新しい畳、新しい携帯電話

2009年11月30日

新しい携帯、困ってます。使い方がわからへん………。一応メールの送受信くらいはできるようにはなりましたが、勝手が違いすぎて往生しています。着信は原則「振動」だけにしているのですが、それに気づかない。今日はそのせいで塾にいただいた電話3件に出られず、残った着信記録で折り返すという、不細工をしでかしました。ただ
「慣れるときっと今までのより使いやすいだろうなあ」とつかみかけてきました(ほんまかいな)。
55か月にわたって連れ添った古女房(ちゃうか)、愛用の前任者に感謝しつつ、新しいのに慣れていきましょう。「女房と畳は新しい方がいいってえじゃないか」という落語の一説を思い出します。

けっきょく11月の走行距離は74㌔、累計1190です。あと10㌔で1200です。年間目標は大丈夫ですね。いや油断は禁物。明日何かあって入院ということがないわけではありませんから(ないか)。最後まで気を抜かず走ります。
本の方は11月15冊。けっこう読みました。今進行中の3冊同時読みが片付くと急に数はでます。並行読みをしていなければ、もう1冊は増えたかもしれません。ということで累計73冊。あと27冊ですね。あきらめざるを得ない数字ですが、最後まで全力を尽くしましょう。正直しんどいですがね。

先日実施のテスト結果を中3生に返しました、一言ずつアドバイスをしつつ。みんな頑張っているし、それが成果となってあらわれることを願っています。

縁の下の力持ち

2009年11月29日

『笑う警官』を見てきました。北海道警の裏金疑惑に元をとった映画のようです。途中からいったい誰を信じていいのかがわからなくなりました。組織の怖さを感じました。権力を持つ警察がこの映画と同じだったら怖いでしょう。なかなかおもしろかったです。
内容はともかく、あのなんていうんでしょう。上映が終わった後の、あ、そうそう「エンドロール」ですか。あれを見るたび
「ひとつの映画が完成するまでには、これほど多くの人がかかわっているんだなあ」と思います。主演、助演など大きく名が出る人たちはともかく、その他大勢の人たちの力があって初めてみんなが楽しめる作品が生まれるんですよね。縁の下の力持ちに感謝です。
いつの世もどこの社会でも、目立たぬところでがんばっている人はいっぱいいます。そう、そんな人たちがいてこの世は成り立っているんでしょう。

P1050473.JPGP1050474.JPG

チャリンコ置き場がかわっていました。御池通り南側のそれが減って、市役所前などに増設されていました。寺町と新京極の間にもね。んで、料金も安くなってたように思いました。係のお兄さんもいらっしゃいました。
環境にもやさしいし、せいぜいみなさまもご利用くださいね。

朝走りました。が、あまりにも腰、いや背筋に張りを感じたので早めにやめました。4㌔強ですね。無理は禁物です。

昨日62㌔と書きましたが、勘違い、記録違いでした。74です。ですから年間1200まではあと10です。

今日携帯の機種変更をしました。実に55か月ぶりのようです。ポイントやなんやかんやで出費はかなり抑えられました。が、扱いが慣れません。四苦八苦です。しばらくはメールや電話に対応するのがやっとでしょう。失礼の段があればご容赦くださいませ。

P1050479.JPGP1050480.JPG

ではね。

やるべきを今、ですね

2009年11月28日

まだ違和感は残りますが、ひさびさに走りました。12㌔、1時間強です。走れてよかったです。「ぎっくり」の影響で今月はまだやっと62㌔。今月も100は無理です。2か月続けての未達はつらいものがあります。
年間の1200にはあと20程度で達します。本当は1500を秘かに狙ってたのですが、今となってはかないません。どんな不慮の出来事があるやもしれませんから、油断せず積み重ねていきます。人生だって同じですよね。いつどこでどんな事態に遭遇しないとも限りません。
「あのとき、やっぱりやっておけばよかった」と悔いぬようにできる最善を尽くすべきなんでしょう。人は(あんたやろ「そうです」)安易に流れますから難しいけどね。

冬の定番、パンジーを植えてやりました。コーナンで1つ68円で買いました。この値で来春、5月くらいまで私たちの目を楽しませてくれるのですから安いものです。
40ポットだからすぐ終わったんですが、持前(使い方ちゃうやん「わざと」受け狙いか、また)の無計画性というか、計算ができないというかで中途半端に終わりました。花が全然足りひんかった。ご返済だけでなく何ごとも計画的にやりましょう。

P1050464.JPG

足りない花を調達したり、ガソリンを入れに安いスタンドへ行ったり、とあちこちうろうろしました。道すがらすばらしい紅葉、黄葉を目にしました。性懲りもなく写真に撮りました。
ことさらどこかへ行かなくても美しいのが京都です。

左は仁和寺の駐車場の「赤」です。車の中からです。左は宝が池から見た比叡山です。いかがでしょう。お目にかないましょうか。

P1050465.JPGP1050469.JPG

では、おやすみなさいませ。
あっ、そうそう今日、渡辺淳一さんの『阿寒に果つ』を読んでいておかしな表現にであいました。
「そこにまだ当時は珍しくなかった籐椅子がテーブルをはさんで向かいあっていた」とあるんですが、これはきっと
「そこにまだ当時は珍しかった籐椅子がテーブルをはさんで向かいあっていた」ではないんでしょうか。違うかもしんないけど、かなり気になったので記します。
時代設定は昭和30年ころ。時任純子が主人公でしょうか。(まだ途中なんでなんとも言えません)思わず引き込まれる筆致、いや筋書きです。そう、読みながらやすみます。
次のページを繰るのが楽しみです。


冬支度

2009年11月27日

日中は比較的暖かい日が続きます。日が暮れると急に冷え込みを感じますが、例年に比べるとましでしょうか。といっても京都の北区はけっこう寒さが厳しいです。「京の底冷え(こんな言葉あったっけ?)」を体感させられます。市内中心部よりはきっと数度低いと思われます。わけても、つゆはらゼミのある原谷はさらに寒いかもしれません。
ということでファンヒーターを準備しました。98年製とありますから、この子も10年選手ですね。よくがんばってくれています。

P1050445.JPG

寒いといえば男性用のタイツ(?)の売れ行きが好調なように讀賣新聞に載っていました。従来のいわゆる「股引」(関西では"パッチ")様のものではなく、カラーでいろいろな模様が入ったものや、縞柄、格子柄など実に色鮮やかです。
もっとも私は買いません。北海道釧路の厳寒の地でも「かっこ悪い」という理由で、はきませんでしたからね。ただ安もんのスーツのせいか生地が薄く、膝から下だけがどうもすうすうして寒いんです。何かよい対策はないものでしょうか。(年なんだし、やせ我慢せんと"パッチ"はいたら?「だね。そう思うこともある。でもやっぱりかっこ悪いしな」誰も見てへんで、第一見えへんやん「ですね」)
そろそろ定期テストが帰ってきはじめました。今日の最高点は中3Kさんの96点。続くは中2さんちゃんの数学90点かな。みんないい点持ってきてよ。
では、また明日にしましょうか。

