相も変わらずです

2009年01月13日

寒い日が続きます。今朝鴨川を走ると水たまりが完全に凍っていました。予報では氷点下でしたから、さもありなんですよね。汗があまり出なかったのは、距離が短かったからだけではないでしょう。
私の子どもの頃はもっと寒かったような気がします。5年生まで過ごした兵庫県の伊丹でも毎朝のように氷が張っていたような……記憶違いかな。でも少なくとも今よりは氷や霜柱にお目にかかったように思います。今の俺が朝遅いからかな、単に。いや霜柱が顔を出したくても、出せる土がないからかもね。
今のように蛇口をひねれば当たり前にお湯が出て、スウィッチひとつで温風が吹き出すわけではなかった昔。それでもそれが普通というか、それ以外が考えられなかったからか、なんの不便も不快も感じませんでした。風呂だって毎日は入らなかったような。お湯だって毎日換えなかったような。夏の暑いときはどうしてたんだっけな。行水か。
暖房器具は何だっけ。行火(あんか「こんな字書くんや。知らんかった)というのがあったな、外側は木製で中が土を固めたものだった。火鉢もだ。「股火鉢よくぞ男に生まれけり」というのもあったぞ(ちゃんとパソコンは変換するな、文明の利器だ)。練炭、湯たんぽ、孔雀のマークの入ったハッキン懐炉(確か「これも言いえて妙というか、書いて妙なすばらしき漢字文化を感じますね『それってひょっとしてしゃれのつもり』)というのもあったな。今みたいに使い捨てカイロはないからね。油を染み込ませたものになんらかの仕掛けで火がじわじわ燃えてあったかいんですよね。どんなからくりだったんでしょう。炬燵はずいぶん新しいけど、今みたいに電気になったのはいつだっけな。昔は豆炭を練炭かなんかで火を起こして(火をつけるという意味です)、容器に入れて、今の炬燵のあったかくなる部分に取り付けました。ここまで書いて、読んでいただいている方で
「あった、あった、それあった」とか
「俺(私)も使った。懐かしい」と思う方は間違いなく50歳前後の方でありましょう。どうです? 懐かしいですか。
毎夜のごとくなんの益もない与太話です。今年は少しは真面目なことを書こうと宣言したんですが、だめですね。明日から心がけます。おやすみなさい。