「君」が「俺」で「俺」が「君」

2008年08月28日

雨続き、蒸し蒸しですね。梅雨に戻ったみたいです。(俺露原。「けっ何しょうもないこと言うてんねん。だれも笑ろてくれへんで」すみません(--〆))
虫といえば、今日またハンミョウさんに遭遇しました。すごい確率、偶然じゃありませんか。確率は中学で習わなかった(?)のでこれがどれくらいの確率になるのかはいっさいわかりませんが、けっこうすごいことちゃいますか。(そんなはずないやろ、あんたがその授業のとき寝てただけちゃうか。「いや、俺のその頃の教科書には「確率」は載ってなかったんです」ほんまかいな)
昨日よりはややましな写真です。ご覧ください。
P1010240.JPG
辻仁成さんの『そこに君がいた』と『そこに僕はいた』を読みました。1959年生まれ、俺より三つ下。父親の転勤で北海道へ。境遇も似ていますが、彼同様、俺も奥手で、かっこつけで、変にプライド高くて、ひねくれ者だった自分の青春時代を見るような感に襲われ、奇妙な共感からひきこまれました。もうけっしてもどることのない自分の若きころと重ね合わさることが多く、懐かしさを感じつつ、ほろ苦さを味あわせてくれました。そこにいた「君」は「俺」で「俺」が「君」なのかもしれません。
今もそうかもしれませんが、当時はとんがったやつでした。思いだすのも恥ずかしいくらい、粋がって、よわっちいくせに、えらそうに肩肘張って生きていたような気がします。若さゆえのことです。許してもらいましょう。まあでも、今も本質はちっとも変わっていないでしょう。
なんかトーンが低いように思われるかもしれませんが、けっしてそんなことはないんです。先述の著者の本の内容に浸って(?)いるだけですから。
彼はしかし、ミュージシャンになる、小説家になる、映画を撮るという難しい夢をすべてかなえたようです。そこが凡人、俺との大きな違いです。
そこにいた「俺」は今ここにいる。そこにいた「君」ははたしていま何処でその生をおくるのか・・・・・・