おもしろきかな

2009年11月26日

『殴られ屋の女神』池永陽さんを読み終えました。370ページありましたが、おもしろくて一気でした。実はゆうべページをめくる手がとまらず、気づいたときには3時を大きく回ってました。
「殴られ屋1発千円」の看板を掲げ客からのパンチを受け続ける須崎康平。殴り倒されることはめったにないその男が、過去に数度、その瞬間に見た白い影を求め今日も街頭に立ちます。
チンピラにからまれた体を売る少年、豊を救ったことから始まる奇妙な同居生活。
ともに虐待を受けた過去を持つことが次第に明らかになります。
どうです読んでみたくなりませんか。ならない、あ、そう。俺の紹介文ではだめか……
でも、おもしろいですよ。ぜひどうぞ。

P1050398.JPGP1050410.JPGP1050406.JPG

街は色づいています。言葉では表せない千々の色が飾ります。次の春への準備を調える木々の艶やかさを愛でてやってください。詩仙堂のそれらです。

職人

2009年11月25日

ゼミ北向かいのMさんちが改築中です。あれよあれよと仕事が進み、間もなく完成です。建物本体はすでに終え、今は外まわりの仕上げにかかっているようです。
家一軒建てるのにいろいろな人がかかわりますね。大工さんは言うに及ばず、左官屋さん、電気、サッシ関係、電話もあるな。あと解体や足場の人もだし、内装のクロスやさんや建具屋さんもいるな。一服しながら見ているとそれぞれが、それぞれの仕事をこなしつつ、うまくかかわってひとつの家をこさえていきます。玄人の業ですね。見事です。私にあれだけの業はありやなしや。と思います。
この世にはいったいいかほどの仕事、職種があるんでしょうかね。まったく想像もつきません。私なんぞが知りえない広くて、深い世界が存在しているんでしょう、きっと。
塾講師として職人を目指すべきなんでしょうか、いかに。
11月に入って読書の追い込みが続いています。今日で14冊目。といっても、いくら追い込んでも100は遠い・で・す。あと28冊ですわ。降参はしませんよ。最後までやってみます。
今日読み終えたのは『酔生夢死か、起死回生か。』という阿川弘之氏と北杜夫氏の対談集です。おもしろかったですね。お互い、いや前者は遠慮のない、後者はちょっと謙虚な言いたい放題です。ですが品がある。昔の文壇の方は言葉づかいが美しいですね。この本はそうでもありませんが、向田邦子さんの小説をぱらぱらやっているとそれを感じます。
俺なんかが云々できる立場ではありませんが、その典型は男でも「~かしら」を使います。女性だと「~でございましょう」というような言い回しが出てきます。読んでいると、昭和の上流階級、いや、ちゃうなあ。なんていうんだろ……うまい表現が見つかりません。思うさまを書いていますが、己の語彙の少なさには少なからず驚かれされますね。
ちょいと疲れました。夜も更けました。やすませていただきましょう。
誤字脱字の校正は不十分です。明朝みなさまのお目に入るまでにそれができるや否や……では。

菅原院天満宮 カワセミ 定期テスト

2009年11月24日

また腰に違和感。参ります。年でしょうか。今朝走った時はなんともなかったのですが……
「早めのパブロン」で前の柔道整復師の門を手前にひきました(はい、はい)。
「前ほどひどくはないんですが、念のためと思いまして」
「前は、あの後よくなりました?」
「はい。おかげさまで」
「そうですか、よかったです」
「今日、朝走ったときはどうもなかったんですが」
「どのくらい走らはりました」
「8㎞くらいです」
「わかりました」治療(施術?)しながら先生おっしゃいます。
「DくんやYくんも来てますよ」
「?? なんでうちの生徒やって知ってはんねやろ」と思います。
「Dくんが『うちの塾長がここに来てませんか?』って言うてたんですよ」
「なるほど、そうか。そっからわかったか」
「Dくんのおじいさんは勲章をもらわはるようなすごい人やし。Yくんのお父さんは有名ですよね。Rさんもこの間突き指して……」
「あ、彼女もここですか」
「お母さんも来はりますよ」
「実は彼女のお母さんも私が教えたんです」
「ええ!そうなんですか」とこちらがうなりつつも会話が弾みました。なんか他にもいっぱい生徒たちがお世話になっているような口振りでした。今度行ったら生徒とばったりということもあるかもしれません。
生徒がいたらあまりうんうんうなるわけにも行かないので、彼らの行けない時間帯に行くようにしましょう。

菅原院天満宮へお守りを買いにいってきました。なんでも菅原道真が生まれた場所とやらで由緒正しき神社です。産湯をつかったという井戸が残されています。天神さんといえば北野天満宮が有名ですが、どちらが本社なんでしょうか。

P1050438.JPGP1050439.JPGP1050440.JPG

右下がその井戸です。まん中は天神さんと言えば牛です。左は本殿です。小さな、ほんとに小さな神社ですが、それだけです(なんや、それだけか)。

今朝走っていて視線に鮮やかな青が、鮮烈な青が入りました。
「ん? ん?」と立ち止まり、立ち戻り、見ると、なんとカワセミでした。いるんですね、こんな中流域に。長く賀茂川とはなじんでますが初めてのこと。カメラを持っていなかったことが痛恨ですね。さすがに走るときは携帯電話は負担です。冬になってウインドブレーカーを着れば、それもありなんですが。

今日から西中が定期テスト。初日が終わって、来た生徒に声をかけます。
「できたか、今日?」
「英語はできたけど、理科が……」
「まあまあ」
「全然あかんかったです」それぞれです。みんながみんな
「できた」と言ってもらえるようがんばりますか。

動物占いは「おおかみ」です

2009年11月23日

昨日「『十七歳だった!』を読み進めています。原田宗典さんです。ちょっとふざけ過ぎですが、己の同世代を彷彿とさせる文面です。おもしろいです。」と書きました。
おもしろいのは事実ですが、思っていた内容とは、ちょっと違います。もう少し17歳の、青春の懊悩や葛藤、矛盾などが赤裸に語られるはずでしたが(ある意味そうなんですが)期待はずれでした。も一度言いますが「おもしろくない」訳ではないんです。
彼(原田宗典さん)は1959年生まれ。ほぼ同年代です。その自意識過剰気味の性格、行動には、相通ずる面が多々あります。俺の場合も彼の場合も、それを気取られぬように用心したつもり、やけどばればれやね。

高校のときは剣道一直線でした。全然俺自身は強くないんですが、なぜか名門校の主将に選ばれました。かなり重かったです、両肩が。少しでも腕力を鍛えようと教科書はいらぬものまでつめ、その上お茶漬けの缶に砂をつめて、かばんに入れて筋トレしつつ毎日通ってました。片道40分でしたかね、歩いて。夏はともかく、あの氷点下、寒い、寒いー20℃の世界で、よ~やったぞ、おめえは。
バスに乗れば吊革つかまらず、つま先立ちが当然でした、あつかったなあ。すべてが剣道でしたね。でも、だいたい俺が主将に選ばれることじたい変やった。
如何にしめようかなとさっきから考えていますが、その糸口も見つからぬまま、寝ます。
はるか遠くになりました。あの熱かった高校時代、変にすねて、かっこつけてたあのころが懐かしくもあり、はずかしくもあり、ですね。

