上げてきたであろう努力、人知れぬ汗や涙があったことでしょう。見ているとこみあげてくるものがあります。

彼らに刺激を受けて走りにでかけました(単純な人ですね「はい。わかりやすいと思います」)。とりあえず出てから今日のメニューを考えつつ北へ。
「どうせやったら初詣を兼ねようか」と上賀茂神社へ。さすがに人多し。社殿へ向かって走ります。他に走る人は当然ながらいません。
「あ、露原せんせや」見ると高1Kくん。
「おお」とだけ声をかけ奥へ。とてもこれ以上は無理と思っていると
「あ、露原せんせや」見るとTさんご一家。ここはいつも家族みんなで行動されています。(ええ家族や)
「あ、こんにちは。すみません、こんな格好で。走りがてらお参りをと・・・・・・」
「そうですよね。かっこがそうやし」とお父さま。
「ではまた」と別れ、下賀茂神社へ向かいます。
こちらもさっきにましての人だかり、車の列。奥まで行かず、そうそうに退散。すると
「せんせ~」との声。ん、ここでまたかと見ると散髪屋のKさん。車道で信号待ち。あたりかまわず大声で
「大丈夫ですか、身体?」
「おおん、大丈夫、大丈夫」と言葉を交わしました。よかった、よかった。現役復帰してはんのかなあ。どやろ。とりあえず車運転してはったし、かなり足の調子はええのんちゃうかな。
その後天神さんと思いましたが、さすがにそれはしんどいしやめ。12㌔走って本年の走り初めを努めました。

なんだっていって今日はまだ2日、正月たけなわですね。ゆっくりしましょう。なんか、あんま実感ないなあ。やすみましょうかね。