言葉は体を表す
2009年04月21日
「むずい」
「そんな日本語はありません。む・ず・か・し・い。と言いましょう」
「半端ないで、せんせ」
「半端ではない、と言いましょう」
「ま逆」
「そんな言葉は日本語にないね」言葉の乱れが気になるのは私だけなんでしょうか。「見れる」「食べれる」の「ら」抜き言葉も気になります。
今このパソコンは両者とも変換しましたね。言葉は生き物、変わります。あまりこだわるのは年寄りの意固地でしょうか。このパソコンは実はあまり賢くありません。「いこじ」を変換しませんでした。ときどき勝手に変なところで文節や、ことばを切ってこっちが思う言葉を絶対に出してくれません(俺が嫌われてんのやろか)。
生徒が使うのはまだしも、テレビや何かでコメンテイター(?)のような人が平気で前述のような言葉を使っていると、とたんにその方のおっしゃることが色あせてしまいます。
言葉は人を表します。ま、人にえらそうに言える言葉は使っていません。使うよう心がけてはいます。でもすぐにお里が知れてしまいます。ただ大切にしたいなという思いは強いです。
言葉の多寡は学力にも大いに関係してくるでしょう。ゼミに来てくれている子たちにはそこをしっかり伝えていきたいものです。