1,310 70

先月のセッション数は1,310でした。実はこれ、たぶん史上最高です。数にはこだわりません。どなたがお読みくださっているのか、ありがとうございます。
いったい実数はいかほどなのかな。自分でももちろんアクセスします。書いたり、校正したり、確認したり。同じPCからのアクセスはカウントされないと聞いています。私が何度同じパソコンからブログを見てもそれは数に入りません。とするとそれなりの人数の方がお読みくださっているんでしょう。それに応えるブログを書こうという気も少しあります。反面、取り繕う気もなくこのままいきましょうとも考えております。
日記風から離れ今少し教育的なことを書いたらというご意見もいただきますが、そんな難しいことはなかなか、私には難しい。よってこの姿勢のままで行かせていただくことになりましょう。

本はけっこう追い込んでいますが、やっと70です。厳しいですね100は。少しでも近付くようがんばります。
『わたしの京都』(渡邉淳一さん)は興味深く読めました。『ラブ・ストーリー』『最後の楽園』(星野道夫さん「再読」)もやはり、いつ読んでも、何回読んでもすばらしいですね。写真が胸を打ちます。
『十七歳だった!』を読み進めています。原田宗典さんです。ちょっとふざけ過ぎですが、己の同世代を彷彿とさせる文面です。おもしろいです。

今日は西賀茂のテスト対策でした。みんな真剣にがんばってました。
「ええっ、もう1時間(75分)終わったん」そう集中してやれば時間はすぐたちます。
明日も朝から対策講座。みんながんばれよ、俺もがんばるぞ!!!
おやすみ。

休日、満喫

2009年11月21日

紅葉を愛でに、詩仙堂へ行ってきました。曇り空で葉の照り映えは今一つでしたが。赤や黄、橙色、そのどれとも言えぬ微妙な色合いなどを堪能しました。拝観料500円は良心的でしょう。

P1050397.JPGP1050401.JPGP1050400.JPGP1050407.JPGP1050431.JPG

それにしても多くの人でした。きっとあちこちから来られているんでしょう。関西弁も耳にしますが、中部、関東、中四国系のアクセントも聞こえました。さすが京都。その面目躍如というところでしょう。
京都はいいところです。思えば36年前、遠く北海道から高校の修学旅行でこの地を訪れました。そのとき終の住みかは別として(北海道にしたい)
「あ、この地に住みたいな」と思いました。
以来37年にわたり京都在住です。
「京都のどこがええの」と問われれば即答できない奥深さがあります(お、ごまかしたな「まさしくそのとおり。一言では語れぬそれがあります」またまたやね「はい。自分でもうまく表現できません。正直、本音。ただ好きなのは事実です。

P1050435.JPG

んでボジョレを飲みました。ドンQでバタールを買い、リカマンでチーズを手に入れました。

ドンQのそれはおいしかったですね。あっという間に平らげた。ガーランクリームガーリックというチーズも焼いたバタールに絶妙に合いました。
眠いな~寝ちゃいそうだね。

写真がちょっと、だいぶ変やけど、今から修正する元気はありませんから、やすませてもらいますね。

だらだら

2009年11月20日

テスト明けと個別のお休みが重なって、とっても早く帰ることができました。
年に一度あるかないかの一日でした。
んで、ただ帰るのはしゃくなんで、ちょっとビブレへ。おくりものとウイスキーグラスを物色。前者は先方との意思疎通がうまくいかなく見送り。後者は思ったのがなく買わず。せっかく行ったけどねえ……
いつも帰るのは11時から00時の間。それを思うと画期的な早さです。なんかちょっと高揚した気分でのお買いもの。
4階では買わず、他にはなにも目当てなく、1階へ。
「そう1日遅れのボジョレを買おう」と酒店へ。迷っていると
「今年の新酒はおいしいですよ」と聞いたことのある声。
「昨日、萌ちゃんとかと飲んだんですよ。うまかったですよ」と教え子のKくん。
「お、そうか。んじゃこれ」
「まいど、ありがとうございます」などなどやって帰路へ。ほんまの目的は果たしてへんけどまあええやね。
途中新刊書がある大垣書店の前では煩悶しましたね。立ち止まると、買っちゃいそうなんで、横目に通り過ぎます。
その後ブックオフへ。7冊仕入れたかな。
けっこうええ本見つけました。
今日からネクタイしました。別になにもないんですが、タイをしないと襟元が寒いんです。
まったくなんの脈絡も起承転結もないことをだらだらですね、すみません。
寝ます。

後悔先にたたず

2009年11月19日

「あ、これブログネタになるな」と思って写真に収めようとしながらも
「めんどくさいし、時間もないし、この被写体は逃げへんし、明日にしよ」と、撮らずに翌日行ってみると昨日とは違う状況。
紫式部墓所の石碑の横にムラサキシキブがあったんです。絶好のネタと思いつつもなぜか見送り。翌日行くとシキブの実が落ちて観賞に値しない姿でした。
「やっぱり昨日撮っておけばよかった」と悔やんでも後の祭りです。
これはブログに限りません。日々の生活や仕事上でもよくあります。後悔している自分に気づきます。
生徒にもよく言います。
「中3になって『あ~あんときもうちょっとちゃんとやっといたらよかった』と思わんようにしてや。そう思ったときはもう遅いかもしれんねんで」
かくいう自分も悔いを残してばかりの人生かもしれません。そういう人間やからこそ生徒は聞いてくれるんでしょうか、それともその逆なんでしょうかね。
ブログを毎日書いたり、走ったり、本を読んだり、やると決めたことはやっていますが、それらは全部仕事以外ですね。もちろん仕事も手を抜くことなくやっていますが、もっと仕事に精力を傾けないといけないんでしょうか(だよ)。
ちょっと立ち止まって(前、進みや。「はい」)ゆっくり考えさせてもらいます。

秋深し

2009年11月18日

午前中所用であちこち。北山通りの銀杏があまりにも美しいので思わず車をコインパーキングに停めて写真撮影。ところが撮った写真は以下のようなものしかありません。
自分の目には鮮やかな黄色に見えているのに、下の写真は黄色に見えませんよね。(特に右のは)なんとも写真は難しい。写真家たる玄人がいる所以ということになるんでしょうが、歯がゆいですね、うまく撮れないのは。露出だとかなんだとかを調整しないといけないんでしょうかね。ま、しかし俺は素人、写真はプロに任せ、自分の本業で生徒たちと勝負しますね。

P1050378.JPGP1050389.JPG

せっかく車を停めたので鴨川へも行きました。冬の使者ユリカモメがいないかなと。
まず目に入ったのはよそよそしい感じのマガモの夫婦(?)。お次は仲睦まじそうに泳ぐオナガガモ(?)の恋人同士(なんでそんなんわかんのん?)。お目当てのユリカモメは見あたらず、いつの間にやら上賀茂橋近くまで。遠目に見ると、どうやらそれらしきが宙を舞っています。
「いたいた」寒そうに肩をすぼめて水に浸かっている集団が。

