痛み体験④
2009年01月10日
寒いですね。朝はけっこう積もっていたような。帰りも降り、積もり始めました。
雪と言ってまず浮かぶのは荻原井泉水の
「わらやふる雪つもる」かな。藁屋根に降り積む雪。ただただ降り積もります。音はしませんが、しんしんと、ふわふわとまるで音がつたわってくるかのように、降り積みます。その雪の情景が目に浮かびませんか。白と黒だけの世界。好きですね。この間行った白川郷が蘇ります。彼は心に何を思い、この句を詠んだのでしょうか。
「これがまあ終(つい)の栖(すみか)か雪五尺」これも哀愁ただよう名句ですね。一茶です。自分の生を終えるのはこの雪にうもれた侘しい住まいなのか……という切なさが胸に迫ります。その生涯はあまり順風満帆とは言えなかったよう。その恵まれなさが、小さき者への愛を詠んだ多くの句に収束したんでしょう。自分の生きてきた道を省みていたのでしょう。
原谷帰りに車のフロントガラスに降り積んだ雪を撮りました。まだ序の口です。
さて「痛い」の極めつけにいきましょうか。
遡ること何年でしょう。かれこれ5年くらい前になるのかな。神戸出張で会合を終え、食事中にある塾の先生が
「露原先生。右の肩んとこなんか染みついてますよ」
「あ、ほんまや。醤油でもこぼしたんかな」とその日は特に確かめもせず寝ました。帰ってよくよく見ると血です。
「ん、なんや」と思いつつ、知り合いの外科を訪ねました。検査の結果。小3のときに折った鎖骨(痛み体験②を参照ください)の金具からの出血です。
お医者さん曰く。
「当時の金具は…製(金属の名前ですが、記憶不鮮明)ですから、発がん性があります。早くとった方がいいですよ」
「とるということは手術ですか」
「そうなりますね」
「う~ん、ん、ん」
「いつがいいですか」
「忙しいので、こことこことこの辺で」
「では、〇月〇日で」
「はい」と有無を言わせず、いやけっこう有無を言いましたが、手術をすることになってしまいました。(前ふり長いなあ。まだ本題に入らへんの? 眠いわ「いやこれでもだいぶはしょってんねやけど」あ、そう)しゃべりやともっと早いんでしょうが、なにぶん俺の文章力。自分でもまだるっこしいです。ですから圧巻は明日のお楽しみということにしましょうか。
これが私の体内に入ってました、30年以上。