マザーテレサ

2008年10月16日

朝走って帰り、
「ふーっ疲れた」と思って靴を脱ぎ、足先を見ると靴下に穴が開いて、親指が顔を。
「うーむ。よく働いてくれたが、ついに破れたか」確か3年前に3足1,000円くらいでイズミヤで買ったものです。長い間ありがとうとつぶやいてさよならしました。残りの2足もかなりくたびれてきているので、時間の問題かもしれません。
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もの持ちがいいというか、せこいというか(後者やな)なかなかモノが捨てられません。基本的に使えなくなるまで使うをよしとしています。学生時代に買ったセーターやカラーボックスなどを使っているのがその最たるものでしょう。捨ててしまえばその時点で「モノ」は「ゴミ」に変身します。昔マザーテレサが日本を訪れ新幹線に乗り、冷水器で水を飲んだ後、その紙コップを大事そうにバッグにしまったという話が思い出されます。
子どものころはいろいろ廃品を使って遊びましたね。ビール瓶のふたをバッジにしたり、給食の牛乳の紙のふたをべったん(めんこ)代わりに遊んだり、糸巻きや割り箸を使って、ゴムの反動で動く車をつくったり・・・・・・モノが少なかっただけに工夫して遊びました。拾った竹を釣り竿にしたり、古釘を打って磨いて尖らして手裏剣みたいにしたり(これは危険なので学校で禁止されました)などなど。貧しかったけれど、楽しかったように記憶しています。子どもだけでなく大人も駅弁の釜めしやお茶の入れ物、百貨店(デパート)の包み紙(包装紙)を大事にとっておいて使ったりもしました。便所にはちり紙があるのはいい方。へたすりゃ新聞や包み紙を手ごろな大きさに切ったものが置いてありましたねえ、確か。どうやって使うかわかりますか? おしりをふく前に手で柔らかくするためにもむんですよ。今のようにモノがいっぱいあるのは想像できなかったですね、私の子どものころは。どちらがいいとか悪いとかはおいておくとして(そりゃあ、今の方がいいに決まってますが)その生活を楽しめることに感謝する気持ちは持ち続けなければいけませんね。今ある生活が当たり前と思ってはいけないのでしょう。
長くなりました。やすませていただきます。今日はテスト前の衣中生が遅くまで残っていて帰ったら午前様でした。やすまなければいけません。