P1050383.JPGP1050384.JPGP1050388.JPG

「渡り」のはずのカモが鴨川には1年中います。「カモ」川だから? なんちゃって(ええて、おやじ)。居心地がいいんでしょう。
さて衣中は定期テスト真っ最中。西中や洛北中、加茂中は来週です。
みんながいい結果を出してくれることを祈りつつまた明日お目にかかりましょう。

散髪

2009年11月17日

この間から懸案だった(たいそうやな)散髪に行きました。20年来のなじみの散髪屋さんは高齢、手術のため休業中なのは以前にお伝えしました。さてどこへ行ったものかと、ここしばらく思案中でした。
「近所にも何件かあるし、あちこちにいっぱいあるし……どこ行こうかな。今さら新しい店へ行って、そこの人と一から人間関係(たいそうやな)を築くのは面倒だなあ……」と。
いっそいつかどこかで見たチェーン店、かつ迅速格安店へ行けばいいかと思い、ビブレ北大路のQBハウスの門を敲きました。いや推したかな(推敲)。
勝手がわからないので、入る前に逡巡。入ると思しき初老の方にゆずります。その方が券売機のようなものに1,000円を投入(挿入)。俺はどうしていいかわからず先の方に
「すんません。いくらですか? どうしたら……」
「1,000円やで、あそこで券買うね」
「あ、はい」券を買って待つ姿勢。俺に席を譲ろうとする先の初老の方の申し出を丁重に断り、その方の次の席に座ります。
「安いやろ4分の1やで」
「あ、はい。そうですね」けっして以前のおっちゃんとの関係を否定はしませんが、値段だけを考えると確かに違う。では人は何を求めて4倍を払うのか……今日のところはようわからんという結論にしておかせてくだせえ。
落ち着いて見回すと3席満席。
「ふむ、待たされるかな」と思いきや、本を開く間もなく1人が終わり、先の(ばっかりやなあ)方が椅子へ。仕組みを理解する間もなく、俺の番。
椅子前の鏡の部分が開き上着や手に持った袋、傘が収納されます。
「どんなふうに?」
「いや、前髪は…で、横は耳に…」という会話が億劫だったのでこの日のために撮り置いていた写真を見せて
「こんな感じで」
「つけないでこれですか?」(え? つけないで???)
「つけないでって、何を?」
「いや、整髪料とか」
「あ、はい」で始まった調髪。はさみを使ってあっという間。ホントにあっという間でした。刈った毛の後始末は掃除機で吸い込む感じです。いやいやびっくり、8分くらいのできごとでした。
1,000円ぽっきり、10分たらず。「いらち」の俺にはぴったりかも。
仕上がりは Not bad. いや悪くない。十分なできあがりです。
散髪実況中継でした。

今日は寒かったですね。冬到来でしょうか。
みなさまお風邪をめしませぬようにご自愛あれ。


いかに生きる?

2009年11月16日

長野県の重度身体障害者の方が介護スーツを身につけた介護者の方に背負われて鞍馬山に登ったそうです(京都新聞)。何でもこのスーツを身につけると脚や肩につけた器具が体の反応を感知して介護者の体にかかる負担を軽減するそうです。すごいです。こんなことができるんですね。おっしゃるに
「挑戦する心の大切さを伝えよう」とのことです。掛け値なしに立派です。見習わなければいけません。
中3の英語の教科書にも地雷除去中に右腕、右足を失いながらもロンドンマラソンやサハラマラソンに挑むクリス・ムーン氏の話が出てきます。
私が同じ境遇におかれたら落ち込んでへこんで立ち直れないと思います。

奇しくも今読んでいる池永陽さんの『ペダルの向こうへ』は交通事故で片足と母親を失った少年とその父親の話です。納骨のためにペダルを踏んで沖縄へ向かっています。その途上いろいろな人と、その人生に出あいます。重くて悲しいけれど考えさせられる展開です。
「生きる」とはなんだろ???いかに生きるかを思います。
池永陽さんはなかなかのものです。『コンビニララバイ』『走るじいさん』など、秀作があります。ぜひ手にとってみてください。

P1050365.JPGP1050372.JPG

左は堀川通りの銀杏です。右は大徳寺のミカンです。わざわざ車を回し、止めて撮ったにしてはの写真です。

朝ゼミに行ってメールを開くと以前の上司のTさんからおめでとうメール。恐縮です。感謝です。ありがとうございます。

念ずれば花開く

2009年11月15日

『あの人この人いい話』(文芸春秋編)という本を読み終えました。「オール讀物」のコラム『ちょっといい話』を文庫化したものです。その中に「念ずれば花開く」(山根一眞さん)の項があります。引用します。

ー私がNHK『ミッドナイトジャーナル』のキャスター仕事を始めて2年目になろうかという1992年の2月6日、英国のロック・ミュージシャン、デビッド・ボウイを招いての生放送インタビューがあった。世界的な大スター。ファンにとってはボウイから1メートル以内のところに身を置いておしゃべりするなど、羨望以上のものがあるに違いない。そこで、「テレビを見ている日本中のファンにとって今、あなたが吐いた息を私が吸っているなんて、きっと許しがたいことだと思います」と、言ってみた。ボウイは上機嫌になり、後、インタビューはきわめて円滑。よしよし、今日のインタビューはうまくいったぜ。
              *
そういうファンがたぶんいるはずだと空想して言っただけだったが、思いがけず日本一のファンがすぐそばにいた。番組終了後に控え室に戻ると、少し前まで私のメイクアップを担当していた美容師のA子さんがいた。ぼーっとしている彼女を指して、別のメイクの女の子がこう言うではないか。
「彼女、デビッド・ボウイの大ファンで、どうしても彼に会いたいと念じてきたんです。それで、テレビの仕事をすればきっとボウイに会える機会がくる、そのテレビ局の仕事をするには美容師になればいいんだ、って。それで今日だけ担当を代わってあげたんです」
              *
大スターに会いたいという一念で生涯の仕事を選び、本当にその願いがかなった。
「念ずれば花開く」
彼女の毎日は祈りの日々だったに違いない。
その彼女の、花が開く日を前にして、誰一人として「芸能人に会いたいだけだろ」とは言わなかった。皆が、彼女がボウイと会う瞬間を最高のものとするための手助けを厭わなかった。国際ニュース担当の男性キャスターは、1週間かけて彼女に英語の特訓を申し出た。「私はあなたに会うために、この仕事を選びました。今日は夢が実現して幸せです」とだけ、英語でボウイに話せるように。その英語はちゃんと通じ、ボウイはとても感激してくれたという。
              *
そうか、ボウイがインタビューですこぶるご機嫌だったのは、彼女のおかげだったんだ。念じ続けて花を開かせた人には勝てぬ。軽く血インタビューで悦に入っていた私は深く反省。(平成6年9月号)ー

原文のまま引用させていただきました。長くて打つのに苦労しました。
この話がわたしの琴線に触れました。なんということもない話かもしれませんが、いい話だと思いませんか。
「思えばかなう」でしょうか。そう強く思いつつ生きましょう。

