キジ
2009年06月02日
西賀茂橋辺りを走っていて見慣れぬ鳥が視界に入りました。
「ん?」と思ってよく見ると雄のキジでした。顔が赤く、頭部や首は青味のかかった灰色、胴体は緑、羽は灰色かな。なかなか色鮮やかです。
デジカメは不携帯。携帯電話のカメラでと思った瞬間、その気配を察知したのか中州の茂みに飛び消えました。残念。
野生のキジを目撃するのは52年の人生で2回目です。以前は原谷で、さて20年くらい前になるでしょうか、つがいでいるのに遭遇しました。雌は地味です。茶色一色かな。
今賀茂川ではカモ類、サギ類、ツバメ、ムク、ヒイヨ(ヒヨドリ)などいろいろな鳥さんたちにお目にかかれます。お時間があれば散策してみてください。花もよく目を凝らすといろいろなのが咲いています。シロツメクサ、ムラサキツメクサ、オオバコなどなど。残念ながら名も知らぬ花もいっぱいです。
名を知ることは大切ですよね。ひとつふえれば、その世界もひとつ広がります。知る言葉は多ければ多い方がいいのでしょう。
すばらしい何かを見たときに
「むっちゃかっこいい」
「かわいい」
「おしゃれ~」だけだとさびしいもんね。かくいう私もけっして語彙は豊かではありません。いや、貧しいくらいです。より多く知りたいですね、知らねばね。
ただ言葉だけでは不十分ですね。言葉と現物が一致することも大切です。机上で学ぶことも必要ですが、実物を目にし、触れてみる機会をできるだけ持ちたいですね。
「わらび」と言ったときに野で見て触れて、摘んで食べたことのある子はその味、食感が体感としてよみがえります。
実体験は大事です。とは言え、普通の人間が体験できることには限界があるのも事実です。本や新聞、その他のメディアから得る知識も貴重なものです。功罪は合わせ持つもののテレビの存在は大きいのでしょう。家にいながらにして、多くの情報を与えてくれます。
反面、名を知らないことはけっして恥でも、不幸でもないという考えもあります。
たとえば、タンポポを目にして
「あ、なんだタンポポか」と思った瞬間、人は観ることをやめます。そうすると、そこで対象に対する興味が失せ、観察をやめます。それは何かをさらに知ろうと思う意欲の目を閉じてしまうことになります。
学ぶということは、何かを知りたいという欲をもとになりたっているのでしょう。そういう意味では「知らない」ことはちっとも恥ずかしいことではありません。知らないことを認め、教わる意欲を持ち続けたいですね。
ということで私が名を知らぬ花の蜜を吸うメジロ(たぶん)の写真です。どなたかお教えください、この花の名を。