昨日、今日と衣中のテスト対策。みんな頑張っていました。
俺もがんばりました。スタッフもね。これが少しでも生徒たちの結果につながればいいんですがね。
では、やすもうかな……

日付変わって53になりました。平均寿命からいうと8分の5を過ごしていることになります。けっこう生きましたね。
こんどこそ、では。

人のふり見てわがふりです

2009年11月14日

政府の行政刷新会議で行われている「事業仕分け」に一言申し上げます。
税金を使っての事業ですから不要な物は廃止や削減おおいにけっこうです。ばっさりやっていただきたいです、その仕分けメンバーには。
ただ今朝ニュースか何かでその様子をちらっと見ました。会場での議員のあまりにも無礼な、居丈高な態度。醜いですね。著名なメディアにもよく(?)登場される女性議員Rさんです。自分が質問しているにもかかわらず、かかわらず、ですよ。答える人の発言を遮って自分の質問を繰り返します。失礼にもほどがある。
「あなたはなにさまや」と思う俺がおかしいのかな。錦の御旗を背負った官軍? 虎の威をかる狐以下やろ、あんたは。朝一、仕事前にめっちゃいやな思いがしました。
メディアの常で極端な場面を見せられたのかもしれませんが、とっても不愉快でした。
常に正義の味方を標榜するようなその姿勢にはいつも辟易させられます。もちっと謙虚な姿勢でいきましょう。
それは俺も同じです。常にそう心がけてはいますが、どこかにおごりが出ないとも限りません。心します。
ちょっと言葉足らずで真意が伝わらぬやもしれませぬが、本心です。
では。

菅原院天満宮

2009年11月13日

読売新聞によると図書館利用の小学生の平均貸し出し冊数が平均36冊で過去最多だったそうですね(2007年度)。
「読書離れに一定の歯止めがかかったのでは」との文科省の論評ですが、ことはそう単純ではないと思います。図書館を利用したり借りたりしている児童たちは「もともと読む人」です。まったく「読まない人」は読まないままではないかと思うからです。
生徒たちを教えていてその語彙の乏しさに驚かされることがよくあります。知らない言葉が多すぎるような気がします。
「昔の生徒もこんなんだったかなあ」とか「俺も小中学生の頃は同じだったかなあ」とかいろいろ考えます。自分の気持ちを伝えるのも言葉。相手の感情を受け止めるにも言葉が貧しければうまくいかないと思うんです。
家族や友人との会話、新聞やテレビ、読書を通じて語彙を豊富にしていくことを心がけてくれることを望みます。言葉がふえると、その人の持てる世界も広がると思います。特に本を読むことは自分のあずかり知らぬ世界へ踏み込むことができます。
52歳の私だって恋愛真っ只中のあまい世界が広がります。
えらそうにいう私もこのブログを書いていて自分のその少なさにあきれることがありますので、えらそうにはいえません。
とまれかくまれ、読むことは己の知的財を蓄えることには絶対になるでしょう。これは私の確信であり核心です。

P1050353.JPG

菅原院天満宮のお守りです。由緒正しき、道真公のご生誕の地にある神社でありまする。実は彼の生誕地は奈良市菅原町周辺、菅大臣神社(京都市下京区)説、吉祥院天満宮(京都市南区)説などいろいろです。
ま、史実はおくとして、お守りの霊験もいいとして、このお守りをあげた高3生が心底喜んでくれた事実がうれしかったです。
歓心をかうつもりは毛頭ありません。ただただ信じることをやるのみです。しかしそれが伝わりません、苦しく思うことしばしです。
では、また明日お目にかかります。

秋たけなわ②

2009年11月12日

愛車の走行距離が80,000キロを超えました。長い付き合いです。9年目です(たぶん)。けっこう長い旅にもお供させてもらってますが(え、あんたがさせてもろてんの? 「そやで。知らんかった?」)ふだん使いが少ないので思うほど距離は伸びていませんね。
長年連れ添うと(あんた車と連れ添うてんの「いちいちやかましな。ほっといてえや」)自分の一部のような気がします。目をつむっても運転でき、ません(そらそや。目えつぶってやったら危のうてかなんわな)。
バカなことはさておき、ほんとに大好き、ドラえもんです(まだバカやん)。彼女(いや彼かな)に対する思い入れは人一倍です。
街を走っていて3代、4代前のそれにもまだ現役でお会いします。きっと20年以上は走っていらっしゃるでしょう。それを思えばまだまだ我が愛車は走れます。長く愛し続けましょう。車は耐久消費財に分類されます。それにふさわしい待遇を与えないといけません。

P1050343.JPG

P1050340.JPGP1050347.JPG

ゼミへの途上、原谷への移動中に収めた紅(黄)葉です。秋たけなわですかね。
今、衣中はテスト直前。まさしくたけなわです。

世界平和

2009年11月11日

定例会で勉強。とってもおいしかった、じゃなくてためになりました。
特に某京都橘高校の国語科、加茂先生の授業は圧巻でした。
「光と陰」「氷山の一角」の話が印象的でした。精いっぱい生徒たちと向き合っている彼女の日々を彷彿とさせる実演でした。
どの塾の先生方も、みんな一所懸命に取り組んでいらっしゃいます。
私も勉強会に出させていただくたび、自分の不勉強を嘆き、反省し
「明日からはこうあらねば」と思いますが、いかんせん意志が弱い、決断力がない。なんともはやでありまする。もちろん日々やらせていただいておりまする(なんか江戸時代の武士みたいな言葉づかいでござりまするな「あんたまで真似せんでええで」はは殿、かしこまってござりまする「もお、ええっちゅうねん」)。常にそれが念頭にあると思うのですが、伝わらぬこともあり、もどかしいです。しかし愚痴を言っても始まらぬので、信じるままにやらせていただきましょう。

帰り際にコンビニで焼酎を手に取りレジへ。会計を済ますと店員さんが
「2枚お引きください」と箱を手元へ。
「あ、はい。めんどくさいな」と思いつつ言われるままにくじを2枚引きました。
「あ、今商品を持ってきますので、そのままお待ちください」という言葉をあとに店員さんが走り、もどります。なんか2枚とも当たって札幌一番塩ラーメンと赤いきつねのどんべいをいただきました。ありがとうございます。なんかむっちゃ幸運ですね。

そのすぐ後、交差点で向こうから来る人とぶつかりそうになり
「ごめんなさい」というと、先方も一言
「ごえん」外国の方やったようです。
「『ごえん』ちゃうで『ごめん』やで」とつっこむには疲れていてその余裕はなかったです。でもうれしい気持ちにはさせていただきました。
自転車や歩行者の立場で歩道を進みながら、ばつの悪い思いをすることが多いのですが、最近はみなさんそれなりの対応をされることが多いですね。なんかほっとします。
みなが相手を気遣うそぶりが見られます。世の人みんながそんな意識を持つと、もっと平和で暮らしやすい地球になるかもね。
理想は世界平和です。
寝ましょう。

秋たけなわ

2009年11月10日

11月は一歩も外に出なかった日曜日もあって読書が少し進んでいます。今日10日で川上弘美さんの『神様』を終え7冊目です。単純計算をすると21冊ですが、そうは問屋が卸しませんでしょう。あくまでそれは順調にいっての話。定期テストもあるし、なかなか時間がとれなくなるでしょう。あと35冊読まねば100はいきません。ついつい軽く読める本を選ぶ自分を戒めています。読むだけの読書にならぬよう心します(たぶん、いやきっと)。
今手元にあるのは池永陽さんの『ペダルの向こうへ』(この人の本いいですよ。しみじみ"ほのぼのもあるかな")、『世界で一番ロマンチックな海』鎌田敏夫さん、『極楽とんぼの飛んだ道』平岩弓枝さんなどです。どれからいこうか迷っています。あ、そうそう。宿題まだですね。早く読みます。読ませていただきます。
けっこう秀作にも出逢えました。古書店でもこれですから、新刊書を扱う店に行けばきっとすばらしい宝の山に遭えるのかもしれません。けちらずたまには訪れましょう、かね。
秋たけなわです。読書の秋、食欲の秋、スポーツの秋……いろいろあります。さてみなさまの秋はどんな秋でしょう。
では、また明日ね。

柔道整復師

2009年11月09日

腰の痛みに耐えかねて整骨(接骨?その別がわかりません)の門をくぐりました。柔道整骨(正式には柔道整復師というのでしょうか)です。
5分前に着いてその文言を読んでかすかな期待と大きな不安(いや、逆かな)。
問診の後、電気治療。初めての経験です(電気風呂は知っています。昔知らずに銭湯で入り、叫びました。"恥ずかしかった。かなり")。15分くらいだったでしょうか。背中がぴりぴりします。ぴりぴり、すととん、ぴりぴり、すととんという感じでした。電気が流れ、何かが俺の肌を押します。
その後あれは何というのでしょうか? マッサージ? 指圧? 先生が腰から下をもんだり、押したり。これが痛い!思わずうめき声が出ます。
「んぐ」
「いで」いい年をしたおじさんがみっともないと思うも我慢できません。
汗が吹き出ます。鼻水、よだれも出そうでした。
痛いのなんの。右が終わって
「このあとまた左で同じ痛み? う~ん、男は黙って耐えるだけ。つらいな」などと思う間もなく始まります。
「で」
「んご」
「ここが一番痛いです。リンパやなんかが集まってますから」おっしゃる通り痛いです。数年前、麻酔なしで指を切り、膿を出したとき以来の痛み(種類は違うけどね、痛みの)でした。
ということで終わってお勘定、いや違う治療費支払い。
「1,080円です」
「えっ、あんだけやっていただいてそれでいいんですか」
「今回は初診料が入ったんで少し高くなってすみません」いや、およそ小1時間。あれだけ先生に一生懸命やっていただいてこれでは申し訳ないくらいです。
捻挫、ギックリ腰は温め厳禁、風呂もよくないらしいです。いろいろ教えていただきました。無理して走るなとも。

(実はこれを書く前に書いたそれがどっかへ行きました。んで書き直していますが、ほんの少し前に書いたのと今書いているのとはずいぶん変わっています。同じ失敗を繰り返すなよと自分に言いつつまたやってしまっています)

で、その整体ですが、効きました。行く前は半分じいさん状態、這うようにして向かいましたが、帰りは普通に帰ってきました。その代わりめっちゃ、むっちゃ痛かった。でも、あの痛みを我慢すれば普通に近い状態に戻れると思えばまた行くかな。さすがプロを感じさせられました。果たして俺にあのプロ感はあんのかなあと思いました。
では。


腰痛続きますね

2009年11月08日

今日は一歩も家から出ずに過ごしました。
たまにはこんな日もあっていいかなと。
腰が痛くて動くのもままならず、止む無くです。
おかげで本は進みました。
『せつない小説アンソロジー 男の涙 女の涙』石田衣良選、日本ペンクラブ編。えっ、これでもう……という作品もあります。『瘋癲の果て さくら昇天』は刺激的でした。というか今「ふうてん」とたたいてその字が出て驚きです。正直まったく知らぬ言葉でした。
『にっぽん・海風魚旅 怪し火さすらい編』椎名誠。相変わらずのばか旅日記でしたが、いやおもしろかったです。323ページのぶっとい本でしたが、一気でしたね。
『神様』川上弘美。不思議世界が広がります。『先生のかばん』は普通だっただけに望外。紫式部文学賞受賞作のようですが、その是非は俺にはわかりません。
これ、3冊目はまだ途中です。

朝はゆうべの余韻を引きずっていました。経ただけの年輪を重ねていました。俺も含めみんなが。すっかりそれなりでした。いつもならデジカメで写真に収めたのでしょうが、今回はなし。それは俺の怠慢? いや、ちょっとしたこだわり(どんな?)かな。
次回は90周年ですね。そのときは俺は62歳。その年齢の自分は想像しがたいな。

諸先輩方、後輩の姿にそれぞれの人生を感じました。某京都銀行支店長や山形のそれのそれもいるし、社長さんや役員さんもごろごろです。しかし、立場が上がれば上がるほどみんなきっといろんなことを背負って生きているんでしょうね。
きっと大変なんだろうな……と思います。
まあ、俺も小さいながらいっしょかなあ……
よおわからんわ。90周年のときにこのブログをどんな思い、状況で振り返っていますでしょうか。
あと10年かあ。生きてるかなあ。どやろ。
これはけっして世をはかなんでいる訳ではないんですよ。父親が46歳で逝き、母は66でこの世を去りました。
「まずは親父の年を超えよう、超えられるかな」と思い生きて、それは果たしました。次は母親のそれですね。いや、ちょっと伝えたい思いがちゃうな。そこまで生きたかった、生きたい訳ではなく、そこまで生きられなかった親父のその思いがいかなるものやったかなと、考えます。
もうちょっと孝行できたんちゃうかなとはいつも思います。
父母の生きた年を超えた俺は今、なんということもなく自堕落な生を送っています。
「これでええんかなあ」
腰痛のため横になっていると楽。でも起き上がるときに激痛。んでもって長く座って愚にもつかぬことをつづっていると立ち上がるときに腰がかなり痛いんです。
であるからしてやすみましょう。けっこう痛いですね。
寝ましょう。

腰いた治らず

2009年11月07日

具合がよくありません。接骨医へはけっきょく行かず。日にち薬しかないかなと……
おとなしくしていればいいのですが今日は学生時代のクラブの創部80周年記念式典なんです。一応お役の端くれをさせていただいているので顔だけは出さなければいけません。半分腰の曲がったお爺ちゃん状態。正直かなりかっこ悪いですが、行ってきます。
今帰りました。腰痛をこらえて過ごしたのできついです。
10年ぶり、20年ぶり、それ以上ぶりの人、先輩、大先輩、後輩などと会いとってもの世界でした。今日は疲れたのでまたですね(でた!! 絶対ない「また」やね)。

ぎっくり腰

2009年11月06日

またやってしまいました、ぎっくり腰を。今朝ゼミに着いて靴を、ショートブーツだったんで腰をかがめて脱ごうとしたときに「ビキッ」ときました。「あっ」と思いましたが時すでに遅しです。だんだん痛みが増して今はけっこうひどいですね。
1、2年に1回くらいはなっていましたが、今年は9月についで2回目です。やはり加齢で関節の軟骨が磨り減っているのでしょうか。先日のハーフマラソンの疲れも影響しているのかもしれません。
授業は何とかしましたが、やはり体長が悪いといけません。立っているのがやっとですから気持ちが萎えます。なんとも覇気のない授業になってしまいました。
生徒の反応もさまざまですね。気の毒そうに顔をしかめている子、
「お~っと引退か」などとうれしそうに(?)言うやつ(張り倒してやろうかと思いますね)、
「せんせ座ってやってくださいよ」といすを寄こしてくれるTKくん(優しいね)、
「びっくり星って何?」
「『びっくりぼし』ちゃう『ぎっくりごし』やで」の小4生の会話には笑いました。
体調不良があって初めて健康のありがたさを感じます。ふだんは自分の体の諸器官の存在すら意識しませんが、痛みや苦痛があると健康でいられることを当然のように考えるのは思い上がりだと感じます。
そう今あるのが当たり前と思わず謙虚にやらせていただきます。
長く座っているとかなり苦痛ですので、今日はこれくらいにしてやすませていただきます。
寝ると明朝起き上がれないのではと不安です。
明日は大事な行事があるんですが、果たして行けるんでしょうか。
気休めかもしれませんが、接骨へ行くか否か迷っています。

まったくしまりのないことで

ヤンキースがワールドシリーズ(アメリカだけやのになんで「ワールド」なんかな? これはヤンキーの思い上がりですね。まあ、確かにすごい連中がいるし、認めるけれどね)に勝利しました。松井君(友達か?)が大活躍。なんとMVPを獲得です。これは球史に残るでしょう。画期的なことです。世界の頂点を目指してメジャーに行った彼の悲願達成です。拍手あるのみです。私も今少し大局を見据えつつ日々を送りましょうかな。
日本では巨人軍が王手をかけました。明後日以降の札幌決選いかがあいなりますことやら。盛り上がってますね。楽しいです。巨人ファンですが、真剣勝負は醍醐味です。互いが全力を尽くして戦う姿は美しいですね。

寒くなりました。小学生の授業時に
「みんな、うち暖房つけてんの?」
「ホットカーペットと炬燵とファンヒーターももうつけてる」
「え~、もうつけてんの。うちなんかまだなんも使てへんで」
おうちがらがしのばれます。
「そやけど、今日寒ないか。暖房つけよか」
「うん、つけて、つけて」ということでエアコンをつけました。
「ファンヒーターは灯油がめんどくさいな。買いに行ってんの?」と言っているとちょうどエネオス石油の巡回車が到来。
「来たで、来たで。せんせ、どうすんの」
「まだええやろ」と思いつつ
「買っとけ」と思いあわててポリタンク。18ℓ2缶で2,580円でした。京都だからいざ知らず北海道やったら室外に大きなタンク、きっと500は入りますよ。満タンにしたら、ん万円ですよね。あれ、からにするとだめらしいです。中に空気が入るとよくないんですって。知らないことがこの世にはいっぱいですね。知らないことだらけと言っていいですね。
今は灯油だからいいものの、俺がいたころは石炭ストーブでした。炭ガラ当番という今はたぶん北海道でも使わない言葉があった。

今、どういうふうにおちをつけようかと書き進めていますが、間もなく2時になりそうやし、寝なあかんし、それをつけようがないままに終わります。あはは。

日進月歩、いや日々退歩

2009年11月04日

寒いですね。(下写真左は1日夜西賀茂を出るときの気温です)
丹波高原レースの開会式で
「美山に雪が降ったそう・・・」という挨拶を耳にし半信半疑でしたが、今朝の京都新聞の佐々里峠の雪景色を目にして驚きました。平年に比べても1か月は早いようですね。北海道ならいざ知らず、びっくりです。

北海道に何年かいたせいか雪は大好きです。もっとも過ごしたのは道東でそれほど雪は降りません。氷の町かな。とは言ってもこちらに比べればたくさん雪が降ります。
降ると家から道路に出る数メートルの道を除雪しなければ学校へ行けません。風が強いので吹き溜まりになったところは数10センチの積雪。雪は案外重くたいへんだった記憶があります。
父親が起きるとすぐ車のエンジンをかけていました。そうしないと昔の車ですからスムーズに走れなかったり、凍ったフロントガラスで前が見えなかったりで危険なんです。
でも雪が降るといつもとは違う情景が目の前に広がり新鮮な気持ちで登校したような、ただただ寒かっただけのような・・・・・・

この年になっても冬に授業をしていて雪がちらつき始めると
「お、きたきた。もっと降れ」とつぶやいている自分がいます。雪が降るという非日常が、心をウキウキ沸き立たせてくれるのでしょうか。

これだけ寒いと冬物の服装などを用意しなければいけませんね。ファンヒーターや灯油も準備しなければ。原谷の方は一段と寒さが厳しいです。そうそれで買ってきたのがスリッパ(下写真右)です。あまりあったかそうなものではありませんが、夏用と比べるとだいぶましかな。

P1050316.JPGP1050327.JPG

帰路寒くてシートヒータを思わずつけました。今の車はいいです。いろいろついています。エアコンは当たり前。窓もミラーも電動。カギはリモコン。カーナビも普通に近い。エンジンスターターもカギがいらなかったり、近づくだけでドアロックが開いたり、エンジンもリモコンでかかるのもあるんですね。居眠り運転防止装置が付いた車もあるようです。すごいなあ・・・・・・

昔はエアコンなんて、カークーラーが付いているやつなんて半数以下だった(たぶん)。窓の開閉は取っ手をぐるぐる回す、フェンダーミラー(死語)はいちいち降りて手で調整。カギで運転席側のドアを開けても助手席側は閉まったまんま、でした。
そういやあ前はチョークレバーというのもありましたね。早朝かかりにくいエンジンにより多くの空気を送り、それがかかりやすくするものだったかなあ。よく覚えていません。

科学技術の発達は日進月歩。俺の発達はいつの間にか停滞退歩。進まず下がっていたりいたりしてさ。

文明の発達を否定はしませんし、それなりそれを享受しています。でも一切それがないところで生きてみるのもおもしろいかもね。あ、でもそれやっぱり無理ですね。
まったく生活の心配がないとして3つ選べと言われたら何を選ぶかな? なんだろ。考えておきましょう。

ではね。

毎夜すみません(誰に謝ってんのん? だれもいいひんで)愚にもつかぬことをたらたらと。
おやすみなさいませ。
みなさまの明日がよい日であることを祈ります。

大切だよね、きっと努力はさ

2009年11月03日

7時起床、8時15分出発で丹波へ行って走ってきました。
走り始めてすぐ
「今日はしんどい。無理せんとこ」と思いました。10㌔あたりから足が痛くなってきました。前半は平坦な道が続いたのですが、後半はけっこうな起伏。
「また上りか。もうええわ」と毒づきながら走りました。呼吸は大丈夫なんですが、腰から下が痛くて足が前に出ませんでした。
「みんなもしんどいんやし、あんたもがんばりや」と自分をだましつつなんとかゴール。1時間41分ちょうどで50歳代男子で順位もちょうど50位でした。満身創痍ならぬ下半身創痍です。お尻が痛いです。足もガチガチ。
同行したN先輩は練習不足を嘆きながらも37分くらいでフィニッシュ。来年還暦を迎えられるというのになんともお元気。頭が下がります。
帰路、洛西ニュータウンで風呂に入り食事をして4時半ころ帰着。一日仕事でした。
それにしても休みに早起きして参加費を払い、しんどい目をしに行くのですから、変わった趣味です。まあ趣味なんて回りから見ればみんなそんなものかもしれませんがね。
「なぜ走るの?」と問われてもいまだに明確な答えはありません。ふだん走るのは月100㌔走ると宣言したからですが、試合となると違います。なんだと言ってやはりかなりの力で走ります。よって疲れや筋肉痛も半端ではありません。
「なのになぜ」なのかな。わかった「自己満足」ですね。これ以外の何ものでもないでしょう。そう今後この質問(誰も質問してへんで)に対する答えはすべてこれでいきます。

走ってゴールするというのはしんどいです。ハーフとはいえ21㌔超です。ふつうの人は走りません。やっぱスタート前にはいろいろな思いがよぎるし、スタートしても
「おまえなにやってんねん」といつも思って歩を進めています。
俺ががんばっているというのは面映ゆいし、けっしてがんばっているとは言いませんが「がんばる」とか「努力する」というのはとっても大切なことやと思うんです。
いつかはきっと報われると思ってやるべきをやりましょう。努力でメジャー、プロ野球選手、Jの人になるのは無理です。でも世間一般の人は生きるため懸命です。
日々の努力はいつかきっと自分に返るでしょう。努力は報われないときもあります。否、報われぬときの方が多いでしょう。でも努力しなければなんもないぞ。だろ。

P1050317.JPGP1050323.JPG

右が先輩N氏です。左は記録証や記念品のタオルです。

P1050318.JPGP1050322.JPG

丹波の木々はちょっぴり色づき、秋の気配でした。

club Harie の バウムクーヘン

2009年11月02日

原谷つゆはらゼミの5年生KTくんが言います。
「あ、これええなあ。この付箋、ポイントでください」
「え、これか。こんなんあなた使うの?」
「いや、お母さんが保育園で子どもらの給食作るときにカロリー計算やらいろいろしてはって、そのときに使わはるし、あげんねん」
「そうか~」なんとも優しい子でしょ。
「付箋くらいあげるわ」と言いそうになりましたが、他の子もいっぱいいたので、我も我もとなると収拾がつかなくなるので、その言葉はのみこみ
「ひとついくらになるか調べとくわな」と会話を終えました。この子は以前にも自分のためたポイント(うちではゼミ入退室時やテスト結果のいい子、クイズ当選者などにポイントを進呈しています。そのポイントで、文具や図書カードと交換できます)でお母さんの誕生日に文具と交換してプレゼントしていました。
親を親とも思わぬ暴言を吐くような子どももいると聞きます。そんな中にあってこのKTくんの優しさが光ります。
自分自身の子ども時代を振り返っても、とても人のことをとやかく言える子どもではありませんでした。中学、高校時代はよく逆らった覚えがあります。いや大人になってからだってなかなか母親の言うことは聞きませんでした。
母親が病気になって、やっと少しましになれたかな・・・・・・いや、そうでもないか。照れもあってついつっけんどんな対応をしてしまっていたかもしれません。なんか悪いことをしました。いつか謝ろうとも思っていましたが、もういません。
「孝行したいときには親はなし」と言いますが、まさしくです。謝りたくてもいません。母親も父親も死に目には会えませんでした。親不幸の極みですね。唯一かなえてやったのは夏のミカンとかりんとうかな。(これについては以前に書きましたね)

みんなも生きているうちに親孝行しなさいね。お互いに死んじまったら何もできませんからね。

P1050313.JPG

昨日安土へ行ったとき
「ここまで来たら買わなければ」と思い、近江八幡の店へ寄りました。「たねや」という和菓子屋さんですが、club Harie の名で有名なバウムクーヘンの店です。O高校の説明会土産でいただき、そのおいしさを知りました。講師のみなさんにも味わってもらおうと買いました。なんでも現地で買うか東京の百貨店地下で手に入れるしかないそうです。
店構え、店員さんの応対、いずれも立派でした。お味ももちろんおいしいようです。私は食していません。実は甘い物はあまり好みません。写真がそれです。

今日は大荒れのお天気でした。寒かったですね。北海道では雪が積もったようです。帰り際、車の温度計は5℃でした。5℃といえば数年前に北海道へ渡ったとき襟裳を訪れました。5月の連休にもかかわらず、そのときの気温が5℃でした。

明日は丹波でハーフです。あんまし寒いのはかなんなあ・・・早起きやし早寝なあかんのですが、すでに1時前。準備してやすみますね。

安土

2009年11月01日

朝起きると雨が降っていなかったので安土へ向かいました。着いたら雨でした。
500円の駐車場代を支払い、入山にさらに500円。
「ん?」以前に行ったときは一銭も払った覚えがありません。そこらの道に車を止めて暗い石段の道を半ば走るようにして天守へ向かった記憶が残っています。
建物があるわけでもなく、石垣や礎石が遺構として残るのみです。他の城ではふつう城域に足を踏み入れるのは無料です。天守に登る段になってお金が必要になります。ちょっと高いんではないでしょうか。言葉を選ばなければ「ぼったくり」ですね。
ま、いいか。ともかく雨の中大手道を進みます。かなり傾斜のきつい石段です。ふつう城は敵が進みにくいように曲がりくねっています。ところが、ここ安土は虎口(これは残っていません)を入ると大手道がまっすぐに続きます。後半はさすがに大きく左に道がそれ、また右に折れ天守への道があります。一説によると「天下布武」を成し遂げた信長がその威光を示すために築いた城のため、あえてそうしたとのことです。もし天守が残っていたら、大手道下からそれが見えた縄張りだったと思われます。残念ですね。
『火天の城』の影響か、雨にもかかわらず多くの人が訪れていました。京阪神だけでなく、大宮、名古屋など遠方からの車も止まっていました。

大手道です。写真より実際はかなり険しい石段です。右は天守台の礎石です。ここにあの天守が建っていたらさぞやの壮観でしたでしょう。

P1050286.JPGP1050292.JPG

なぜか大手道登り口にいたサワガニです。こんなところにもいるんだ。
「踏まれんなよ」と声をかけてやりました。右は石段横に咲いていたツワブキです。雨で暗い山道に黄色が一際光ります。

P1050285.JPGP1050299.JPG

二の丸跡から見えた西の湖(うみ)です。雨にけぶるその姿は一幅の墨絵のようですね。右は帰りに撮った琵琶湖大橋です。

P1050305.JPGP1050309.JPG

なんか、かなりパソコンが不安定です。いつおかしくなってもおかしくない状況ですので、とりあえずアップしておきます。

一応今のところ大丈夫のようです。

で、ネタがないのでこれにて今日のところはおしましです。